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2009年3月

2009/03/29

昔馴染みの散髪屋

 もう20年も通っている散髪屋さんがあります。山梨に移住して来た時に病院と共に困ったのが何処の散髪屋が良いかと言う事でした。私の頭は子供の時からのクセッ毛であっちこっち飛び跳ねて始末に困る頭でした。それでいつも馴染みの散髪屋さんに行っていたのですが山梨では全く知らないので評判を聞いてあちこち行ったのですが中々自分に合うところが有りませんでした。

 

 仕方なくその頃は子供も小さかったので暫くは子供の頭を切るのと一緒に女房に切って貰っていました。そんなある日、女房が会社で「隣駅の駅前にあるTさんが良いらしいよ」と聞き込んで来て早速行ってみました。

 

 初めて行って店のドアを開けると店の親父さんと思しき人と若い店員さんらしい人がこっちを見て驚いた表情で固まっていました。後で分った事ですがこの店は完全予約制で飛び込みでは出来ないやり方をしていました。それでも女房の会社から聞いてきた事等を離すと気持ちよく「いいですよ、じゃあ少し待ってて下さい」と気軽に受け入れてくれました。

 

 待合のソファーに座ってその店の仕事ぶりを見ていると、どうやらその店は両親と息子の3人で切り盛りしている散髪屋さんだと言う事が分ってきました。元気のよい肝っ玉母さんと寡黙な職人肌の親父さん、そして若い人担当の息子さん。そんな3人の連携が取れていてすごくチームプレーが素晴らしい家族経営の店でした。

 

 親父さんは昔からの馴染み客を相手に特にべらべら喋るでもなく物静かに仕事をこなし、そんな親父さんを肝っ玉母さんが口八丁手八丁でフォローして息子さんはそんな両親に反発しながらも新しいカットやパーマ、毛染め等の技術を身に付けて高校生や若い地元の青年達に慕われているといった感じでした。

 

 私はその店がすっかり気に入ってしまい、それから月に1回程のペースで通うようになりました。女房に言わすと「あのさ~その頭のどこを切る訳?(笑)」といつも文句を言われるのですが、確かに本当は丸刈りにしたいのですが一応、会社を経営しているのと黙っていると人相が悪い(笑)ので大事なお客様が来なくなってしまうといけないので我慢して、それでもいつも短く切って貰っています。

 

 私の担当はどうやら息子さんに決まったようでカットは息子さんがするのですが3人でお客さんをクルクルと交代しながら担当するので忙しいと顔を剃るのは親父さんだったりお母さんだったりしました。寡黙な親父さんはあんまり話しかけてもいけないので私も黙っていましたが腕はピカイチでした。お母さんは元気一杯でいつもニコニコ色んな近所の噂話を面白可笑しく話して聞かせてくれました。

 

 そんな家族経営の散髪屋さんにある日とんでもない事が起こりました。交通事故に巻き込まれて親父さんとお母さんが大怪我をしたのです。一命は取り留めたのですがその事故が元で結局、親父さんはその後間もなく亡くなり。お母さんも不自由な体になってしまいお店に出られなくなりました。

 

 息子さんは落胆し、どうやってこの店を切り盛りしていこうかと思い詰め、一時期元気を無くしていましたが、何とかその状態を乗り越えて今でも元気で1人で店を立派に切り盛りしています。お母さんは杖をついて店のタオルを畳んだりするまで回復し時々店のソファーに座っています。

 

 息子さんは地元の消防団の役員も兼ねていて時々火事で出動がかかると散髪の途中でも出動して行きます。一度「そんな時、お客さん怒らないの?」て聞いたら「この辺じゃそれが当たり前だからお客さんも理解してくれます」と言ってました。そんな大変な役員も漸く今年で任期を終えます。

 

 店には今でも散髪台の椅子が3つ並んでいます。でも、そんな3台の椅子で使われているのは一番、入り口に近い1台だけです。それでも私は時々、開いている残りの2台の椅子を見ると親父さんに顔を剃って貰った感触を思い出したりします。

 

