« 2010年8月 | メイン | 2010年10月 »

2010年9月

2010/09/27

本との付き合い方

 私は毎晩、寝床で本を読むことにしています。子供の頃はガキ大将で外で悪さばかりしていたので本とは全く付き合いがなく、それが今でも悔やまれるのですが今更、悔やんでも遅いので、せめて今からでもと毎日、寝床で本を読むことにしています。お陰ですっかり視力が落ちてしまい、余り良くないのかも知れませんがそれしか時間が取れないので夫婦で寝床で本を読む習慣が付いてしまいました。

 その為に寝床にはこれから読む本と既に読み終わった本がうず高く積み上げられていて、もし地震がきたらきっとこの本の下敷きになって息を引き取るかも(笑)と真剣に思っておりいつかその前に片付けなくてはと思っています。

 東京でサラリーマンをしている頃は通勤時間に2時間ほどかかったので、あまりにその時間を持て余してしまい。最初は新聞やらを広げて見ていたのですが荷物になるし混雑すると見にくいしと言う事で何となく本を読むようになったのが現在の活字中毒の始まりなんですが、いつしか読書記録を付けようと思って付け始めたのは良かったのですが或る日、パソコンが壊れてすっかりデータをなくしてしまい、それから再度つけ始めた記録が現在約500冊程度です。

 東京にいる頃は近くに図書館があったので良く子どもたちの本と一緒に借りに行きましたが現在の山の中の生活では図書館に行く機会も段々減ってきて、時たま本屋に行って当分の本を買い漁ってきたり古本屋に行って掘り出し物を探したり、最近は話題の本をネットで購入したりというのが購入のパターンですね。

 たまに出張や旅行に行く移動時間は絶好の読書タイムで他人からは「良く酔わないね」と言われますが面白い本を読んでいる時は全然、気にならないですね。ただ、困るのがクライマックスシーンや泣かせる内容に引き込まれてしまうと涙が止まらなくなってしまってバスや電車で隣に知らない人が座っていたりするとメガネが曇った振りをしてそれとなく瞼をぬぐったり目が疲れた振りして目頭を押さえたりしてしてごまかさなくてはならなくて(笑)本当に困ってしまいます。

 そりゃ、隣に座ったイカツイオジサンが突然、肩を震わせて泣いてたりしたらどう見ても可笑しいですもんね。こっちもそりゃ気にします。

 特にこの季節は長編モノを読みたくなる傾向があり読書好きにとってみてはタマラナイ季節ですね。それから、最近は本屋に行くと「店員オススメ」とか「本屋大賞」とか「このミステリーが面白い」だとか活字中毒者にとってはタマラナイ誘い文句が店内に充満しておりもう、「全部くれっ!」と思わず叫びたくなる状況です。事実、中をペラペラと読むとあれもこれも面白そうで迷う迷う(笑)。

 最近はそんな本屋事情も変わってきて世界的な電子書籍ブームで紙の本が減ってくるのではないかと思われます。事実、なかなか本屋さんの経営も苦しいんだそうです。私にとっては少し寂しい感じがしますがこれも世の中の流れなんでしょうかね。

 そりゃ枕元にうず高く積まれた本の下敷きになって死ぬより電子書籍の端末一つで身軽にアチコチ持って行けたら便利で、そうなれば旅行かばんに何冊も本を詰め込んで移動する必要もなくなり、それはそれで便利かもしれません。

 でも何だかそれだと本の装丁や挿絵や持った感触やカバーの質感が味わえなくて少し寂しいですよね。でも字を読むという作業そのものは余り変わらないのだからそれはそれでも良いのかも知れません。それでも今まで読んだ本でやはりこれは最高だったという本はやはり持った感触や装丁の雰囲気を覚えていて私みたいに感覚だけを頼りに生きている人間には大切な感覚で有る事は間違いなく難しい選択ですね。

 家で読むときは原本で、移動するときは電子書籍で、なんて住み分けられたら便利でしょうね。

 これからも活字という媒体は人間のコミュニケーションのツールとしては大事な手段で有る事は間違いないと思いますが、その手法は段々、変わっていくのでしょうね。

 文壇の書評や様々な大賞でも最近は若い作家の方が活躍されていて、それはとても未来にとって明るい材料で素晴らしい才能が育っているなと感じます。そして、その本を原作とした映画の世界も広がってきてそれはそれで又、面白い現象だと歓迎しています。

 自分が原作を読んだ時に抱いたイメージと映画になった時に見た感覚が果たして一致するのかそれとも全く違ってしまうのか?それは原作を先に読むか後で読むかによっても大きく違ってきます。そんな捉え方で本との付き合い方を考えるのも面白いかもしれません。私は断然、原作を先に読みたい方ですけどね・・・

