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2006年7月

2006/07/29

猫の心筋梗塞

 先日、我が家の同居ネコがいつものようにタラフクご飯を食べ終わってトイレに行った。そしていつもの様に立派なウンコをし終わった。ここまではごくごく普段の光景である。しかしその後、同居ネコの様子が急変した。突然、トイレの中でひっくり返りうなり声を上げたかと思うと突然、トイレから飛び出して七転八倒、苦しみ始めた。ナンダナンダ?と驚く間もなくテーブルの下に飛び込んで荒い息遣いを始めたと思ったら再び発作に襲われてひっくり返った。

 ハハア、これはきっと普段からの食い意地の悪さで何か悪いものを食ったなと思い早速、動物病院に連れて行こうとしたが何せ夜の9時頃の事である。こんな時間にやっている動物病院などこんな山の中にあるわけない。念の為にと片っ端から電話してみたがやはりどこも出ない。どうせ無駄だろうと思ったが子供にインターネットに接続させて緊急診療体制のある動物病院をパソコンで検索してみたそしたら何と甲府にあるではないか!しかも平日の診察は夜の11時まで更に急患の場合は24時間体制で診察可能!

 いやはや探して見るもんだと思い早速電話してみると「直ぐに連れて来て下さい」と親切な対応・・・早速、我が愚猫をタオルでくるんでダンボール箱に放り込み、女房に抱えさせて中央高速に乗って甲府ICに一目さん、やっと病院を見つけるとこれが又、立派な病院でエントランスは総ガラス貼り!まるでホテルのロビーを思わす受付カウンターで「あの~さっき電話した者なんですが・・」と告げると「お待ちしてました。早速ですが状況を教えて下さい」とテキパキとした対応。「え~トイレで倒れて苦しみ始めまして・・きっと変なもの食ったんだと思いますが・・」と説明すると「では優先的に緊急検査します」とさっさとダンボールを抱えて診察室と思しき中に消えて行ってしまった。

 何とスバヤイ対応なんだろう・・と女房と二人で感心していると「これに記入して下さい」と受付の方が診察券を作る為に調査表なるものを持って来た。女房がさっそく記入している間に手持ち無沙汰になったのでフト壁のポスターをみると「当院では最新型の3D方式のCTスキャンを完備しております」と書いてある。フ~ン近頃の動物病院はスバラシイな~等と感心してたのだがフト、心に何かが引っかかった。「CTスキャン?24時間診療体制?・・・」何だか嫌な予感・・・

 どうも気になって集中治療室とやらを女房と二人で何とか覗けないかとガラス張りの治療室の中をガラスに顔を二人くっつけて目を凝らして見た。そこで見たのは先週、私が町の集団検診車の中で先生にやって貰った超音波検診装置をお腹に当ててもらって気持ち良さそうにしている我が愚猫であった!しかし!その後、さらに恐るべき光景が!

 診察中に発作を起こした我が愚猫に驚いた先生と看護婦さん達2,3人がアタフタと病室内を走り廻り「何だ!何だ!どうしたんだ!」と訳がわからすガラスに顔をくっつけた私達の前では信じられない事に、人工呼吸器を顔に当てられてなにやら注射を打たれた我が愚猫がなにやらガラスケースの中に入れられていく光景が繰り広げられているではありませんか!その内にドクターと思しき女医さんが出てきて「ご家族の方ですね」と問われ「エッ アッ ハイ家族です。(ネコではありませんが)」「病状を説明しますのでこちらにどうぞ」と個室に通されて「この写真を見てください。これは心臓を撮影したものです。少し肥大しているのが分るでしょう」「先生、うちのネコは全身が肥大しているんですけど・・」「いえ、そういう事じゃなくてこれは猫によくある症状ですが心臓が肥大した事による心筋梗塞を起こしたものと思われます」「そうですか、やはり食べすぎですか・・エッ!心筋梗塞!ネコが心筋梗塞ですか?」「ハイ、ネコでも人間でも一緒ですトイレとか風呂に入っている時が一番発作を起こしやすいのです」「先生、うちのネコ、風呂に入った事ないんですけど・・」「例えばの話です!」「現在、発作を抑えるために高酸素室に入って貰い、発作を抑える注射をうって様子を見ています。2,3日安静にして入院して貰います」「エッはい分りました。高酸素室ネ・・・シンキンコウソクね・・」「それでは入院の申し込みをして貰いますので受付にどうぞ」

