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2009年2月

2009/02/23

車って・・・

 東京に住んでいるときは車なんて必要ないと思っていました。実際、都会では電車網が発達しているし当時、下手すると住んでいるアパート代よりも駐車場代の方が高かった。一度、駐車場を探した時は近くに無くて電車に乗って隣駅まで行かないと無いと言われ車に乗るのに電車に乗って車を取りにいくのも馬鹿らしいな~と思って止めにしました。

 田舎の実家がガソリンスタンドを経営していた事もあって車は小学校の時から乗っていた(勿論、スタンドの中でですよ)お客様が「洗車しといて」何て言って置いておくので私が移動して洗っていました。だから運転暦はやたら長い。しかし、自分の車を持ったのはサラリーマン時代、上司がもう車に乗らないから安く譲ってやるといわれた「ファミリア」が最初の車でした。

 当時、長男が生まれてさすがに「あれば便利かな?」と思い始めていた頃だったので喜んで話に飛びついた。今でも初めてその上司の住むデイズニーランド付近のマンションの駐車場に車を取りにいき首都高速をビクビクしながら運転して帰ってきたのを覚えています。その車は結局、海の近くに長く使わずに置いていたのでエンジン付近が錆びていてすぐに駄目になってしまって乗れなくなってしまいましたがそれから今まで多くの車に乗ってきました。

 先日、思い出しながら遍歴を数えてみると、アコード、ストリート、デリカ、ランクル、パジェロ、オデッセイ、オデッセイⅡ、エスクード、CR-Vと乗り継いで来た。それぞれその時の生活環境にすごく直結していて思い出深い車達です。

 子供達を一杯のせてキャンプ場に入り浸っていた時のアコード、ストリート、お金がなくて車を売って生活費に換えてとにかく動けばよいからと言って買ったボロボロのランクル、今考えればよくあれで高知まで帰ったものです。

 私にとって車は自分の生活と共に時を過してきた身近な自分を支えてくれる仲間だったのかも知れません。私は車に高級感とかブランドとかを求める気持ちは全くありません。今の山の暮らしの中で必要な機能を持っていてくれれば充分だと思っています。あのまま都会に住んでいたら多分、車は持たなかっただろうと思います。渋滞の中で運転するのには辟易していましたので・・

 さて、現在は車社会にとって大きな変革が起こっています。世界的な経済危機の中、大排気量で圧倒的なパワーを売り物にしてきたアメ車が経営の危機に直面し消費者も車に対する考え方が変わってきています。それでも高級SUV車が好調な売れ行きを示しているという日本の現状には私は正直いって良く理解出来ませんが・・

 CO2削減が世界的に求められエコロジーな暮らしを人々が志向するようになって車も変わっていかなくてはならないのではと私は思います。車は良くも悪くも便利な乗り物です。特に山の中に暮す我々にとっては生活に密着したツールと言えます。里山のベンツは軽トラ!これに勝る車は無いと思っているのですが2台持つわけにもいかず今の生活環境を考えると今乗っている車がベストだと思っています。

 つまり、早い話が小さいときから車が好きなのですね。その時、その時に色んな考えで選び一緒に行動してきた車なのでそれぞれに思い入れが強いのです。この先、車社会がどう変化していくのかどう変わらなければならないのか実はワクワクしながら見ています。自分も含めマイカー族にとって車は便利な道具ではありますが今後、車の未来がどうあるべきかその変遷をしっかりと見据えていかなくてはならないかなと思います。

2009/02/15

いのちの食べ方

 先日、知り合いから召集が掛かり地元の若者達が「いのちの食べ方」という自主映画を上映するからこういう頑張っている若者達を我々おじさん達が応援せずにどうする!ということで「オオッそういう事ならイカネバナラヌ」と観てきました。

 

 行ってみると地元の公民館のような所が会場で座敷に映写装置を置いてスクリーンは壁に白い布を掛けただけという正に手作りの自主映画会でありました。入場料はカンパという事でここがオジサン達の出番でもある訳ですが、内容は1時間半という上映時間で音楽なしコメントなしテロップなし、淡々と映像のみ流すドキュメント作品で想像していたとおり我々が普段、何気なく口にしている加工食品がどのような工程で製造されているかその原点に迫るものでかなり衝撃的なシーンも出てきてちょっと目を逸らしたくなるような所もありました。

 

 例えば加工牛肉、当然元は生きている牛な訳でその過程で必ずその命を頂いているのだが我々がその現場を見ることは普段、中々ありません。しかし、誰かがその役割を必ず果たさなければならず、その行為を惨いといえる人は牛肉を食べない人という事になるのでしょうかね。

 

 以前、同じような試みを川崎に住んでいる時に自分でもした事があります。近所の子供達を近くの公園で自主保育という形式で面倒を見ていた時期があり、その中で何とか子供たちに自分達が生きていく為に他の生き物の命を頂いているんだという事を理解させようとしました。

 

 それは子供達だけでなく当然、親達にも言えることだったのですけどね。それでどうしたかと言うと生きた鶏を貰ってきてその鶏を処分して皆で食べようじゃないかと言う事で、誰が処分する?となり、成り行き上私が処分する事になりました。

 

 昔、私が子供の頃はまだ近くの商店街に肉屋さんがあり、そこの親父が毎朝、なぜか店先に椅子をだして鶏の首を包丁で切っていたのを見ていました。しかし、自分で処分したことなんか当然無くて「俺がやるよ」と言ったものの内心「どうしよう・・・」と思っていました。

