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2010年11月

2010/11/27

旅の情景

 先日、所要で田舎の高知に、帰ってきました。両親の世話もあるのでいつも夫婦で帰るのですが、今年はご存じのようにNHKの大河ドラマ「竜馬伝」のお陰で高知行きの飛行機はいつもほぼ満席です。

 おまけに時期的に農家さんの農閑期に当たるのかそれと思しき方が結構いらっしゃいました。空港行きのバスのなかでも地元の農家の方と思しき8人くらいの方が一緒に乗り込まれ「いや~楽しみにしていたらアッと言う間に来ちゃったな~」ととても嬉しそうに話しておられました。

 羽田空港も国内線ターミナルの増改築工事が終わって少し広がっていつもと雰囲気が変わっていました。自分がこの仕事をする前に、この空港の仕事に関わっていたので何だか感慨深いものがありました。

 もともとホテルだとか空港ターミナルだとか色々な人がこれから旅立ったり、逆に帰ってきたり、それを見送る人、迎えに来た人、そういう人間の感情が行きかう場所の雰囲気がとても好きなので空港で自分の乗る便の時間になるまでそういう空間で繰り広げられる人間模様を見ていると時間が経つのも忘れてしまいそうです。

 勿論、自分もその中の情景のひとつになっている訳なので他の人が見れば私もそういう空間を行き過ぎるひとつの光景になっているのでしょうね。しかし、あれですね。ターミナルビルというのは本当に様々な事情で旅に出る人達が集まっている場所なのでその光景は本当に千差万別ですね。

 ビジネスで出張する人達はあまり表情に浮かれている雰囲気はなく(当たり前か・・・)単なる移動手段として来られているので比較的荷物も少なくスーツ等の仕事着の人が多いですね。子供連れの方達は実家に帰られるのか、あるいは家族旅行なのかやはり顔にどこか嬉しそうな雰囲気が漂っています。

 私達夫婦みたいに用事があってどこかへ行かなくてはナラナイといった雰囲気の人は「ま~じゃ~そろそろ時間だから行きますか?」みたいな感じが漂ってきます(どんな感じだよ!)若いカップルの方達はどこかに旅行にいくのでしょうか、明らかに「私達幸せ・・・」みたいなオーラをそこらじゅうに振りまいていますね。

 しかし、これがたまに「バカップル」みたいなのに遭遇してしまうと出来るだけそいつらとは離れて関わらないようにしようと思ってしまいます。今回も時間待ちでお茶をしている時に斜め前の若いカップルのうち女の子の方がやたら「ギャハハハハッ」と笑いながら辺りかまわず手を叩いて煩いのなんの・・・我慢して無視していましたが段々腹が立ってきて思わずテーブルの下で拳を握りしめ(笑)女房に向かって「帰るぞ!」と言って席を立とうとすると女房殿が「何怒っているの?まだ飲んでるんだけど・・・」とあっけにとられていました。

 私には耐えられない光景なのですが一般の人には全く問題無いようで、きっと私だけが異様に反応してしまうのでしょうね。それにしても最近こういうバカが多くて困ってしまいますね。自分の事しか考えないのか?時と場所をわきまえるという事を知らないのか、ただのバカなのか、はたまたこういう風に考える私がイケナイのか(笑)とにかく色んな人がごっちゃに集まるのがターミナルですね。

 そういえば飛行機の機内の雰囲気は最近微妙に変わってきた様な気がします。大抵、機内の前方にはエグゼクテイブな方達が「私ら高いお金払ってるからね・・・」という雰囲気で座っておられて我々庶民はそのエグゼクテブな方達の間を通りすぎて狭い通路の奥に向かう訳になるのですが最近は機内の飲み物も大半は有料になっているので「何か飲まれますか?」と聞かれると「イヤ、いいです」と断るのですが「冷たいお茶は無料ですけど・・」なんて優しく言われると「あっ!それ頂きます(笑)」何て事になります。

 機内持ち込み手荷物の基準も厳格になって大きな荷物は持ち込めなくなったし金属や電子機器やペットボトルの水何かもすべてチェックされるようになりました。

 だから私はポケットの中の携帯電話や財布も含めて全部トレイに出して別にして手荷物検査場を通るようにしています。それから搭乗口でのチケットレス化が全面化されていますが最近は携帯電話で搭乗手続きする方が増えてきましたね。