 隣駅前の小さな散髪屋さん、今では無理せず1人で出来るだけのお客様をこなしている小さな店ですが私にとっては大事な馴染みの店です。

2009/03/22

便利さと不便さと金持ちと貧乏

 仕事で使っているノートパソコンの調子が悪いので息子が帰ってきたついでに調べて貰った。スタッフからは「社長、このパソコンはインターネット接続しないで下さいね」と言われており「何で?」と聞くと「ウイルスソフト入れるとこいつ動かなくなりますから」と言われた。どうやらメモリーが不足しており動作が不安定になるみたい。

 

 まあ、普段インターネットに繋ぐ事も余りないので特に不便なく使っていた。だけど最近、このパソコンに変な表示が出るようになったり時々全く映らなくなったりするように・・・パソコン曰く「モ~、いい加減にソフトの更新しないと私知りませんからね。壊れますよ。いいんですね」と言う様な事を訴えている。でも、スタッフからは「繋ぐな」と言われているしな~と思い、今回、息子が帰ってくるのに合わせて診て貰ったという訳です。

 

 息子曰く「父さん、こんなパソコン使ってるの?」「なんで、イケナイ?」「あのね~このパソコン何年使ってるの?」「う~ん、6年くらいかな?」「これ、よく動いてるよね」「エッ今まで特に問題なかったよ」「あのね~説明しても分からないだろうけど、このパソコンのメモリーはねここにあるタダで貰ってきたパソコンより低いの」「?」「だからね、タダのパソコンより仕様が劣っているわけよ。動いているのが不思議なくらいなのよ」「ふ~ん、だから調子悪いのか?」「そういう訳じゃないけど無理があるって事」「そこをナントカして」「モ~」てな話し合いが行われとにかくメモリーを増やさないとどうにもならないとの事でそれだけ買って貰う事にした。

 

 ところが「父さんこのパソコンのメモリーの値段ってさ、この100倍位容量のある最新型より高いって知ってる?」「知らない・・・何で?」「何でって・・・そうなの!」いやはや最近はどうも価値観が狂っていて訳が分かりません。最近はやりのミニ・モバイルのノートパソコンは一時期の携帯電話並みに100円とかで売ってる。当然、裏があって通信契約とのセットが条件だったりして全く携帯と同じ構図だ。良く考えてみたら本体だけ買った方が特だったりするのだがこれが複雑で良くわからんのですね。

 

 とにかく世の中はより便利に暮らそうと思うとお金が掛かるようになっていると言うことですね。つまりお金持ちはより便利な暮らしが出来るし貧乏人は不便さを我慢しなくてはならないという事か・・・それなら多少、不便でも我慢しようと思うのは貧乏人ということかな?

 

 私のこのパソコンだって一昔前なら大変な高機能だったはずで、それが技術の進歩でより便利で機能性が高いものが出来たせいでボロクソ言われるワケでいわば文明の犠牲者ですね。確かに不便さと貧乏はつきものかも知れませんが佐賀のガバイバアチャンのようにその中で逞しく生き抜いていく事が実は地球に優しかったり本当は人間らしかったりすることってあるんじゃないでしょうかね。

 

 私なんか実にいい加減な人間なので「便利だよ~」なんて言われるとすぐにそっちに傾いてしまうけどちょっと立ち止まって「もうすこし勿体無いから使おうかな」とか「不便だけど別に我慢出来ない程じゃないか・・」とか考えてみるのも今、必要かも知れません。

 

 又、逆にさっきの100円ミニ・ノートパソコンではないけど安さだけに目がいってしまうと事の本質が見えなくなることもあります。建築だってそうですけど安さだけを判断基準にしてしまうと結局、長い目でみると安くてすぐ駄目になったり体に悪かったりして結局、何の為に節約したのか分からなくなります。

 

 海外からの輸入食品何かも安いからだけで導入していると結局、健康被害を起こしたりして何のことはない少し高くても国内の造った人の顔が見える食品が結局一番、安全だったりする。「便利さと不便さと金持ちと貧乏」よ~く考えてみないとどれが一番幸せか分かりませんね。

