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2007年7月

2007/07/30

東京迷走道中

 いつもの様に高速バスに乗って仕事で東京に出た。そこまではいつもと同じだからどうって事は無い。問題はそこからだった。今回の行き場所は千葉県、松戸方面である。余り行った事はない。都内の交通路線図を見るとどうやら日暮里から常磐線に乗ればよさそうだったので新宿から山の手線で日暮里に出た。よしよしここで常磐線に乗り換えれば目指す駅・・・のハズだった。

 車内は空いていたのでゆっくり座席に座って本を読んでいたら何となく知らない駅名ばかりになっていくではないか?あれっ?と思って車両内の路線図を見たらとっくに目的地を過ぎているではあ~りませんか!どうやら快速電車に乗ってしまったらしく降りる駅を通り過ぎてしまったらしい。慌てて乗っていた電車をおりてホームの反対側の上り線の電車に乗り換えた。

 やれやれ危なかったと思い上り線に乗り換えてホッとしたのも束の間、心配になって車内の路線図をもう一度確認するとどうやらこの電車も目的の駅には止まらないらしい??どうなってんの?と戸惑いながらもとにかく降りなきゃと思い次の駅でその電車をおりてホームでよく路線図を見ているとどうやらこのホームに止まる電車は全て快速で各駅停車は別のホームの電車に乗らなくてはならないらしい事が分り慌ててホームの階段を登って隣のホームに移動・・・やっと目的地に到着と相成りました。

 それで終われば何もここで書くほどの事では無かったのですが、今度は帰り・・・よ~し今度こそは注意しなくちゃと思い各駅停車に間違いなく乗った。確かに乗った。しかし!今度は何故かいつの間にか電車は地下にもぐって地下鉄になってしまった。オカシイ!確かにJRの駅でJRの切符を買ってJRのホームで電車に乗ったのにいつの間にか東京メトロになってしまった。訳がわからないまま慌てて次の駅で降りた。そして戻ろうと思ってホームの反対側に行こうと思ったら何故かホームの反対側が無い!そんな馬鹿な!と言われても別にハリーポッターでも無い限り見えないホームに電車は来ない。混乱する頭を振り振り仕方なく改札口を目指すと何と降りたホームの下に反対側のホームがあるではないですか。そうですこの地下鉄は上り線と下り線が上下に重なって掘られていたのです。

 何だかますます訳が分らないまま兎に角JRに乗り換えるべく最寄のJRとの接続駅まで引き返した。やれやれこれで何とかなると思い、乗換え口の改札に切符を通すとゲートが開かず「この切符では通過出来ません」という表示・・・

 もう全くワケが分りません。近くの駅員さんに聞くと「ここまでの切符を持って向こうの窓口に行け」とおっしゃる。言われた窓口で切符を出して「新宿まで・・」とノタマウと無言で切符を出してくれた「あの~お金は?」と聞くと要らないと仰る。「済みません。有難うございます」と取り合えず御礼をいったものの良く考えたら俺はちゃんとJRの駅でJRの切符を買ってJRに乗ったのに何でこんな目に会わなくちゃならないんだろ思い、そうだ何も謝る事は無かったんだなと何だか損をしたような気になった。

 しかし、とにかく今度こそ無事にJRの各駅停車に乗り換える事が出来てやっとの思いで新宿の高速バス乗り場に生還し、お山に戻ってくる事が出来ました。

 後で路線図をじっくりと見返すと私の乗った電車は地下鉄とJRに相互乗り入れしている電車らしく途中で地下鉄の切符とJRの切符を取り替えなくてはならない仕組みになっていました。

 しかし、私も20年前までは東京で暮らしていたのに八ヶ岳の森の中に暮らすようになってすっかり勘が狂ってしまい全く田舎者になってしまったのか、それとも都会の進歩が早すぎて私がついて行けないのか、兎に角、都会で移動するのも全く疲れます。都会の路線は複雑過ぎません?そんな事ない?そうですか・・・

2007/07/22

台風の思い出

 一週間、ブログをサボってたら夏休みになってしまってました。先週は7月としては最大だという台風に向かって無謀にも車を走らせる事になり家族と共に岡山で結婚式に出席しそのついでに高知に帰って来ました。

 岡山での結婚式の最中に台風はちょうど岡山を通過し、式の間ホテルの窓にはヒューヒューという台風独特の強風と大粒の雨が叩きつけらていました。翌日、仕事で神奈川に帰らなくてはならない娘は新幹線が止まってしまい名古屋で立ち往生、車で高知に向かった我々は何とか無事、瀬戸大橋を通過し高知に到着しました。