 何だか一昔前からみると全く違った光景になってしまいました。旅の情景も年月の変化で変わってきてしまいました。

2010/11/20

Noと言うからには・・・

 最近、TVのニュースを見ているとやたら政治家や企業・行政・教育関連の不祥事が報道される事が多いですよね。でもそういうのを見ていて思うのは人を批判するのは簡単だけど大事なのはその先じゃないかなといつも思う。

 私は自分が大した人間じゃないので社内でもいつもスタッフには「そんなに立派な人間なんていやしない。皆なそんなに変わらない」が口癖になっています。

 鳴り物入りで誕生した民主党政権も野党として与党を批判する立場から与党として現実を見なくてはいけない立場になると途端に勢いが無くなって来ましたよね。米軍基地問題だって反対と言っているうちは良いけど、じゃ具体的に「どうするの?」となると途端に話がおかしくなってきた。

 でも国民は今の政権を選択したのだから何故、彼等は与党になったのかをしっかり考えて欲しいと思います。「あのときは批判すれば良かったから言ったけど、現実は簡単では無かったです」では何の為に選挙をして国民の選択を仰いだのか分かりませんよね。

 野党も人の揚げ足ばかり取らないで政治論争をして欲しいですよね。人の揚げ足を取り上げて批判するのも良いけど国民はそんなに馬鹿じゃないですよ。

 私はいつも不思議に思うんだけど予算審議になると何でスキャンダル探しが始まるのでしょうね?予算の執行を審議する場なのに全く関係ない事で揉めて審議拒否・・・そりゃないよ。

 政治家は自分の所属する政党の為に働いているのか国民の為に働いているのかと聴きたくなりますよね。小さな政府、お金が掛からない政治を目指すと言うから今の与党を支持した人もいると思うのによく聞いてみると「沢山給料頂いている様に見えるけど実際は事務経費を差し引くと殆ど残らないですよ」なんて開き直っている人もいるし、私なんか「うん?だからお金の掛からない政治活動を目指すんじゃないの?」と良く分からなくなってしまいます。

 「失言」ていう言葉もよく聞くけど私は「失言」という言葉の意味が良く分らないのです。その場では言ってはいけない内容の発言をうっかり言ってしまった現象を「失言」というのかと思いきや最近は、自分の思っていない事を間違えて伝えた事を「失言」と言うらしい。

 だから政治家の方は「自分の意思が誤って伝わり多くの方に多大な迷惑をおかけした事をお詫びします」ていつも言うけど、でもどう考えても自分が本当は思っている事を隠して普段はさしさわりのない事を偽って言っていたのについ本音を言ってしまったんだろなと思えるんだけどな。

 大人なんだから思っててもここでいっちゃマズイでしょ・・・と言うことじゃないのかな?私なんかしょっちゅうあるけどな。だから私なんか「出来るだけ余計な事は言わないでおこう」なんて固く決意する事が多いのですけどね。

 そう、皆んな大した事無いんですよ。人は誰しも間違う事だってあるんです。でも問題はその先だと思うんです。間違った人を片っ端から批判して辞任させて頭をすげ替えてそれで良くなるのかな?そりゃ勿論、程度問題だけど私は批判からは何も生まれないと思います。大事なのは批判するならその代案を示すべきだと思います。

 NoというからにはNoと言う責任が必ずあると思うのです。事業仕分けだって圧倒的に仕分け人の方が優位な立場で議論するわけだからNoと批判するのは簡単です。でも、結局Noと言った言がNoにならないで続くのなら何の為のNoだか分かりませんよね。

 昨年の事業仕分けである人が「何故一番でなければならないんですか?2番ではダメなんですか?」と言っていたけど私は分野によっては1番と2番では全く違うのではないかと思います。スポーツの世界でも世界一と世界第二位では全く違います。科学の分野なんかでも全く違うのでは無いかと思います。問題はそうではなくて今はお金が無いのだから2番でも我慢するか、お金を掛けないで一番になる方法を考えるかではないのでしょうかね?