 さて、先日、飛行機の中で涙が止まらなくなって困った文庫本の最終章、今晩はじっくりと寝床で読もうっと。

2010/09/20

B級グルメな秋

 暑かった今年の夏も漸く観念して八ケ岳高原の空気もすっかり入れ替わり涼しい秋風が吹くようになって来ました。

 この季節になるとここでも色んなイベントが開催されるようになります。昨日はなにやらB級グルメのグランプリで地元甲府の「甲府鳥モツ煮」が見事グランプリを取りました。

 この「鳥モツ煮」なぜか地元では蕎麦屋のメニューで必ず出ます。近くに大衆蕎麦屋がありそこでは「蕎麦のお代わり自由」というメニューがあり、食べた蕎麦の枚数で番付が付けられて店の壁に貼り出されていました。この「蕎麦のお代わり自由」というメニューに何故か鳥モツ煮が付いてました。

 兎に角、肉体労働で腹が減る職業ですので同じ料金で腹一杯食べられるこのメニューが我々の間では人気で昔は良く食べに行きました。この蕎麦を沢山食べるには一つコツがあり、先にこの鳥モツ煮を食べない事だったのです。先にこの鳥モツ煮を食べてしまうと、お腹が張って後の蕎麦が食べられなくなるからというのが勝手に決めた私のコツだったのですが昨日のこのB級グランプリ優勝のニュースを見ていて懐かしく思い出してしまいました。

 もともと、甲府の蕎麦屋さんが昔、捨てていたモツの切れ端が勿体ないので何とか利用出来ないかと考えてつくったのがこのメニューだそうで、それで蕎麦屋さんのメニューになったと言う訳です。しかし、これが一番美味しいB級グルメに選ばれるのですから分からないものです。

 この辺りは山岳地帯なので料理の素材としてはそんなに有名なものや飛びぬけて美味しい料理というものが無く「ホウトウ」がかろうじて知られている程度です。特に私なんか海の近くで育ったのでいつも新鮮な海の幸が手に入り当たり前のように美味しい刺身や魚料理を食べていました。だからここ八ケ岳高原に来て一番ガッカリしたのは美味しい刺身が食べられないという事でした。スーパーで刺身を買ったらまだ凍結していてシャリシャリと口の中で音がして泣きたくなりました。

 地元の高級料理で「煮貝」というのがあり贈答品として数万円するものもありますが元々は海で採れた貝を山梨まで腐らせずに運ぶ工夫として考案された料理のようです。

 この辺りは山に囲まれているので時々「ジビエ料理」として猟師さんが取った獲物を食べるのに呼んで頂ける事があります。イノシシ鍋なんていうのもその一つですね。イノシシの肉は臭くて新鮮でないと中々食べられないのですが、一度、イノシシの焼肉パーテイーに呼んで貰った事があり、食べ終えた後、自分では気が付かなかったのですが暫らく体中に獣の匂いが染み付いて抜けなくなり困りました。

 地元ではジビエ料理として鹿肉も食べますが元々は馬を良く食べたようで地元の知人から「今日バカ肉料理やる?」と言われ「何それ?」と聞くと「馬肉と鹿肉を一緒に食べるから馬鹿肉」と言って笑われました。

 それから忘れていけないのは「ヘボ料理」「ヘボ」と言っても別に失敗した料理の事ではなく地元の人は「地蜂(ジバチ)」の事を「ヘボ」と言います。このジバチをとってその幼虫を食べるのです。

 どうやって捕まえるかというとジバチが居そうな所の木の枝に鶏肉でも何でも餌をぶら下げます。それを取りに来たジバチを捕まえてその足に飛ぶのに支障が無いように糸とか綿とかの目印を括りつけて離すのです。そうして飛び立ったジバチを何人かの男たちで見逃さないように一斉に追いかけるのです。

 皆、いい歳した大人が空を見上げて「あっちだ!こっちだ!」といいながら追いかけるので知らない人にとっては何事かと思えます。そしてこのジバチが巣に戻ったところを確認して後で巣を掘り出して幼虫を取り出すのです。大抵、近くの地面の中に巣を造る事が多いので皆で地面を掘り返して巣を取り出します。

 そしてこの幼虫を軽く焙ってそのまま食べたり、ご飯の上に掛けて食べたそうです。当時としては貴重な蛋白源であり子供達のおやつとしても又、大人の娯楽でもあったようですが、今では高級食材として知られるようになりました。しかし、このクネクネ動き回る幼虫を見ると最初は中々口には入れられないし、私は今でも遠慮したい食材です。

 そういえば最初にこの町に来て駅前のラーメン屋でビールを頼んだときの付きだし料理はイナゴの甘露煮でした。何とか口に入れたけどあの長い足が歯に挟まって困ったな~(笑)

2010/09/13

暑いのが好き?冷たいのが好き?