 高知はいわずと知れた台風銀座、高知は知らなくても「足摺岬」とか「室戸岬」なんて台風情報では何度も出て来る名前なので知っている人も多いと思います。高知県人としては台風と聞くと何故か心がむず痒くなります。子供の頃は台風が来ると聞くと学校に行かなくて済むかが最大の関心事で夜、台風が通過なんて事になると翌朝のラジオかテレビで学校が休校がどうか知らされるのでドキドキしながら聞いてました。そしてメデタク?休校となるともうワクワク・・・

 大抵、台風一過とはよく言ったもので翌日はくっきりとした青空が広がり、早速我々ガキ共は徒党を組んで台風の爪痕見物をしに外に繰り出していました。親からは危ないから絶対、川に近づいてはイカンと言われてましたが、そんな事聞くわけもなく自転車で先ずは近くの河原に行きゴーゴーと流れる川の流れを見物し、床上浸水なんかしたら知り合いの家か自分の家で畳を上げるのを手伝ったり、すっかり汚れた障子を外して張り替えるのを手伝ったり、兎に角やることは沢山ありました。

 特に実家はガソリンスタンドを経営していた時期があり、台風の後は兎に角パンク修理が多かった!大人は仕事で忙しいので私が朝から晩までひたすらパンク修理をしていました。当時は今と違ってタイヤの中にチューブが入っていましたので最初に工具を使ってタイヤをホイールから外してチューブをひっぱりだして水を張ったバケツの中にそのチューブを浸して空気が漏れている所を探しだし其処に接着剤を塗ってホットパッチという絆創膏みたいなものを貼り付けて火をつけると熱で溶けてその絆創膏がチューブの穴を塞いでくれるという仕組みになってました。その作業が朝から晩までひたすら続くなんて事もしょっちゅうでした。

 車が水に浸かってしまうとエンジンが掛からなくなってしまうのですが、色々手をつくしてやっとエンジンがかかると排気口から水が噴出したりして子供心に面白かったのを覚えています。

 高知がいくら台風銀座だといっても台風の目の中に入るのはめったにありません。それが丁度通過していくと本当に台風の最中にポッカリと穴があいて青空が広がります。そして暫くすると今度は吹き返しの猛嵐が始り再び台風になってしまうのです。

 台風が通過すると町は災害で大変でしたが一度、大変な被害を受けた事がありその後、河川の氾濫に備えて大型の排水ポンプ等が整備されてから高知もそれ程大きな被害を受ける事は少なくなりました。

 地球温暖化が進むにつれ台風は大型化する傾向があります。子供の頃は楽しみにしていた時期も有りましたが大人になった今は心配するばかりになりました。これからは出来れば日本を避けてくれる事を願うばかりです。

2007/07/09

目覚まし猫が・・・

 先々週のブログに登場した我が家の目覚ましお騒がせ猫が今朝、逝ってしまいました。昨晩、女房殿と一緒に布団で寝ていたのですが「何だか様子がおかしいよ」と女房が言い出したので1階に下ろして慌てて癲癇の発作止め薬を投与して様子をみていましたが変化なく「どこもおかしくないんじゃない?ただ眠かっただけじゃないの?」「そうかも知れないね」「とりあえあず様子みようか」と言う事になり、しばらく様子を見ていたら、やはり癲癇の発作を起こしてしまい全身が痙攣して硬直し始めました。

 女房が慌てて座薬を入れて懸命に手当しましたが中々改善せずに「全員で起きててもしょうがないから交代しながら様子をみようよ」「俺が先に見るから」と長男が朝の3時頃まで付き添っていたのですが朝の3時頃「もうダメみたい」と我々のところに来たので一緒に様子を見に行った時にはもう虫の息でした。

 「頑張ったけどしょうがないね」「うん、良く頑張ったよ」と夫婦で何となく気持ちを整理して体を布で包んで清め、「夜が明けたら火葬場に連絡して火葬して貰おう」と一旦、寝室に引き上げて息子も我々夫婦も明日の仕事や用事があるので取り敢えず寝る事にしました。

 そして、今朝私が火葬場に連れて行き火葬して貰いお骨を貰ってきました。これで昨年末から同居していた犬1匹、猫3匹が相次いで逝ってしまい。何も皆、揃って逝かなくてもね・・・と愚痴を言っても仕方なく、我が家をウロウロする連中が皆、居なくなってしまいました。

 特に最後の猫は前出の写真のとおり体が一番大きくて、ひょうきんで、一番弱虫で一番笑わせてくれた奴だったのでちょっと尾を引くかも知れませんね。今頃、先に逝った親猫と兄弟猫達に会って又、騒いでいる事でしょう。

 仕方ない!私の枕元には骨壷が全部で4つ!何だか頭が重いのは気のせいでしょうか・・・

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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