 事業仕分け自体は国民に普段見えない事を可視化するという大事な改革だと思いますが批判で終わらすのではなく法的な根拠をもたすなり再審議も認める道を残すのも必要なんでは無いかと思います。あっ!気がつけば又、自分もNoと言ってるか・・・大したこと無いくせにね・・・

2010/11/13

ねこの気持ち

 最近、めっきり寒くなって俺たち猫にとっちゃ厳しい季節が来たもんだ。俺たちが(おっと俺と姉さん猫の2匹だけどさ)この山奥のログハウスの家に連れてこられたのが2月だからもうすぐ9カ月か・・・早いもんだぜ。

 すっかり、この家の飼い猫になっちまって何不自由ない生活おくってるけど、この寒さだけは勘弁してほしいもんだぜ。何せ飼い主のやつらが出掛けると寒くてたまんねえ。せっかくウッドストーブがついてて暖かくてウトウトしてたのに何も消す事ないじゃねえか。寒いったらありゃしない。あ~早く帰ってこないかな~せめて炬燵だけでも付けといてくれりゃ暖かいのにケチだから全部切っていきやがる。

 以前、マッサージチェアの上で遊んでたらうっかりスイッチを足で踏んで動かしてしまったらそれ以来、飼い主のやつ全部の電源、切っていくようになっちまって全くケチくさいったらありゃしない。おかげで日中は天窓から入ってくるお日様の明かりを追っかけて移動しながら寝るしかなくなっちまった。

 でもこのお日様、うっかり長く昼寝してると気が付いたらすっかりあっちのほうへ移動しちまって寝場所は陰になってて寒くて気がつくなんて事がしょっちゅうで不便でたまんねえ。

 それに最近は俺らの周りでやたらとピョンピョンと飛び回るちっちゃなバッタみたいなやつがウロウロしていてこの前、片っぱしから捕まえて食っちまったら何だかお腹痛くなっちまって困ったっけ。そういえばこの前、飼い主のメスの方が俺たちが食い残したバッタの足が部屋中に散乱しているのを見てきゃ~きゃ~騒いでいたっけ。あれ、結局飼い主のオスの方が始末してたっけ。こちとら感謝されても怒られる筋合いはないもんな。食ってやったんだから・・・

 それから最近、夜になるとやたら床下でガリガリ音がするんだけどありゃ、ネズミだな。一度、出てきたところを押さえつけて首根っこ噛みついて殺してから朝、飼い主に見えるようにほっぽり出しておいたら「ヒエ~~」何て騒いでたな。でもあの時はオイラ頭撫でられて「エライエライ、良く捕まえたね」って誉められたもんな。どうやらネズミを捕まえると喜ばれるみたいだな。

 しかし、この前あんまり寒いから風呂の蓋の上で横になってたら隙間から下に落っこちちゃって驚いたのなんの、あの風呂の中っちゅうのはとんでもないとこだね。何だか生ぬるい水が溜まってて幸いそんなに深くなかったから死なずに済んだけどもう少しで溺れるとこだったぜ。

 といっても自力で逃げる事が出来ずにオイラがあんまり騒ぐんでメスの飼い主が気がついて溺れそうになってるオイラを風呂の中から救い出してくれてビショビショになった俺を優しく拭いてくれたから助かった様なもんだけどね。

 この前もあんまり寒いからオスの飼い主の腹の上でまったりと丸まっていたらいきなりオイラを下ろそうとするもんだから思いっきり手を引っ掻いてやったら怒られた怒られた・・・こっぴどく怒られたな~。

 だって眠い時に動かされるとつい引っ掻いちゃうんだよね何せ俺たち猫だからね。でも飼い主のやつらは何だか「躾だから、怒らなくてはだめ」なんて分かった様な事言っちゃってさ。俺たちの頭の大きさ考えりゃ分かるだろうに、そんな難しい事言ったって理解出来る訳ないでしょ。

 それより俺たちの気持ちを理解して欲しいんだよな~眠い時には動かさない。引っ掻かれたくなかったらね。

 俺たち遊びの天才だからどんなとこでも登っていっちゃうけど何だか俺たちの飼い主は外で遊べるようにでっかいネットを張った物干し場を作ってくれたのは良かったんだけど、ところがどっこい俺たちを甘く見てまさかこんな上にはいけないだろうってんで天井の一部をネット張らなかったんだけどちゃっかり姉さん猫はそのネットに張り付いて上まで登ってしっかり脱走しちゃったんだよね。

 すぐ捕まっちゃたけどさ・・・「どっから出たんだろ?」何て不思議がってわざともう一回姉さん猫をネットの中に放して陰から脱走ルートを確認してから結局、そのルートも塞がれちゃったけどさ、その時はオスの飼い主は盛んに感心してたよな。「よくこんな所から脱走できたな~信じられない」何ていってたけど俺たち猫を舐めちゃいけないってんだよ。