2009/03/14

お葬式

 ここの所、何故かやたら葬式づいている。冬、寒い所に住んでいるので結構、地元ではこの時期になると葬式が多くなる。しかし、今回はそれとは関係なくスタッフの親御さんが亡くなられたり八ケ岳でお世話になった元外務大臣の柿沢弘治さん、そして自分の親戚と何だか気分としては毎週、葬式に参加している感じである。余りに葬式ばかり出てるので喪服をクリーニングするチャンスが無く先日、思い切って今だ!と隙を狙ってクリーニングに出した程だ。その時はどうぞクリーニング中に葬式が出ませんようにと思わず願ってしまいました。

 

 そんな時フト、自分にとって初めて葬式というものを意識したのは何時だったかな?と思い返してみると自分の父方の祖父の時でした。まだ小学生の頃だったと思うけど初めて自分の周りで普通に接していた人間が死んだ。そして初めて死体というものを見た。爺ちゃんの棺桶を覗き込んだ時の衝撃は今でも覚えている。その時初めて人の死というものを意識した。

 

 あれから一体いくつの死体を見てきたのだろう?自分が青春時代を送っていた時期は全く人の死というものを意識した事は無かった。そんなものは自分と関係ないと思っていた。しかし、段々年月を経て数年前に健康診断で始めて要精密検査を言い渡され「もしかしたら癌の恐れもありますよ」と脅かされ(結局、検査の結果無罪とはなったのですが)自分の死というものを意識させられ、冗談じゃない今度は自分の番かよと初めて覚悟を決めた時もありました。

 

 先日、アカデミー賞で外国映画賞のオスカーを獲得した「おくりびと」も公開されてすぐ見ました。ちょうど知り合いのプロデユ―サーが手掛けた映画だったこともあり女房と二人で見て、これはきっとヒットするなと直感しましたがまさかオスカーまで取るとは思いませんでした。それだけ外国の人達には「死」というものに対する日本人独特の美的感覚が新鮮に思えたのだろうなと感じました。

 

 話がそれましたがそれ程、死というものに対する捉え方は民族で違っているという事だと思います。外国では河原で普通に荼毘にふされたり鳥葬といって高い山の上に葬られて鳥の血肉になる事を求められたりと様々な形式があると聞いています。そんな中で日本はまるで生きていた時の様に着飾りお化粧を施し身を清めて葬られます。

 

 映画の中では「納棺師」と呼ばれる特殊技能を持った人がその儀式を執り行いますが一般的な場合ではほとんどの人が残念ながら病院で亡くなるのでその場合はその患者さんを担当した看護士さんが身を清めて下さるのが一般的なようです。勿論、家族の方達がおられたらお手伝いをするのですが身内を亡くしたばかりの遺族にとっては感情的に辛いものがあり看護士さんが主体的にして下さるケースが一般的だと思います。

 

 私も自分の父を亡くした時に父が最後を迎えた場所を母と二人で掃除に行き、片付けたのですがまだ、父の温もりが残っているようでここで父がその生涯を終えたと思うととても辛かったのを覚えています。こんな平和な時代でさえこんなに辛いのだから戦時中なぞはどんな思いだったのでしょうね。

 

 先日、TVで東京大空襲の時に埋葬する場所がなくて仕方なく集団埋葬された当時の場所を尋ねてい歩いているカメラマンを取材した番組を見ましたがきっと死体を捜す遺族の悲しさは大変なものだったと思います。

 

 自分の死後の世界はどうなるのか分かりませんが一度覗いてみたいなとは思いますがそうすると一度死んで戻ってこなくてはならないので、それはもし手違いで戻って来れなかったら困るのでちょっとそれは困るな~と思って諦めています。一発勝負しかないかと・・・皆同じか。

 

 自分の葬式を前もって執り行う「生前葬」というやり方もアリだけどそれはやはりリアリテイーが無いものな~。こいつ悲しそうな顔してるけど実際の時はこね~じゃないんか?何て思ってみたり反対に平気そうな顔してるけど本当になると実は一番悲しんでくれたりして・・・何て想像するのも楽しいかも知れないけどそれはきっと良くない事なんだろうな。

 

 マア、「佐賀のがばいばあちゃん」じゃないけど人生、生きてるだけで丸儲けと思って頑張るか!

