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2010年12月

2010/12/25

さらば2010年

 今年も残すところ僅かになりました。皆さん、今年はどんな年だったでしょうか?今年はバンクーバーオリンピック開催やサッカーワールドカップでの日本代表の活躍等、スポーツ界でも沢山の思い出の残る年になりました。

 我が読売巨人軍は残念ながらリーグ優勝を逃し残念なシーズンではありましたが勝負の世界に勝ち負けはつきもの又、来年、頑張って欲しいと思います。一方、地元サッカーJ2のヴァンフォーレ甲府は見事J1復活を果たし来シーズンは頂上ステージでの厳しい戦いが待っています。来年は一度はホームスタジアムの小瀬スポーツ公園に応援に行こうと思います。

 それにしてもスポーツ観戦は昔から大好きなので何を見ても楽しいのですが肝心の自分の体の方が運動不足で・・・いい加減何とかしなくてはならないと思いつつ中々時間を作る事が出来ずにダラダラと今まで過ごしてきましたが本格的にこれではイカンと感じておりまして来年はスポーツ観戦はさておき自分の体を本格的に苛めなくてはこのお腹が・・・イカン!ですので来年はとにかく自分の体を鍛え直そうと思っております。

 しかし、年齢を重ねると段々一年が短くなるといいますが本当に一年が短く感じるようになってしまい、あっという間に2010年も過ぎ去ろうとしています。

 何だか段々「残された時間はどのくらい?」何て考えが頭の中をかすめる様になり人生の先輩からは「その年で何言ってる!まだまだ若い!」なんていつもお叱りを受けていますが、それでも確実に体力は落ちていく訳で・・・何とかここで歯止めをかけなくてはやばい事になりそうです。

 そこで私は2011年はマイボデイ・リフォーム年にしようと思っております。過ぎ去った過去は忘れ(笑)明るい未来を目指してもう一度、自分を鍛え直す所存であります。

 しかし今年の政局は混迷の年でしたね。元々、長年の長期政権が崩れて改革の政局になったので混迷するのは仕方ないとは思いますが、それにしても政治家の皆さんはもう一度初心に戻って誰の為に働いているのかよ~く考え直して欲しいですね。

 権力争いを余り続けていると本当に民衆からそっぽを向かれる事になりますよ。メデイアも批判ばかりして荒探しをしないでもっと大局的な見方で報道をして欲しいと思います。

 私は○○党でも××党でも△△党でもどこでも日本を良くしてくれるなら良いのではないかと思います。○○党だから××党のやる事は全て反対!何て可笑しいですよね。本当に国民の為になると思われる政策なら党を超えて審議すべきだし民主主義の本来の趣旨はそういう事だと思います。

 党に所属するから何でも党の言う事に従わなくてならないなんて変ですよね。そもそも議会制民主主義の悪しき面が出ているように思います。是非、お金の掛からない庶民の価値観に沿った政治をして欲しいものです。

 これからは間違いなく福祉充実国家を見ざしていかなくてはならない時期にきているのですから是非、来年はそういう目で政治を動かして欲しいものです。

 2011年、アシストは設立10周年を迎えます。よくまあこの10年頑張ってきたものだと思いますが近頃、特に思うんです。早稲田の斎藤投手ではありませんがアシストが持っているのは何だと問われるとそれは「仲間」ではなくて「お客様」です。

 本当に拙い会社を設立当初からオダテテ、誉めて下さったお客様に乗せられてようやく10年間、何とかヨタヨタとやってきたなと本当に思い知らされます。

 あの苦しかった時に、「あんた達なら旨くいくよ。大丈夫!」と言って下さったお客様。きっとあの時はなんかの確信がある訳ではなく、「何とかこいつらを元気づけてやろう」と思って仰って下さったのだと思いますが根が単純はもので「そうか、俺達、何とかなるかも・・・」と勘違いしてここまでやって来てしまいました。

 10年一区切りと言います。いつまでも、お客様に甘えてばかりいる訳にはいきません。来年は自分達で何とかしなくてはなりません。何をどうするか?それが分かれば苦労しないのですが(笑)その何かを探してきっと来年も、もがいて行く事と思います。