 エッ?俺?俺はホラッちょっと体型に問題があってそこまで行けねえんだよ。しょうがないだろ美味しいもの食ってゴロゴロしてりゃ人間だってそうなるでしょ。猫だって同じなの。アッ!メスの飼い主が帰って来た。わ~いオヤツが食べれるぞ~。ごろにゃ~ん。

2010/11/06

八百万の神様

 日本には沢山の神様が居ます。生まれたときは御宮詣りし結婚式は教会で・・葬式になると仏様にお願い、なんて本当に多くの神様に頼る事になります。しかし、考えてみるとこんなに信仰に関しておおらかな国はないかも知れませんし、それはとても幸せな国だと思います。

 昔に遡れば廃仏毀釈だのキリシタン排斥等の歴史もありましたが今ではそんな事は微塵も感じられないどころかTVを見ていると「へ~こんな宗教が最近あるんだ」とか結構、危ないものもあったし実際に大変な事件を起こした事もありましたね。しかし、大半の宗教は真面目に色々と信じる神を信仰しているのだと思います。

 ここ八ヶ岳の周辺にも色々と神様が宿っているようで時々、私の知り合いでそれが見えたりする(笑)人がいるもので「ほら、又、あそこで何か言っているよ」なんて平気で人に話かけたりするものですから「あのね、私に話すのは良いけど知らない人にそんな事言わない方が良いよ。変な人だと思われるからね」何て話をする事があります。

 しかし、仕事柄、山の奥深くに入る事があるものですから、そんな時に「何か居る」なんて思う事はしょっちゅうあります。私は霊能力者でもなんでもない俗悪(笑)な人間ですので実際に見えたりする訳ではないのですが何となく見えそうな木がするのです。

 実際に樹齢も200年生、300年生以上の木になると威厳が全然違ってきて、なんだか神様のような姿に見えてくるから不思議です。

 世の中に神様がいるかどうか?それはその人の心が神様を必要としているかどうかでは無いでしょうか。「俺は神様なんか信じない金だけが全てだ(笑)」なんて昔の映画の悪役のような人には決して神様はついてこないでしょうし、様々な苦悩を背負い込んで何かにすがらないと生きていく希望が持てないなんて人には神様は最後の砦でしょうし、宗教色の強いお国柄のところでは生まれた時から信仰心を植えつけられて必然的に唯一神を信仰するようになるでしょうし、その事情は様々だと思います。

 しかし、色々な事情はあるでしょうが自分が信じるものを自由に信仰できるという事は本当に幸せな事だと思います。近年のようにある程度、物質的な発展を遂げた現代ではこれから精神的な安定が求められる時代になっているように思います。あまりに急激な経済の発展により失ってしまった心の安定を取り戻すべく又、八百万の神にお出まし(笑)願わなくてはなりません。

 私は森の中に住んでいて八ヶ岳の美しい自然を毎日見る事でとても助かっています。晩秋を迎え森の中には一年で最も美しい衣をまとった神様が姿を見せます。私には何にも言ってはくれませんが黙って何物にも代えがたい美しい姿を誰にでも見せてくれます。それを森の神様と見るのか、ただの観光客が喜ぶ紅葉シーズンの姿とみるのかは個人の自由ですが少なくても私には森の神様が一年でこのシーズンだけ見せてくれる美しい姿です。

 そういう意味ではここには八百万の神が住んでいるのかも知れません。私には残念ながら姿が見えないので何とも確信は持てませんが見える様な気はします。「何だよそれ」と笑わないで下さい。見えそうな気がするだけなんですから・・・いつもの事ですが夜の森の中の1本道を車で帰っていると闇の中からキツネやタヌキやアライグマが飛び出してきてはヘッドライトの中から闇の中に消えて行きます。ある意味、彼らも森の神様かもしれません。

 でも彼らが居る限り八百万の神は森を見捨てないで住み続けてくれるのかも知れません。無秩序な伐採や乱開発を繰り返せばいくら寛大な八百万の神様でもあっというまに姿を消すことになるかも知れません。

 数年前に樹齢何歳だか忘れましたが数百年の杉を伐る事になり、さすがにこの伐採に携わる人達は恐れを抱き、知りあいの神主さんに伐採にあたり森の神様に許しを請い私もその伐採の様子を後で写真で知らされました。さすがにこのクラスの木になるとどんな人でも伐るのは怖くなります。何かに許しを請い、その上でなければ伐れません。逆に言うとそれだけ恐れを知っているという事だと思います。だから八百万の神様の出番になるのです。

