« 2009年10月 | メイン | 2009年12月 »

2009年11月

2009/11/28

昼食・給食・お弁当の思い出

 考えてみるとこのところ子供達がすっかり成長し親元を離れてから我が家ではお弁当制度を廃止してしまったのでもっぱら毎日の昼食はコンビニ弁当で済ませています。水は我が家の井戸水が美味しいので毎日ペットボトルをリサイクルして洗浄し、その中に井戸水を入れて持ってきています。

 私の記憶の中にある給食並びにお弁当の思い出は幼稚園の頃からだろうか?ガキ大将で暴れていた頃の幼稚園の給食は良く思い出さないのですが同じく劣等性だった小学校の時の給食で強烈に覚えているのが私の中であの悪名高い脱脂粉乳でした。

 兎に角、私には耐えられない味で泣きながら飲んだ記憶があります。特に、飲めないものだから後回しにしていると表面に幕が出来てしまいそれが又、気持ち悪くて絶えられない味でした。それが今でも尾を引いてすっかり牛乳嫌いとなってしまいました。

 但し運動会の時は脱脂粉乳ではなく瓶に入った牛乳が配られたのでそれは何とか飲むことが出来ました。

 中学時代はアルマイトのデカ弁を母が作ってくれてギュウギュウに詰めたご飯が冷めていても美味しく質より量がモノを言う時代でした。そういえばいつもご飯の上にフリカケが掛かっていてそれが弁当箱の蓋に付いてしまい困りました。それでも部活の帰りにはお腹が空いて近くの店でオデンやら何やらを腹に詰め込んで帰っていました。

 大学時代にはもっぱら学食でしたね~やたら量だけはあってしかも学生食堂なので値段が安く貧乏学生には本当に助かりました。自分の大学の食堂では飽き足らずもっとメニューが豊富で女学生が多かった隣のT大の学食へも通い少しドキドキしながら食べていました。

 そういえばあの頃は夕食も学食で食べたりご飯だけ自炊しおかずは下宿先の近くにある商店街に行って一番安いコロッケとかを買ってきて食っていましたね。コロッケ類は値段の割りに種類も色々あって腹も張るので週に2,3回は買っていました。

 就職が決まりオフィス勤務になってからはもっぱら近くの食堂で食べるか会社が用意した社員食堂で食べるかになりました。その頃は新丸ビルにオフィスがあったので昼食時になるとOLやサラリーマンで近くの店は戦争状態となり昼休みの時間をいかに有効に使うかが勝負の分かれ道みたいになってましたね。

 建築現場に出向で行っていた時代は専ら現場で取る仕出し弁当が命をつなぐ源でした。何せ当時、回りには何も建っていない現場でしたので食べにいくのも大変だったので夜食も全て食堂に出前を頼んでいました。

 現場での仕事は兎に角、汗をかいて重労働なので晩飯だけが楽しみのような生活でした。新人は現場の所長や主任達先輩の注文を聞いて出前を頼むのが仕事でしたので時間がくると忘れずに注文しないとエラク怒られる事になります。あの時代の夜食はカツライスがやたら人気だったような気がします。

 その後、脱サラして八ケ岳に来てからは子供達の弁当と一緒に女房が毎日、お弁当を作ってくれてそれを食べる生活が20数年続きました。考えてみれば女房は八ケ岳に来る前から造っていたわけでそうすると30年近く弁当を造り続けてきた事になりガバイバアチャンではないけどそれはそれで大変な事だと思い、女房には本当に感謝しています。

 私の知り合いでご主人が自分のと奥さんのお弁当を両方造っている方がいますが、その話を聞いたときには本当に尊敬してしまいました。自分でも料理しないわけではないけど自分と女房の分、両方を毎朝つくる自信はとてもありませんからね。

 最近のコンビニ弁当は本当に色んな種類があり研究されています。忙しい時はついついコンビニでサンドイッチとコーヒーを買って車を運転しながら胃の中に流し込むなんて事もしょっちゅうですが本当は良くないですよね。分かっていても時間が惜しくてついついやってしまいます。

 今まで一番美味しかった弁当って何だろ?やっぱり子供達がまだ小さくて近くの公園に家族で出掛けて芝生の上にシートを広げて食べたオニギリの味が一番幸せだったような気がします。

2009/11/22

森の住まいの休日

 このところ忙しくて3週間振りに休みがとれた朝、貴重な晴れの一日なので溜まりに溜まった家の用事を片付ける事にした。まずは遅めの朝食を取ってから作業着に着替えて頭にタオルを巻いていざ我が家の屋根に出陣!