2009/03/08

音楽と共に

 当社の事務所にはいつもBGMが流れています。普段はFM放送が流れていますが最近、省エネで昼休みとか電源を切ってしまうので事務所内が無音になり何となく落ち着かなく成る事に気が付きました。

 

 自分と音楽との歩みを思い返してみると子供の頃は以前、お話したとおりガキ大将だったので外で悪さばかりしていたのですが親が何とかしようと思ったのでしょうね。或る日ピアノの家庭教師を連れてきました。その頃も別に音楽が嫌いな訳ではありませんでした。いや、むしろ好きだったかも知れません。

 

 しかし、どうも昔の(今は知らないのですが)ピアノ練習曲というと赤バイエル、黄バイエル、ソナタ?だったっけな?を練習させられ、それなりに弾けるようになりました。しかし、子供心にその練習曲が悲しい音色に聞こえてすっかり嫌いになってしまい、段々何とか逃げようと考え、家庭教師がくる時間に合わせて押入れに隠れてしまい絶対外に出ないようにして、とうとう親はそれで家庭教師の先生に悪いと思ったのか諦めてしまいました。今考えればあのまま続けていればピアノが弾けて少しは自分の趣味も広がったかな?と悔やんでいます。

 

 その後はビートルズが来日して一気にグループサウンズ(古い・・)の時代が訪れ音楽を巡る環境もすっかり変わってしまいました。自分も次第にオールナイトニッポンを始めとするラジオの深夜番組に嵌ってみたり初めて自分でレコードを買ったのもその頃でした。タイトルは忘れたけど確かフォークソングだったような気がします。丁度、その頃兄貴がギターを買って弾いていたのでレコードを渡して弾いてくれと頼んだのを覚えてます。

 

 そういえばラジオの深夜番組で地元放送局が放送する時間帯があってその時に同級生の女の子が同じクラスの男の子に告白する手紙が読まれ丁度、自分もその放送を聞いていて驚いたな~結局、その二人は卒業後に結婚して夫婦になったんですけどね。

 

 その時代は日本のフォークソングの幕開けで日本中でコンサートが開かれていました。私も地元で開催された吉田拓郎のコンサートや中野サンプラザでのユーミンのファーストコンサート何かを聞きに行きました。

 

 学生時代、春休みはいつも田舎のカバン屋でバイトをしていたのですがその時代は有線放送がブームで、昼休みにはいつも近くの喫茶店で昼飯を食べながら電話でリクエストをしてバイト仲間で誰のリクエストが一番先に掛かるかなんて事を競っていました。

 

 それからは日本の音楽界は飛躍的にジャンルが増えてポップスやR&B、ハードロック、テクノ等々何やらやたらジャンルの名前が増えて一体この音楽はどれに属すのか?訳がわからなくなってきました。

 

 最近は八ケ岳に引っ越してきてからあまりジャンルに囚われることなく音楽を楽しむようになりました。その最たるものは薪能かも知れません。毎年近くの神社で開催される薪能に通うようになり最初はすごく抵抗感があったのですが今では年一回の日本人の音楽のルーツに触れるような思いで聴いています。

 

 一番最近はYOKOという女性ジャズボーカリストのコンサートに女房と二人で行って来ました。普段、あまりジャズに接する機会は無いのですが大学生の頃は格好付けて「オスカーピーターソンがいいね~」なんて言って御茶ノ水にあるビルの地下のジャズ喫茶に入り浸り分かったような振りをしていました。そういえばその頃、大学の同級生が良くその喫茶店に入り浸って何故か英語の辞書を食ってたな~何であいつはいつも辞書を食ってたんだろ?何せ変な時代でした。

 

 それとたまたまご縁があって小野リサさんのコンサートに良く行くようになりました。彼女の優しいボサノバの歌声は本当に癒されます。以前、余りの心地よさにコンサート中にウトウトした事がありました。

 