 

 しかし、時間は容赦なく過ぎてとうとうその時が来てしまい、くだんの肉屋さんの様に手際良く出来る自信は全くなく、その手の本を片っ端から読んで見よう見まねでやる事にしました。

 

 当日、近くの公園の木立の中にダンボール箱に入った鶏を持って行って子供たちは恐る恐る遠巻きに見ています。段ボール箱から先ず羽根をつかんで鶏を取り出し出来るだけ早く苦しまないように首の骨を折り(これが物凄くキツカッタ・・)暴れないように大人しくなるまで抑えておいてすっかり体温が下がり冷たくなってから枝に鶏を吊るして首を切り血を抜きました。

 

 その頃には廻りの子供達や大人達の私を見る目はまるで犯罪者・・・実際、後で随分批判もされましたけどね。それでも子供達は好奇心の方が勝り時間が経つに従って段々、遠巻きに観ていた輪が短まり最後はぶら下がって首のない鶏に触ってみる子供達も出るようになりました。

 

 そして血抜きが終わった鶏を家に持ってかえって鍋に入れて毛をむしり取り解体して手羽焼きにしたり煮たりして食べることになりました。その時になってみると以外と子供達は平気で食べるんですよね。食べられないのは自分、どうしても手に鶏の温かみと首の骨を折った時の感触が残っていて最初の一口がなかなか食べられない。

 

 こんなものなんですね。偉そうな事言ってもやってみると中々出来ないものなんです。現代に住む我々は食生活に関しては加工食品に依存している部分が多くて昔、子供達は魚が切り身で泳いでると思っている。なんて笑い話の様な話がありましたが魚にしても動物の肉にしても野菜や果物にしても必ず命を頂いてエネルギーに変えているワケでその原点を「惨いから見せない」という事でなく知らせる事も大切な情操教育になると思います。

 

 現代はそういう原点を感じる機会が少ないのでゲーム感覚で大切な命を簡単に奪ったり奪った命をリセット出来ると錯覚してしまうのだと思います。

 

 さて、話は元に戻って「いのちの食べ方」はそういう意味で加工食品が現在、どのように生産されどのような過程を経て我々の口に入っているか事実をコメントを加える事無く淡々と描写した優れたドキュメント作品です。

2009/02/08

今まで書けなかったこと・・

 八ヶ岳に住んでから20年、この世に生を受けてから50数年、手掛けさせて頂いた家が150数棟、そうこうしているうちに段々、八ヶ岳の仲間、身内、お客様の中で段々、人生を終えていかれる方が増えてきた。その度に悲しみ、元来が涙もろい(笑)ので最近はこらえるのが大変になってきて困っている。人は齢を重ねるごとに涙もろくなると言われるけど「全くだ」と自覚している。

 最近は結婚式に呼ばれることはまず無くなり呼ばれるとなると葬式ばかりになってきた(笑)。しかし、こりゃしょうがない。うっかりするとそのうち自分の番がくるのだから・・・だから悲しんでばかりはいられない。

 最近読んだ北杜市に住む作家、樋口明雄氏の著書「約束に地」はここ北杜市を舞台にした小説でテーマのひとつに「死とは乗り越えるものではなく共に生きるもの」とある。自分の父は十数年前に亡くなったがその時はあまり悲しくはなかった。父は父なりに自分の人生を全うしたと思っていたからである。全く高知の「イゴッソウ(頑固者)」らしく好きな事をしたと思っている。実の母は少し認知症だけど体は健康で元気である。義理の母は亡くなって3年、最後は病床で少し苦しんだので見るのが辛かった。

 そして、それらの死をやはり時間と共に乗り越えていかなくてはと思っていた。しかし、そりゃ時間と共に悲しみは少しずつ癒されていくけど乗り越えると云う事は忘れると云う事に繋がるようで少し嫌だった。まあ、そのうちボケて忘れるのだろうけど(笑)しかし樋口さんの言われるように「共に生きるもの」と考えた方がとても楽である。

 人間も生きものである以上、いつかは死を迎える。生きることは死ぬこと、生を受けるということはいつか死を迎えると云う事。死は新しい生の始まり。私は別に生き返ると云う事ではなくある人の死は、その死に関わる人達の新しい人生の始まりだと思います。支えを失い新たな生活を始めなくてはならなかったり教えを受けられなくなって自分で考えなくてはならなくなったり、新たな変化が始まるのだと思っています。だからこれからそう思うようにしようと思っています。そうしないと数が増えすぎて困るから(笑)

 私自身は東京でのサラリーマン生活を捨てて自分の意志に従ってここ八ヶ岳に引っ越してきて自分の生きる証として多くの家を手掛けさせて頂き全く好きな人生を歩ませて頂いて、最近の流行ではないけど「生きてるだけで丸儲け」と思っている。多分、付き合わされた家族は良い迷惑であったろうと思うけど家族だからショウガナイノデアル。

 大切なのはその日を精一杯生きること。そう思っている。しかし、最近一日がやたら早く過ぎていくのは何故なんだろう?やらなくてはならない事は山ほどあり、その日一日で出来る事は本当に限られている。毎朝、その日一日でやらなくてはならない事をメモに書いてこなすようにしているのだけど本当にそれだけで精一杯である。これは生きている者の宿命なのでしょうね。だから私の廻りの人生を終えた皆さん、私は皆さんと共に生きていきますからね。時々、忙しくて忘れる事があっても勘弁ね。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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