 この拙いブログを見て下さっている皆さん、どうぞ良いお年をお迎え下さい。2011年が皆さんにとって素晴らしい一年になる事を八ヶ岳の麓から祈っております。

2010/12/19

森の中の我が家

 年末が近づいたので恒例の屋根に一年間積もり積もった枯葉の掃除をすることにしました。2階のドアから1階の屋根に出てそこから雨樋のついた屋根に乗り移り箒で屋根に積もった唐松の葉を落としその後で雨樋に詰まった枯葉とカチカチに固まって凍りついた唐松の実を雨樋に手を突っ込んではぎ取ります。

 しかし、これが中々取れないんだな~。何せ一年間積もり積もってガッチリ固まってるし、そのうえにこのところの気温の低下ですっかり凍ってしまってまるで樋の形をしたアイスキャンデーの様に全体がつながっていてこれを端から順番にはぎ取っていかなくてはならず、しかも屋根の上から樋の端っこに手を突っ込む格好になるので落ちないようにしっかり身体も支えていなければならずこっちも気を使ってモウ大変です。

 作業がすっかり終わる頃にはすっかり体中、汗びっしょりという有様です。しかし、森の中に建っているいる家だからこれは仕方のないことで一年に1回だからまあ我慢してやるしかないのです。

 森の中の道の行き止まりに我が家を建ててから丁度20年になります。その間、この家で3人の子供達と猫3匹犬1匹が暮らしを共にし、人間の子供達はそれぞれこの家から旅たって行き3匹の猫と1匹の犬はその生涯を終えて今はこの家の敷地で眠っています。

 先日、ある雑誌社からこの家を取材させて欲しいとの申し出があり、今までこういう類の申し出は受けない事にしていたのですが20年になるこの家の区切りとして受ける事にしました。

 過去に一度だけ町役場の紹介だという事である人気バンドの全国ツアーのチケットの背景に使いたいからと申し出があり、どうしようかと思いましたが「どうして他にもっと立派で写真映えがするログハウスがあるのにうちなんですか?」と聞いたら「怒らないですか?」と言われ「はい?」と言うと「実は古い荒れ果てたアメリカ西部のログハウスのイメージなんです」「そのイメージにうちのログハウスがピッタリだと・・・・」「はい・・・」これには絶句しましたが余りに正直言われてしまったので引き受けるしか有りませんでした。

 このときは子供達は人気バンドのアーチストに会えたのでとても喜んでいましたが何となくイマイチ私は複雑な心境でした(笑)

 私がこの森の中に土地を求めた時は、廻りはうす暗い森が続いていて夜になると真っ暗だったのですが、そのうちに家の近くの森の中に大きな別荘地が開発され今では数十軒の家が建ち、永住者も何軒がいるようになりました。これも時代の流れなんだと思っています。

 それでも家の東側はいまだに未開発の森が広がっており毎朝、窓から見える森は四季の変化を美しく見せてくれて特に年末のこの時期は日々、夜明けの太陽が森の中から登ってくるのですが、朝食を食べながらその登ってくる太陽を眺めていると毎日、少しづつ南側にずれて行きます。

 そして、間もなくその南側にずれていく太陽もその位置が動かなくなり今度は徐々に北側に戻って行きます。考えてみれば当たり前の事ですが実際に毎日その変化を見ていると何だか何事にも代え難いような感動に接しているような気がします。

 我が家の洗面所の窓から見える景色には人工物は一切有りません。見渡す限りの森が広がっています。その森は一年の四季の変化に伴って色を変え、形を変えていきます。それは毎日見ている景色でも決して飽きる事がありません。

 これだけは本当に、この森に住んで良かったと思っています。都会では決して見る事が出来ない景色です。

 森の中に住んでいると枯葉掃除だとか薪の準備とか色々と不便な事もあります。新聞が家まで配達されないとかインターネット配線がちっとも近代化しないだとかTVが映らないだとかそりゃ色々と不便です。

 しかし、それらを差し引いたとしてもやはり私は森の中の生活に満足しています。これから先、何年ここに住んでいられるか分かりませんが許される限りいつまでもここに住んでいたいと思っています。八ヶ岳南麓の森の中が私にとっての生活の舞台なのですから。

2010/12/13

知る権利、知らない権利

 最近はインターネットが発達して豊富な情報が色々な所から入るようになり便利になりました。しかし、どうもひねくれ者の私は逆にその便利さに危いものを感じるようになってしまいました。