 実は我が家の屋根は森の中に建っているのと雪が溜まり難い様に勾配のきつい切り妻屋根になっている。その時は問題無かったのだが色々あちこち増改築を重ねるにつれどうしてもその部分は緩い勾配の屋根にする必要がありやむ追えず雨樋と雪止めを付ける事にした。

 その時に覚悟はしていたものの家の周りは深い唐松や赤松の混合林、当然のように毎年この時期になると大量の枯葉が雨あられと我が家の屋根に降り積もり、その結果、雨樋は詰まり屋根の上には大量の枯葉が積り、時にはその大量の枯葉に落ちた木々の種が発芽して屋根の上から木が生える有様となる。

 それで仕方な落ち葉がすっかり落ちるのを待って一年に一度の屋根の大掃除が必要となる訳です。そんな訳で完全武装して一旦外に出て竹箒と靴を持って2階の窓から屋根に出ていざ大掃除を開始。

 屋根の上を足を滑らさないように移動し雪止めにしっかり足を置いて落ちないように気を付けながら屋根の上の方から順番に大量の落ち葉を下に落としていく。

 その時、何故だか最近、特に煩くわめくカラスが寄って来た。このカラス、我が家の近くの木の上に巣を作り住み着いているのだが何故か人が外に出て何かしていると寄ってきて煩く喚くのである。

 今日も人が体を張って屋根から落ちないように必死で作業しているのに近くの木から人を見下ろして「アホ~アホ~」と煩い。そのうち何を思ったか隣の家の屋根に下りてきてこちらを見て喚き始めた。

 何を始めるのかと思ったら何と隣の屋根の上に積った我が家と同じ大量の枯葉を嘴でつついて私と全く同じ事を始めたではないですか!カラスが人の真似をするというのは聞いた事があったけど本当なんですね。どうやら私が屋根の上に積もった枯葉から何か美味しそうなモノを探している様に見えたのでしょうね。

 驚くやら真似されて可笑しいやら屋根の上で大笑い!そういえば昨日も近くの道を車でを走っていると目の前にカラスが下りてきて「危ないな~」と思ったら胡桃の実を道路から拾って飛び立っていった。

 前にも書いたけど連中は近くの胡桃の木から実を取ってきては自分で割れないので車の通行が多い道路の脇に止まって車が通りかかるの待って上空から胡桃の実を落として車のタイヤに轢かせて割ろうとするのです。

 どうしてそんな事を覚えてのか知らないけど、この近くの森には沢山、胡桃の木があるのでこの時期にはその実が大量に連中の手に入るのだけどさすがにカラスの嘴では硬いその実を割る事が出来ない様で、連中の誰かが人間が道具を使ってその実を割っているのを見ていて覚えたのでしょうね。かしこい連中です。

 とにかく、そんなカラスに真似されながらも必死で屋根から落ちないように枯葉を落とし雨樋に詰まった唐松の枯葉を手でこそぎ取り泥だらけになりながら1時間程で作業を終え、やっと下に降りてきてから今度は駐車場に置いたままになっている薪木の山から一本ずつ引き出しては「ヨキ」で割っていきます。

 我が家の薪小屋にはまだ半分ほどしか薪が積まれておらず今年は完全に薪不足、年末にむけて早く割って少しでも乾かさないとお正月が迎えられそうもありません。

 やっとゆっくり休めると思ったけど里山の休日とは家の用事をする日であり地元の兼業農家の方たちも日曜日には畑に出て忙しそうです。こうして里山の冬仕度が進んでいくのです。

2009/11/17

歩き続ける人

 その人と初めてあったのはもう5年程前になる。いつものように朝、事務所に向かって車を走らせていた時彼は向こう側から歩いて来た。少し右肩を下げて体が少し傾いて見えた。もしかしたらリハビリか何かで歩いているのかな?と思った。

 それから毎日、彼とすれ違う日々が始まった。彼は、雨の日も風の日も雪の日も毎日歩き続けていた。私はいつも彼とすれ違うとき右側車線にはみ出して出来るだけ距離を空けるように様にしてすれ違っている。かれはそんな私に視線を送る事もなく、いつも俯き加減に歩いてゆく。

 ある日、休日で自宅からいつもとは逆の方向に車を走らせていたら又、彼にすれ違った。一体、彼はどこからどこまで歩いているのか不思議で仕方なかった。そんな毎日が何年も続いていた時、ふとした事から彼の事が少し分かった。

 仕事でいつもの通勤に使う道をいつもとは違う時間帯に車で走っていたら知り合いに偶然出会い。すれ違って少し走ってから知り合いだと気づいて車を道の横に寄せて止めて挨拶をした。

 「久しぶりですね~散歩ですか?」「いや~健康の為に時々歩いているんですよ」そこで私はず~と気になっていた件の彼の事を尋ねるともなく話してみた「いつもすれ違う人でどんな天気の日でも毎日歩いている人がいるんですよ」「あ~知ってる。うちの近所の人でね、毎日、大泉駅まで歩いていって駅前で体操して又小泉駅まで戻ってきてから又引き戻して自宅に帰るんですよ」と言う。