 何がなにやら訳が分らないまま、女房と二人で受付に戻り入院申込書を見た。「毎日、病状を報告しますか?毎日、掛かった費用を報告しますか?面会時間は午後1時から3時半までそれ以外の場合は主治医の説明は受けられません。万一の事があった場合でも病院を訴える事はしません。最終的な延命治療を希望しますか?」等々、全ての項目に記入し終わりフト、女房と顔をあわせて「あのさ、これって保険きかないよね」「当たり前だろネコだぞネコ!」「さっき酸素マスクしてたよね?高酸素室ってのに入ってたよね。超音波検査だよねさっきの写真・・・」「そうだよ、見ただろ!」「ウン、見た」「高いよネ・・・」「知るか!」「とりあえず、毎日費用は教えて貰う事にしたから・・」「住所とか連絡先とか書いたのか」「うん、書いた。書かない方が良いかな?」「そんな訳にいかないだろ!」

 すべての手続きを終えて我が愚猫にバイバイして病院をでたのはもう翌日の1時・・この先どうなるんでしょう・・・いやはや日本の動物病院の進歩はスバラシイ・・・

2006/07/23

新しいログハウスの誕生

M067 ここ一週間ほど自宅を留守にしてあちこち渡り歩いておりました。その為に森の囁きも遅くなってしまいました。全国を荒らしまわっている異常な梅雨の気象の中、何の因果か日本で一番高い気温を記録した静岡県と高知県に丁度滞在しておりました。写真は浜松市に移築したログハウスです。これも何の因果か異常気象による天竜川の氾濫と諏訪湖の水位上昇による水害の最中に何とか無事、移築を終える事が出来ました。

 しかし、この異常気象、よく考えてみれば地球温暖化による海水温度の上昇という一連の状況を考えれば当然といえば当然の気象変化といえるのではないでしょうか。海水温度の上昇は水蒸気の発生を増加させそれが雲となって上昇し陸地に移動して雨を降らし又海に戻ってくるというサイクルに変動が生じ初めていると言えるのでしょうね。

 しかし問題はこの異常気象をもたらしたのは人類が引き起こした人工的な気象変化であるという事です。産業革命以来の経済発展は地球にとって急激な自然変化をもたらすという皮肉な結果となってしまいその延長線上に発生したのが地球温暖化という現象ではないでしょうか。元々、地球は長いサイクルで温暖化と寒冷化を繰り返してきましたが人間という動物がそのサイクルに変化を与えてしまうほどの大きな自然変化をもたらしてしまっているのです。

 我々はこれ以上の急激な温暖化を防ぐ為に何が出来るのでしょうか?別に難しい話ではありません。身近で出来る「勿体無い」を実践すれば良いのです。不必要な電気を切る事もそうですし食糧もそうです。出来るだけ必要なものだけにして不要なゴミを出さない事です。以前にも話をしましたが昭和40年代の暮らしに戻る事ができたら現在の日本の消費エネルギーは半減出来ます。特別に難しい事では無いように思います。

 写真のログハウスは日本が戦前に行っていた新月伐採法によって伐採された天竜杉を使って建てられたログハウスです。樹齢70年以上の木を利用しています。そしてこの天竜杉で70年以上もつ家を作る事ができたら森はよみがえります。そしてその事は温室効果ガスである二酸化炭素を長くログハウスの部材としてその体内に留めておくことが出来るという事を意味します。ログハウスは決して特殊な建物ではありません。開拓民が生きる術として生み出した家なのです。人間が暮らすために生み出したシェルターであると言えるかも知れません。決して今、流行の規格型、工場生産型の住宅を批判するものではありません。ただ、我々の家の原点に近い何かを感じる事が出来るものなのです。