 というのは、その情報の発信者が個人的な価値観や偏った価値観で発信した場合に受け取る側に誤った知識を与えてしまいかねないという事です。

 昔は情報の発信源となると新聞や雑誌、テレビ、ラジオといった公共色の強いメデイアに限られていたので、そこにはある程度、情報の信憑性や複数の情報源からの確認作業等の経過をへて検閲作業が行われていたように思いますが、最近はどうもHPやブログ、ツイッター等の情報媒体を個人が自由に使えるようになったので色々な情報を個人が不特定多数の人に発信する事が可能になった反面、誤った情報が広く流される危険性も増したような気がします。

 先日の尖閣列島の映像にしてもそうですが統制を失った情報が垂れ流されるのは混乱をまねきますよね。他方、それではどっかが一元的に情報を検閲して統制された情報しか流されないようになると、今度は情報操作が行われ特定の価値観にそった情報のみが流される事になり、それも問題ですよね。

 「じゃあ、どうすればいいんだよ!」と言われると、「はて?どうすれが良いのでしょうね?」となるのですが、極論をいうと自分の感性に従って普段からアンテナを張って自分なりの情報を集めて自分の物差しをしっかり持って判断するしかなくなるのでしょうね。

 物事には必ず表の面と裏の側面があるのだから、そこを自分なりの価値観で捉えてしっかり判断するしかないのではないかと思います。そういう意味では必ずしも「知る権利」だけではなく「知らない権利」というものもあっても良いのではないかと思います。

 勿論、頭脳明晰で沢山の情報処理能力を持った方は出来るだけ多くの情報を集めて分析すればよいのだと思いますが、私みたいに情報の蓄積能力が極端に限られていて時に余った情報が片っぱしからこぼれ落ちていく(笑)なんて場合は本当に必要な情報だけ頂いて、とりあえず生きていく上で問題なさそうな情報に関しては申し訳ないが「スマン、スマン」と言いながらパスさせて貰うのもアリなのかなという気がします。

 それ程、今の世の中には私にとって情報が溢れすぎていて困ってしまうのです。つまり知っている事が幸せなのか知らない方が幸せなのか一概に言えなくなってきているように思います。

 「独裁政治は無知が生む」と言われます。私も全くそうだと思います。独裁者にとって都合のよい情報しか国民に流さず恐怖を植えつけ統治しやすくするのは独裁政治の常套手段ですが、この場合は間違いなく正しい情報を国民は知らなくてはならず、又、知る権利があります。

 昔、アダムとイブは食べてはいけないと言われたリンゴを食べた事で違った価値観を持ってしまいました、本当は神様に言われたとおりリンゴの味を知らない方が幸せだったのかも知れません。そうなったら今の人類はもしかしたら違う生き物になっていたかも知れません。(う~ん、奥の深い話だ・・・笑)

 近いところでは歌舞伎俳優さんを巻き込んだ傷害事件が起こり、双方が相反するコメントを発表しその報道を聞いている人達は一体、どっちの言う事が本当なんだ?と首を傾げる事になりますよね。

 事実は当事者のみ知る事で、どちらかが意図的に事実と違う事を述べているという事になるのか、或いはどちらも正しい事を言っていて唯、その事実の捉え方が違うのかも知れません。

 子供の喧嘩の場合はどちらも悪いという事になるのが一般的ですが・・・ああ、本当に最近は色々、分からない事が多すぎて自分でちゃんと判断していかないと、いよいよ分からなくなってしまいます。

 政治の世界も何だか混沌としてきて一体どれが正しいんだという思いが段々強くなってきます。民主党も自民党もどっちもどっちかな~折角の改革のチャンスなんだし、国民が折角、改革を望んだんだからしっかりして欲しいですよね。

 一番、残念なのがあの国会でのヤジ合戦。政治家の先生達は小学校で「発言する時はちゃんと手を挙げて発言しましょう」「人の話はちゃんと聞きましょう」と先生から教わらなかったのでしょうかね。国会中継はヤジを聞いているだけでもう嫌になってしまいます。国民の血税はヤジを飛ばして欲しくて納めている訳じゃないんだからしっかり議論をして欲しいですね。