 こうしてみると自分の歩んで来た時とともに常に音楽があった事に改めて気付かされます。近年はいつでもどこでも音楽が楽しめるようになり本当に良い時代になりました。必死でカセットやオープンリールに録音していた時代が嘘のようですね。

2009/03/02

村長ありき

 先日、知人に薦められて「村長ありき-沢内村 深沢晟雄の生涯-」という本を読みました。岩手県沢内村という雪深い財政難に苦しむ寒村でありながら戦後初の乳幼児・高齢者の医療費の無料化、そして乳幼児の死亡率0を達成した深沢村長の生涯を描いたノンフィクションです。

 ちょうど高知に帰る飛行機の中で読んでいたので、その内容の素晴らしさに涙が止まらず、隣の席の人に気付かれないようにするのに苦労しました。最近は本当に涙もろくてどうしようもありません。これはやはり以前受けた目の手術の所為かな?と・・エッ関係ない?齢の所為?マアそれはどうでも良いのですが、兎に角素晴らしい内容の本でした。

 実はこの原作をモデルにした「いのちの作法」という記録映画が作られていて全国で自主上映会が開催されています。知人がここ北杜市でも是非開催したい、多くの人に観て貰いたい、しかも無料ではなく、あくまで有料で観て貰いたいと言う事で名乗りを上げ、私も大した事は出来ないのですがお手伝いする事にしました。

 開催は75日ですのでまだ時間があるので先に原作本を読むことにした訳です。この「村長ありき」の原作本に描かれている時代背景には戦後の混乱する地方行政の中にあって本当の政治とは医療とはどうあるべきかと言う事が描かれています。端的にいうと政治の根幹とは住民の生命行政つまり住民の命を守るのが最大・唯一の理念でなければならないと言う事です。

 戦後の混乱する地方行政の中で岩手県の寒村では当たり前のように乳幼児が死亡し老人が充分な治療を受けられず亡くなっていく現実に直面し、何とかしなくてはならないと誰しも思いながらではどうすれば良いかという事になると明確な解決策は誰も答えられない・・・何だかこれは戦後の混乱期の話ではなくて現代でも全く同様な事が起こっているような気がしません?

 確かに当時と比べ飛躍的に医療技術が進歩し潤沢とは言えないまでも日本は飛躍的な経済発展をとげて地方行政にもそれなりの予算が付くようになったハズです。ハズなんですが・・ここ数年の年金保険の不祥事や産婦人科の減少による充分な出産対応が出来ない病院の現状をみると何だかこの沢内村がたどってきた道のりは現代にも繋がっているような気がします。

 まるでマネーゲームの様な年金の「運用」という名の投資はまさに我々の命をマネーゲームに委ねているようなものです。本来減るわけが無い我々の納めてきた年金は昨年一年間だけで何兆円も減少しています。もちろん経済が順調だった頃は飛躍的に増加した年もあります。しかし、投資という行為は正にこの生命行政に関しては私はあってはならない事だと思います。それは投資しているのはお金ではなく我々の命だからです。

 ここ北杜市でも病院の統廃合問題が起きているように聞いています。しかしそれは地方行政において最優先課題であるべきだと私は思います。「住民の生命を守る」これこそが政治の最重要で唯一の課題であるとこの本は教えています。

 政治の世界では我々では分からない難しい問題もあるだろうとは思います。しかし、経済が破綻し地方行政の予算が削られ住民が苦しむ事があるなら何の為の政治かと思います。様々な軋轢を取り払い無駄を省き真に必要な生命に関わる問題に絞って国は政治を行うべきではないでしょうか?

 沢内村の深沢村長は自分の行った生命行政に関して「本来は国が行うべき行政であるが国がやらないのなら自分達がやるしかない」と様々な圧力に合いながら自分の信じる行政方針を貫きました。深沢村長は残念ながら道半ばにして病に倒れこの世を去りましたが村長の政治方針に共感する村民達がその遺志を引き継ぐ事になりました。

 出来れば日本中の人達がこの生命行政に同調し本当の政治とはどうあるべきかを考えるきっかけになれば素晴らしい未来が開けるように思います。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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