 だから私はログハウスが好きです。勿論、日本古来の民家も大好きです。自然により近いものに気持ち良さを感じるのです。それは感性というものだと思います。文明の発達は人から感性を奪い去る結果になってはいないでしょうか?勿論、情報も大事ですデータも大事です。でも私は最後は人の感性を信じたいのです。データをどのように生かすかは最後は人の感性ではないでしょうか?異常気象がもたらす変化を感性を持って人間は感じるべきではないでしょうか。今、立ち止まって元に戻る勇気も必要なのではないでしょうか?

 何て事を大汗かいて、土砂降りの雨に打たれておかしくなってなってしまった頭でふと思ったこの頃でした。

 あ~やっと1週間ぶりに自宅でゆっくり眠る事ができました。我が森はまだ大丈夫でした。ヤレヤレ・・・

2006/07/09

活字中毒の悩み

 私は活字中毒です。フッと時間が空いた時とか手元に本があれば何とか生き残れるのですが旅先等で不意にスケジュールが狂って時間が空いてしまって手元に何もないとどうしようとオロオロしてしまいます。その為にいつも古本屋さんにいって予備の本をいつも手元に置いておくようにしています。そうすると心に余裕が出来て精神的にも落ち着くのです。

 シカ~シッ!最近は何となく忙しくて本を読む時間が中々取れない。サラリーマン時代は通勤の行き帰りで文庫本1冊くらいは軽く読めたのですが八ヶ岳に来てからはもっぱら仕事の移動の時間か夜、寝る前しか読む時間がないのです。しかも、最近は健康的な生活をしている所為か布団にはいると「サアッ今日は読むぞっ!と思って読み始めて30分位するともう頭の中に活字が入って来ない状態となりそのうちにモウロウとしてきたらもうダメあえなく撃沈という状態が続いています。

 今、東京では新しい本の世界を紹介する大きなイベントが開かれているそうですね。先日ニュースで見ていたら将来の本の世界を予感させるような新しい形態の本が紹介されていました。又、今朝は小松左京さんが共著で「日本沈没(第二部)」を発表されたというニュースを見てこれは買わなくては!と思いましたね~。日本沈没は読み始めてから没頭して一気に読み通したような覚えがあるのですが文章の最後に「第一部完」と書いてあったとは全然気が付きませんでした。つまりあれは最初から続編が予定されていたという事ですね。気が付かなかった~。やってくれるじゃないか!小松さんという感じですね。

 本の世界の素晴らしさは読んだ人それぞれの感性で物語のイメージが読者それぞれの頭の中で自由に出来上がっていくという事じゃないでしょうかね。つまり同じ本を読んでも読んだ人によって解釈が違ったりその物語の映像がそれぞれの個人の頭の中でその人だけの映像が出来上がるということではないでしょうか。その事が個人の感性を育てる事に繋がっていくように思います。

 最近の子供達は本離れが進んでいるという話を聞きます。今、はやりのゲーム機は個人のイメージを作り出すのではなく直接、映像としてそのイメージを伝えてしまいます。つまりゲーム機で遊ぶ子供達が全て同じ映像を見ていると言う事です。ゲームがダメだとは言いませんが大人達がもっと自分の子供達に小さい時から絵本を読んで聞かせてあげれば子供達は自分で読む本のイメージを自由に自分の頭の中で作るという楽しさを知ることが出来るんじゃないでしょうかね。その事がもっと感性を作り上げる事に繋がるような気がします。もっともっと本を読んで自分の感性を磨いて欲しいですね。

 私は何とか短い時間で本を読む手段として速読に挑戦した事がありますが未だに身に付ける事ができません。最近、これはやはり頭が悪いという事かな?とあきらめつつ開き直ってモウロウとする頭の中で同じ箇所を何度も読んでしまう怠惰な読者に落ちぶれております。

