自然は無限の優しさと無限の狂気を併せ持っている
昔、一人で山によく登りにい行った。何故、一人で行きたいのか自分でも良く分からなかった。単に人と群れることが苦手だったのかも知れないが、ある日、同じ様に山に一人で登っているときにフト思った。今はこの山の自然の中に頼れるのは自分一人だけ、この文明の恩恵に溢れる現代社会の中で唯一、その文明の利便さと縁を切り自分が自然の中の生物の一つだと実感出来るのが唯一、単独登山だと。
大して高い山に登った訳では無いのだけどそれでも一瞬、確かに一人きりで自然の中に居る事が実感出来た。そんな想いを心の中にしまいながら、いつしか家族を連れて八ヶ岳の山の中に丸太小屋を建てて住み始める事になった。
山道の行き止まりに建つ我が家は当初、街灯も勿論無く、都会の安全な暮らしに慣れた自分には自然との共生に憧れていながら夜、漆黒の闇に沈む我が家への道を歩く時の恐怖、家族も冬の寒さや学校までの延々続く遠い道のりに幾度か挫けそうになったと後で知らされた。
しかし、そんな環境に住んでいるからこそ自然は本当に美しい姿も見せてくれた。漆黒の闇に音も無く飛ぶふくろうの美しさ、冬の満月の夜、美しく夜空に輝く雪の八ヶ岳、夜空に流れる美しい天の川、それは住んでいる者にしか見せてくれない自然からのご褒美だった。
山に住み始めて数年経った冬のある日、八ヶ岳南麓に観測史上初の大雪が降った積雪は約1m、丁度出張で留守をしていた私は家に帰れなくなり出張先の駅の近くの知り合いの家に一晩泊めてもらい翌日、家に帰った。
いや、帰ろうとしたら道が途中で無くなっていた。除雪車が森の入口まで除雪してくれていたのだがそこには1m以上の除雪された雪の壁が出来ていてその向こうには道と言うものが無くなっていた。
家までまだ300m程ある。仕方なく家に電話して家から子供達と女房にラッセルして貰い、自分もこちら側からラッセルして途中で会おうという作戦にした。子供達はソリを引っ張って一生懸命ラッセルして来てくれた。森の中で出会えて家族は本当に嬉しそうだった。
そんな自然の中で暮らしているとフト思うことがある。それは自分も自然の中の一部にしか過ぎないんだと・・・当たり前の事だけど本当は意外と実感するのが難しい。
特に都会の便利な文明の中に生きているとそれは殆ど不可能に近い。例えば、朝、我が家には新聞が届かない。新聞屋さんが森の中まで来てくれないので森の外まで取りに行かなくてはならない。
そんな時、最近ふと思った。クマに襲われないだろうかと・・・朝早くは誰もいない。森の中も静かだ。今まではせいぜい鹿の群が森の中からジットこっちを見ているとかキツネが横切るとか少なくても自分に危害を与える動物に出会う可能性は全く自分の頭の中に無かった。
しかし、最近、頻繁に熊が出るようになりそれは気付きたくなかった事だけど気付いてしまった。そうなった時、自分はその自然の相手と一人で向い合わなくてはならない。本当の自然に近ければ近いほどその自然は美しくそして残酷である。
1週間前、未曾有の巨大地震とそれに伴う津波が日本を襲った。その光景をカメラが捉え我々は安全な所にいるにも関わらずまるでその場に居るかのように繰り返し報道番組を通して見る事になった。
想像を絶する津波の巨大な自然エネルギーの前で我々の文明はいかに無力であるか思い知らされた。経済の繁栄を支えてきた原子力エネルギー、それは人間の味方だと誰しも信じていた。
いや、一部の人達はその危険性をいつも不安に思いながらもその恩恵を受けざる得ない現実を過ごして来たと言った方が良いかも知れない。しかし、やはりそれは決して自然エネルギーでは有り得なかった。
一度、暴走し始めた文明の象徴は人間の想いとは別に荒れ狂い、まるでそれは自然が時折見せる狂気のような凶暴性の象徴のように人間に挑んでいる。
今となっては何とか凶暴性を納め元のように静寂を取り戻して欲しいと願うばかりである。
多くの被災者が苦しんでいる中、私も日常の仕事をこなしながら何とか自分で出来る支援をしようと思う。
建築界も多大の被害を受けた、それは建物の被害は言うに及ばず建築資材を生産していた東北地方の拠点を失い多くの建築資材が手に入らなくなっている。復興にはまだ時間がかかるものと思われる。
しかし、本当の復興はまだまだこれからである。時間と共に記憶が薄れていくのではなく我々は冷静にこの甚大な自然災害のもたらした警鐘を謙虚に受け止め次の世代に受け継ぎ、必ず日本の復興を信じ力を合わせて立ち向かわなくてはなりません。
決して多額の義援金や救援物資で無くても良いのです。自分が出来るほんの少しの助け合いの気持ちが日本の復興に繋がると信じています。皆で力を合わせて復興に向けて手を繋ぎましょう。
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