 大泉駅から小泉駅まで距離としては約6kmだからそのちょうど中央付近から歩き始めているとの事なのでその距離約往復12kmとなる。しかもそれから小淵沢の道の駅へもよく歩いていくとの事、一体、毎日どのくらいの距離を歩いているのだろう?恐らく20km以上は歩いている計算になる。しかも、毎日毎日である。

 5年前、初めて会った時は少し傾いていた体は今ではほぼ普通の姿勢に戻っている。恐らく筋肉がついて歩く姿が直ってきたのだろうと思う。僕は昔、陸上競技をしていたので少しは走る姿勢をみるとその人の癖が分かる。体が傾いている人はやはり左右の筋肉のバランスが何らかの理由で崩れている場合が多い。

 冬の雪に残された足跡を見てもその人の癖が分かる。ある程度年齢を重ねた人はどうしても歩く足の上げ方が弱くなって少し摺って歩くようになり雪の残された足跡もつま先から少し長く雪を摺って歩いたような足跡になってしまう。

 それでも毎日、毎日歩き続ける事により徐々に足が上がるようになり足跡が変わってくる。彼も長い年月歩き続ける事により本人が気付いているのかどうか知らないが次第に体のバランスがとれてきたのだろうと思う。

 しかし、毎日同じ道を同じように歩き続ける事は簡単そうで実はとても忍耐の居る事だと私は思う。どういう事情で歩こうと決心したのかは分からないが毎日すれ違うその姿には執念のようなものを感じてしまうけどそれは他人が勝手に思うことで実は本人はそんな事なくて日常の習慣としか思っていないのかも知れない。

 私にはとても真似は出来そうもない。雨がふっては今日は辞めようと思い、雪が降っては危ないから辞めとこうと言い訳し、とにかく今日は特別だからという言い訳ばかり毎日考えていそうである。

 歩き続ける事、それは人間としての誇りなのかもしれない(ちょっとオーバーか・・・)これから先、あとどのくらい彼とすれ違うのか知らないけどきっと彼は毎日、俯いて私に気付く事はないと思う。

2009/11/10

忙しいのが苦手

 根っからのノンビリ屋なので忙しいのはどうも苦手である。東京でサラリーマンをしていた頃はそれでも週休2日制だったのでそれほど苦にならなかった。大学生の頃は早く社会に出て働きたくて十二分に時間のある学生生活が嫌いだった。人間なんて勝手なものですね。

 八ヶ岳に来てからも最初は勤め人の生活だったのですが、それでも東京時代のサラリーマン生活と同じという訳にはいかずそれなりに忙しかった。なにより肉体労働だったので最初はなまっていた体力が付いていかず苦しかったがそのうちにそれは何とかなった。

 しかし、成り行きで次第に図面を書いたり現場管理をしたりお客様との打ち合わせ等の仕事が多くなり結局は事務仕事に戻ってしまいました。そうなると次第に自分の時間が中々持てなくなり、サラリーマンでありながら労働時間はあって無いようなものになってしまいました。

 今はサラリーマンではないのでどこからどこまでが仕事の時間なのかハッキリした境目がなくなってしまいましたが、どうも性分でプライベートの時間と仕事の時間はハッキリ区別しないと気がすまないもので自分が休みの日は携帯電話の電源も切ってしまうのでよくスタッフからは怒られました。

 朝、出社すると昼間は大体、現場を廻ったりお客様との打ち合わせ等でほとんどの時間を取られてしまうのでプランを考えたり新しい仕事の展開等を考える時間や事務処理の時間はどうしても夜間か自宅に戻ってからになってしまいます。

 そうすると結局、食事の時間と寝る時間以外はほとんど仕事になってしまうので誠に精神的に宜しくない状況になってしまうのであります。そんな事もあって最近はもう思い切って日曜日は定休日にしてしまいました。今までも現業部門は隔週の週休二日制で基本的に日曜日は休みだったのですが私は逆に日曜日は出社してスタッフが居る平日に休むようにしていたのですが次第にそれも支障が出てきたので思い切って日曜日は定休日にしてしまったのです。

 それでも週末にはイベントへの参加依頼や急な要件で仕事になる事も多く、そうなるともう1カ月休み無しなんて事にもなってしまいます。大体、イベントとか地元の仲間との活動等を少し控えれば良いのですが悪い癖で人に頼まれたり面白そうな話のお誘いがくると「それ、面白そうじゃん!やろう、やろう」と安易に引き受けてしまい、後でひどく落ち込む(笑)事の繰り返しなのです。