2006/07/01

自然のポテンシャル

P1010123 1週、森の囁きをお休みさせて頂いて北海道を仲間達と研修を兼ねて廻ってきました。目的は北海道における新月の木の活動状況を見るのと活動の普及を兼ねたものでした。訪ねたのは帯広から北海道に入って、新得、富良野、釧路と廻って帰ってきました。この旅では訪ねた所で様々な人に会って自然のもつ力(ポテンシャル)の偉大さを改めて認識させられる旅となりました。

富良野では東京大学演習林に入り80年前に開拓民達が直面したであろう時代そのままの原生林の姿を目の当たりにして倒木の上でしか更新できない幼木のけなげな姿に感動しこれが自然界の掟である事を知らされました。

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その後、新得の新得協働学舎にお邪魔して昨年、今年と2年続けて日本人として初めて世界一になった「さくら」というチーズの製造過程を見せて貰いました。代表の宮嶋氏は大変、自然のポテンシャルを科学的に解明される方でそのチーズ造りには自然のポテンシャルを随所に生かした製造工程を施しています。先ず、驚いたのが牛舎が全く臭くない事、虫も全然飛んでいなくてなにより牛を繋いでいないのです。牛達は厩舎に勝手に寄り添って過ごしておりその顔はどの牛も驚くほど穏やかで私がいつも見ている厩舎で繋がれて餌を食べている悲しげな牛の表情とは全く違うものでした。この厩舎の下には大量の炭がひかれており特殊な土壌処理がされている為に匂いも虫も寄ってこないのです。その方法は極めて自然の力を利用したものです。この牛から取れる牛乳がこの世界一となったチーズの秘密に繋がっているのです。

そして、最後にこの文章の最初に掲示した写真は釧路の斎藤牧場という牛が拓いた牧場で有名な所です。牧場主の斎藤さんは寒冷地の厳しい荒野での牧場経営に行き詰まりある日牧場に立っている1本の木に登りどうすれば良いのかボンヤリ牛を眺めながら考えていました。牧草を食んでいる牛を見ているうちにフト気が付きました。そうだ、牛にまかそう!自然のままに放り出してみよう!こうして石だらけ、木だらけの牧場の構想が固まりあとは牛頼み・・・その結果どうなったか?牛達は自分達の意思にそって朝、勝手に起きだして山の麓から徐々に牧草を食べながら頂上を目指します。そして夕方誰に追われるでもなく自分達で群れをなして勝手に厩舎に戻ってきます。群れの中には雄牛がいるので周辺の牧場が軒並みクマに襲われる中、斎藤牧場では1頭も襲われる事は有りませんでした。見事に雄牛が群れを統率しているのです。こうして山肌をそのまま生かした牧草地は牛達が勝手に食べて勝手に排泄した糞で見事に自然のサイクルが出来上がり美しい牧草地になって行きました。実際に会った斎藤さんは本当に時代の重みを顔ににじませたいい顔をしたオジイサン(失礼!)でした。「オリャ何もしてない、牛達が勝手にこの牧場を作ってくれたんだ」と言われ今でも4輪駆動の車を運転して我々を牧場の中まで案内してくれました。牧場の中にまともな道なんてありません。まさに山の中を勝手に上がっていくといった感じでした。それがまた気持ちよく、途中の川で冷やしたビールとジュースを振舞って頂き牧草地をボヤ~と見ていたらこの写真の牛達が牧草を食べながら上がって来てすっかり囲まれてしまったと言う訳です。牛達は我々を気にするでもなく「邪魔な奴だな~」ってな顔をして通り過ぎて行きました。ただ、雄牛だけは気を付けるように注意されました。群れの雌牛を守るためにいつもぴったり寄り添っており下手に前に立つと角で突き上げられるからです。ここでも自然の力に逆らうことなく逞しく素直に生きている牛と人間が暮らしていました。

今度の旅で思い知らされて事は、自然の力を正しく理解してその力に逆らう事無く暮らすことこそ人間らしい生き方であるのだな~という事です。これが一番単純で簡単そうでこれが現代では一番難しい事かも知れませんね。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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