 別に食べ物の話じゃありません。今年の夏は本当に暑かったですよね。昨日も仕事で甲府の近くで打ち合わせしてたんですけど昨日の甲府は日本で2番目に暑かったらしくて、とても9月とは思えませんでした。確か37度以上あったと思います。体温より高いし全くどうかしてますよね。

 昔、学生の頃、友人で北海道の網走に住んでる奴がいて一度、私の故郷の高知に遊びに来ないかと誘って年末に一緒に下宿していた東京から高知に帰った事があります。

 12月なのでいくら高知と言っても私には寒かったのですが彼が言うには網走の夏くらい暑いと言う事でした。

 私はもともと高知の出身なので寒さは苦手で、前述の友人のところへ今度は私が冬に遊びに行く事になり函館から入り、すぐさま風邪をひいてしまい、札幌に着いたあたりで余りの寒さに耐えられず友人に電話して「風邪ひいたから俺、高知に帰るわ」と告げて飛行機に飛び乗り速攻で温かい高知に逃げこみました。

 そんな私が標高1000mの八ヶ岳の麓に住むようになるんですから分からないもんですよね。

 昔、ここ八ヶ岳に住もうと決心して土地探ししている時に長野県側の冬の富士見高原辺りを探していて、小雪がチラチラ降って来てこりゃ寒くてタマランと思い八ヶ岳方面に逃げてきましたが用事があって小淵沢駅に車を止めて構内に入ろうとした時、木枯らしが吹いて来て(これが冬の八ヶ岳降ろしという季節風でした)物凄く寒く感じて実は本当はこんなに寒い所に住めるのかなとちょっと不安になったのを覚えています。

 あれから20年の歳月が過ぎて今から考えればあの頃は確かに今に比べても寒かったような気がします。今は温暖化の影響で冬も昔程寒く無くなりました。

 子供達も冬は学校が始まる前に畑に水をまいて造ったスケートリンクでスケートを楽しんでいましたが今ではスケートリンクなんて氷が張らないですもんね。

 私の体もすっかり高原の生活になれてしまい。今ではこの夏の暑さと冬の寒さを比較してどっちかを我慢しなくてはならないと言われれば迷わず「冬の寒さを我慢します」と答えますね。それぐらい今の夏の暑さは我慢出来ません。

 幸い、ここ八ヶ岳高原はお陰さまでそれでも涼しく夏でもエアコンは不要だし、夜も布団掛けないと風邪ひくし、全く有り難い事です。 

 もう夏の高知には住めないかも知れませんね。しかしこのまま温暖化が進むとこの辺りはどうなってしまうのでしょうか?今年はなんだか山の中の木も枯れ出した木が多く、気のせいか木も弱ってきたような気がします。きっと充分な水分がとれないのでしょうね。

 ここ高原の八ヶ岳では感じた事はありませんが高知では暑い真夏の時期、一番耐えられない時間帯があります。それは朝凪と夕凪の時間帯、高知は山と海に囲まれた土地なので朝凪と夕凪という風がピタリと止まる時間帯があります。この時間帯が本当に暑い!海に近いので暑くても風が吹けば比較的我慢できるのですが風がとまるこの時間帯は本当にジリジリとお日様が照りつけて我慢出来ない程暑くなります。高原ではそんな時間帯は感じた事がありません。やはり地形によっても随分違うものですね。

 これから高原は美しい季節を迎えます。高原は綺麗な衣を着て一年で一番美しい姿を見せてくれます。

 それが過ぎると厳しい冬がやってくるのですが今年は薪の備蓄が余り出来てなくてちょっと心配です。

 夏の暑いのは裸になっても暑いので困りますが冬の寒いのは厚着をしてウッドストーブに火が入れば温かいので我慢できるのです。やはり、私は寒い方を我慢する事にします。

2010/09/04

お墓騒動記

 先日、思い立って田舎のお墓を改葬する事にしました。我が家のお墓は高知の小高い山の中腹にあります。子供の頃、良く母に連れられてお墓参りに行った記憶があって、その時に覚えていた道と今の道は全く違って見えます。

 近くに大型ショッピングセンターが出来て新しい大きな幹線道路が通ってしまって廻りの環境は全く変わってしまったのも大きな原因の一つだけど、小さい頃は確か結構な距離を母に手を引かれて歩いていって近くの小川か何かで水を汲んでお墓に持って行ったような記憶があるのですが子供の頃の記憶なのではっきりしません。