 日本に生まれて本当に良かったと思います。今年ももうすぐ終わります。そうすると、最近はなんだかハローウインだのクリスマスだのお正月だの初詣でだのイベントが沢山あり八百万の神様は大忙しになります。そのうち神様も掛け持ちなんてのも出てくるかも知れませんね。

2010/11/01

1400年の時を刻んで・・

元興寺屋根裏探検 019 元興寺屋根裏探検 044


 先日、奈良へ行って来ました。奈良は今年、平城遷都1300年祭が行われており多くの人で賑わっています。しかし、我々は別にその遷都祭を見に行ったわけではなく、知り合いの林業家や大工さんたちと一緒に国宝の元興寺(ガンゴウジ)を見にいったのです。

 普段は国宝として非公開となっている元興寺禅室の屋根裏を30分間だけ見せてくれるというので林業家の知り合いに予約して貰って一緒に見学させて貰いました。

 この元興寺は平城京遷都に際して建てられたものではないかと言われ諸説があったようですが今回、この元興寺に使用されている部材を測定したところ更にその創建(西暦718年頃)から遡り西暦590年頃の飛鳥時代に伐採された檜が使われている事が分かりました。つまりこの木は1400年余りの歴史を刻んで今でも現役として建物を支えている事になります。

 勿論、全ての木がその時代のものではなく幾度となく修復を加えられて現代に受け継がれてきたのですが、それでもその姿は昔の面影を現代に伝えています。

 今回、平城遷都1300年祭に際して国宝「元興寺」屋根裏探検と称してこのイベントが行われたのですが、我々がこれを見て、では具体的に何か分かる事とか役にたつとかとういうものでは無いのですが、何か感じるものがあるのではないかと思って屋根裏に乗り込んだのです。

 最初に受付で受付を済ませヘルメットと何故か懐中電灯を受け取り一通り注意事項を聴き終わったら仮設階段を登っていよいよ屋根裏部屋に侵入です。

 ボランテアの若い女の子が先頭に立って色々と説明してくれ、もう一人屋根裏には中年のボランテアの方が待機していて色々と説明してくれるのですがそこはそれ、何せ大工と工務店と設計事務所の集まりですので説明なんか聞きゃしない。「何だこの継手は、こりゃ後からくっつけただな・・バカいえお前にこの継ぎ手の意味がわかるかよ・・・」云々・・・しまいには説明してくれていたガイドの方が「あの~建築関係の方ですか?」と若干迷惑そうな声・・・「スミマセン、つい夢中になてしまって・・・」「ヤッター、国宝に触ったぞ俺」「止めなさいよ本当に・・・」等々、あちこちデジカメで撮りまくり慌ただしく30分間が過ぎて行きました。

 丁度、台風が通過したばかりで天候が悪く生憎の雨空でしたが貴重なものを見た想いがします。その後、近くの会場でこの元興寺の昭和大修理の模様を専門家が解説してくれるというので慌てて会場に駆けつけて眠い目をこすりながらその模様をしっかり聞いて来ました。

 えっ?屋根裏を見た感想はどうだった?ですか・・・そうでうね正直言って非常に庶民的な改装のような印象を受けました。正直、国宝でもあるし、もしかしたら「世界最古の木造建築物と言えるのかも知れない」なんて意気込みがあって緊張して望んだですが元興寺そのものの歴史が繁栄を極めた飛鳥時代から徐々に衰退をし僧坊として用いられ質素で庶民的な建物として正に庶民が支えていった建物として存続したようです。

 ごく私的な見方ですが屋根裏もそうした背景からか見えない部分は物置として使われていたり、あちこちから集めてきた部材を繋ぎ合わせて使っていたり意外と見えないところは工夫して繋いでいました。まさにお坊さんが托鉢を糧として暮らしていたようなそのままの雰囲気が漂っていました。

 そしてこの寺がそうした歴史を背景としてユネスコの世界文化遺産のひとつとして登録されているという事実をもっと誠実に受けとめなくてはならないと感じましたね。1400年前のキコリが1本の檜を切り出し、そしてろくに道具を持たない職人達が建築用材として加工し飛鳥寺の部材として建てたものが大切に移築されて修復を繰り返しながら1400年の風雪に耐えてきたという事実、これは日本人として世界に誇れる事だと思います。

 文明が発達し便利さも極限にまできたような気もする現代社会ですがたまには1400年前の木の囁きに耳をすませてみるのも癒されますよ。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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