 今年もあと僅かです。幸せな年末・年始を迎える為に情報を良く吟味して、くれぐれも振り込み詐欺等の誤った情報を信じないように注意しましょうね。

2010/12/04

庄内映画村へ行ってきました

 山形県に「庄内映画村㈱」という会社があります。たまたまそこの社長さんが八ヶ岳に在住で親交があり、一度八ヶ岳の仲間で庄内に行って見てこようという事になり、今回思い切って仲間10人で庄内映画村に行ってきました。

 もともと映画は大好きなので一度、この映画村代表のUさんに頼まれて「蝉しぐれ」の子役さん達の清里合宿のお手伝いをした事がありました。その頃からUさんはこういう仕事をされているんだと認識はしていたのですが昨年、その庄内映画村で撮影された「おくりびと」が日本初の米国アカデミー外国語映画賞を受賞し一躍、庄内映画村は有名になりました。

 それ以来、一度この庄内映画村を見てみたいという思いが募っていたのですが中々チャンスがなくて行けなかったのですが今回、思い切ってやっと行く事が出来たという訳です。

 私が何故、この庄内映画村を見たかったかというとUさんから漏れ聞くその映画村の誕生過程や地元との関わり方、映画のオープンセットを単なるオープンセットとして終わらせずに地元活性化につなげたその理念等にとても興味があったからなのです。

 私の中で映画というものは多くのスタッフと俳優さん監督さんとの人間的な繋がりで創り出す一種の芸術作品だという思いがあります。今回の庄内映画村はその人の繋がりが映画関係者にとどまらず地元の人達も巻き込んだ地域の事業として成し遂げられたのではないかという勝手な想像を働かせていたのです。

 今回、実際に自分の目で見て、いかに庄内映画村が地元で迎えられ溶け込んでいるかを実感した思いがあります。Uさんはもし「おくりびと」の成功がなかったら今の映画村はなかったと仰っていましたが確かにそういう一面もあったかも知れませんが逆にいうと庄内映画村の環境がこの「おくりびと」を成功させたといえるかも知れないなと私は感じました。

 私は映画というものは夢を売っていると思っています。夢には関わった多くの人達の思いが込められています。その思いが強ければ強い程、夢は膨らまなくてはなりません。私は「おくりびと」を甲府の映画館で観終わった時「この映画は必ず成功する」と確信しました。

 それほど映画の切り口が新鮮で今までの映画にはない面白さがあったのです。ストーリーそのものはそれほどシリアスな内容ではなく、涙あり笑いありの内容なのですがそれがとても映画の内容と出演者の個性に違和感なく浸透していました。

 私は映画の世界には全く素人なので作り手の苦労は想像するしかないのですが、今回、オープンセットや実際に「おくりびと」で使用された現存する建物を見てその大変さのほんの一部を垣間見たような気がします。

 私はこの庄内映画村のケースが地域活性化のヒントを与えているような気がしてなりません。別にこの映画村を八ヶ岳でやろうという単純な事ではなく人と人が手を繋ぎ何か面白い事、夢のある事、楽しい事、地域性をアピール出来る様な事が無いのかな?と思うのです。

 活性化はビジネスとしても勿論、成立しなくてはなりません。しかし反面、利益のみを追求しても面白いものは出来ないと思っています。何か人が楽しい事、夢の持てる事を地域で一緒にスクラムを組み手を取り合って立ちあげて、その結果、地元に経済効果をもたらすのが一番望ましい地域活性化ではないかと思うのです。

 そういう意味でこの庄内映画村は成功した一例ではないかと思います。さて、この八ヶ岳南麓になにがあるでしょう?何をすれば面白いでしょう?

 来年は知人から婚活イベントを手伝って欲しいとリクエストされています。「ログハウスと婚活」果たしてこのミスマッチは受け入れられのだろうかと思い一時期は「ウンウン、面白いね」と言いながら具体的な行動に移る事はなかったのですが先日、とうとう捕まってしまい、やる事になってしまいました。

 婚活と映画村は全く違うものですが、どちらも人が大きな役割を果たすと言う事では似ているような気もします。「この人なんとなく好きかな?」「この映画、何だか面白そう・・見る?」は似ている。果たしてどうなるか・・・

 経済的疲弊が続く世の中、工夫次第でお金では得られない夢が持てるかも知れませんね。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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