 その後、父も亡くなり自分も故郷を出てここ八ケ岳で暮らすようになって段々、お墓とは疎遠になってしまいました。最近、高知に帰った時は時間があれば思い出したようにお墓の様子を見にいっていたのですが、今年の春、訪れた時に結構な雑草にお墓全体が覆われていてこれは駄目だなと思いました。

 それまでも、いつかこのお墓の事も何とかしなくてはならないだろうなと思って心の片隅に片付けなくてはならない仕事の一つとして刻んでいたのですが、この際思いきって処分してしまおうと思いました。

 しかし、処分と言ったって具体的にどうすれば良いか分からないので取り敢えず、この前高知に帰った時にお墓の石(全部で5つ立っていました)を全部デジカメで撮影し石に刻まれているご先祖様や祖父・祖母の記録を全て写し取ってきました。まず、ここからがスタートでした。

 もともと父の遺骨は別の納骨堂に納めていましたので、先ずそこに相談してお墓の処分についての手続きを聞きました。それからその納骨堂の近くにある石屋さんを紹介して貰い既存のお墓の処分方法や費用について見積って貰いました。

 その石屋さんはとても親切で必要な申請について色々と教えて貰い手続きの方法も具体的に教えて貰いました。簡単に改葬といってもまずお墓のある市町村にそのお墓を改葬する旨、通知して改葬許可を貰わなくてはなりません。

 その為には自分がそのお墓に埋葬されている故人とどういう関係になるかを明らかにしなくてはなりません。仕方なく自分の本籍地がある○○市に戸籍謄本の申請をして戸籍謄本を取り寄せました。それから父の本籍地である○○市に父の戸籍謄本を申請しました。そうする事でお墓に埋葬されている私の祖父と私の関係が証明されるので一つのハードルがクリアされます。

 それから高知市のホームページにアクセスして改葬許可申請に必要な書類をダウンロードします。それに必要な前述の戸籍謄本や私の免許証の写し等の必要書類を添付して高知市役所に改葬許可申請をします。

 申請してから2,3日して高知市役所から改葬許可申請について確認の電話が入り、内容を電話で聞き取り調査してそれで一応、申請は受理されて間もなく改葬許可書が送られてきました。

 これで法的な手続きは整ったので、次は実際の改葬に向けての手配をしなくてはなりません。改葬を受け入れてくれる納骨堂の宮司さんと連絡をとり日程の調整をして実際にお墓を掘ってくれる石屋さんとも連絡を取り合いとにかく高知に滞在できる23日の間に全てを終わらす必要があるので時間との戦いでした。

 とにかく何とかそれらの日程を調整し八ケ岳を朝の5時半に出発、羽田空港に行って昼過ぎに高知に着く便に乗り込み、高知につくと直ぐにレンタカーを借りてお墓に直行、この真夏の猛暑の時期に何でこんな事しなくちゃならないんだろうと自己嫌悪に陥りながら何とかお墓に到着、お墓では既に石屋さんが宮司さんと一緒に改葬の御祓いの準備をしてくれていました。

 直ぐに御祓いを始めて無事、終了。翌日の朝から5つのお墓の掘り起こし作業が始まります。翌日、高知での雑用をすませながらお墓を掘ってくれている石屋さんと作業状況を連絡取り合い、午前中で掘り終わるだろうと言う事で午後2時から納骨堂にお骨を持っていくのでそこで待ち合わせする事に・・・途中、何とか用件を早く済ませお墓に直行し作業の終了を確認してその足で納骨堂に直行。

 もうお昼を食べている暇なんかないのでレンタカーを運転しながら途中のコンビニで買ったオニギリを運転しながら食べて何とか約束の時間に納骨堂に到着。すぐに納骨堂の中に入って掘り出した骨壷を納骨し納骨式を宮司さんにして頂いてやっと一連の手続きが終了となりました。

 全部が終わったあと納骨堂の社務所で宮司さんと世間話をして今後の事をお願いしてやっとその日は終了、やれやれ・・・次の日の朝早く又、レンタカーを運転して高知空港に行き、レンタカーを返して羽田空港行きの飛行機に飛び乗って帰って来ました。

 全く、なんでこんな猛暑の真っ只中にお墓の改葬なんかする気になったんだか、兎に角思いついたが吉日、そんな事でもしなかったらお墓の改葬なんてダラダラ延ばすだけですもんね。しんどかったけどこれで肩の荷が下りた気がする。

 ご先祖様、これで許してね。

アシストのHPへ
八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

プロフィール

フォトアルバム

kikori

フォトアルバム