 先日もイベントに出展した知り合いとの打ち合わせで東京駅の八重洲口で開催されるイベントに参加しないかと誘われ面白そうだったので簡単に引き受けたのは良かったのですが出発が朝の5時、その前に準備があるので4時には集合という事になりその前の日にも東京に日帰り出張があり体力的に自信がなく「それだけは勘弁して。遅れていくから」と言い訳すると「それなら前日から俺のところに泊れば良いじゃないか」と言われその友人は夜が早いのでいつも大体9時には就寝するらしいのですが夜更かしの私にはとても9時なんて寝られる訳もなく・・・今回は我儘を言わせて貰う事にしました。

 いやはや忙しいのはとても嬉しい事ではあるのですが「ボ~」っとするのが無類に好きでもっとも自分にとって大事な時間である私には嬉しい様な苦しいような・・・これって許されない事でしょうかね。

2009/11/02

空を見あげてみませんか?

 子供の頃、良く空を見上げて形を変えていく雲の姿を見ていました。色々な形に変わっていく雲を見続けていてもちっとも退屈しませんでした。あれからウン十年、都会に住むようになり段々空が狭くなり次第に空を見上げる事が少なくなっていました。

 それでも東京駅のプラットフォームから時々見上げるお月さまはとても小さく光も弱く何だか心細い姿で都会の明るい夜空に張り付いていました。

 20年前、八ヶ岳に引っ越して来た時一番、心細かったのは夜の恐ろしい程の暗さでした。本当に漆黒の闇で周りに街灯も有る訳もなく目の前で誰かに叩かれても全く分からない程の暗さでした。そしてその暗さと反比例するかのように今まで見たこともない程の星空が森の中に広がっていました。昔、学生の頃行った沖縄の離島で見た夜空には及ばないもののそれでも寒空の中に広がる天の川は本当に雲が掛かっているように正にミルキーウエイそのものでした。

 先日、オリオン座流星群が降るというので久しぶりに女房と清里高原に星を見に行きました。さすがに星の里、清里高原、夜中だというのに何故か目的地の清里高原の駐車場は満杯、真っ暗なのに多くの人の気配が蠢いていました。

 出来るだけ他の人の迷惑にならないように早々に車のヘッドライトを消して懐中電灯を手に車の外へ、残念ながら流星群を見る事は出来ませんでしたが美しい秋の星空を十分楽しむ事が出来ました。

 高原の空はなにも星空だけではありません。この時期の空は時間の経過とともに美しく色を変え変化していきます。高原の美しい紅葉を従えた美しい抜けるような青空も美しいし、夕方、南アルプスに沈む夕日が醸し出す夕焼けはそれにも増して美しく言葉を失う程です。

 秋から冬に変化していくこの時期、大陸から張り出して来た冬型の冷たい大気が南アルプスや八ヶ岳の山肌に触れ雪雲を造り出しモクモクと真っ黒い雲が頂から湧き上がってきます。これが麓まで伸びると麓の里山に雪をもたらす事になります。

 正に、今日は今シーズン初めてのみぞれが大泉の我が事務所前の道路を白く染めて車のフロントガラスに積りました。気温は0度でした。これから日に日に気温が下がり始め本格的な冬が徐々に迫ってきます。何となく今年の冬は早そうな気がしています。

 そして今日の空には冬独特のちじれ雲が飛んでいました。これからこの雲を見かける日が段々多くなってくると思います。

 先日、高知へ帰る途中、羽田から飛行機に乗り、空の上からその雲を見下ろしていました。普段、見上げてばかりいる雲を空の上から見下ろすと又違った形に見えて不思議です。下から見ると平面的に見える雲も空の上から見下ろすとデコボコとしていて何故、あんな形になるのかとても不思議です。

 遠くの空には発達した積乱雲が大山のように雲の上に聳え立っておりなぜそこだけ盛り上がっているのか不思議です。そういえば飛行機の窓からみていると突然、目の前を黒い飛行物体が凄いスピードで前方から後方にかなり近い距離ですれ違っていきあれには驚きました。さすがにUFOではありませんでしたが恐らく軍用機だったと思います。

 この時期は昼間でも月を見る事が出来ます。都会ではなかなか気付く事もない昼のお月さま、夜空に輝く月とくらべるとさすがに見劣りはしますが昼にお月さまを見つけると何だか得したような気がしますね。

 仕事が忙しくなると何故か空を見上げる事が少なくなります。私は出来るだけ朝は新聞を取りに森の外に歩いて行く時に空を見上げる事にしています。というか必ず見上げてしまうのです。

 森の外に続く一本道の上だけが木々の枝が切れて空が見えているからです。だからどうしても見上げる事になります。冬のこの時期は特に紅葉の後ろに広がる真っ青な青空が美しくて何にも代えがたい程美しい事もその理由かも知れません。

 忙しい毎日を送っている皆さん、たまには空を見上げてみませんか?

アシストのHPへ
八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

プロフィール

フォトアルバム

kikori

フォトアルバム