2023/03/25

新しい変化の兆し

今年も3月の終わりのが近づき多くの会社が年度末を迎え、社会全体でも一つの区切りを迎えます。

 ここ数年、猛威をふるった新型コロナウイルスの脅威もそろそろ峠を越えたようで人々も恐る恐るマスクを外し始めたようです。私自身は花粉症の為にこれからはマスク必携ですが(笑)・・。

 しかし桜前線も昔は我が故郷、高知が全国に先駆けて開花宣言を行っていたのに今年は東京が一番最初とは何だかやはり温暖化の影響か季節感がずれてきましたね。昔、高知城の桜の標本木の小さな桜の蕾を見つけた時の感動が蘇ってきます。

 学校もそろそろ春休みに入る頃で電車の中の子供たちのメンバーも入れ替わりが進み、最近は見かけない新入りさんが増えてきて、逆に毎日顔を見かけていた、いつもの子供達の姿を見かけなくなって少し寂しい気もしてきます。

 来月から新年度が始まり色々な新しい環境がスタートする事と思います。我が社も体制を変えて又、新しいスタートを企んでおりますがそれは又、ハッキリしましたらお伝えします。

 先日までTVの前で観ている人を釘付けにしたWBCの日本代表の活躍も多くの人に感動を与えた事と思います。このネット全盛の時代に平日のTV視聴率が40%超えなんて信じられませんね。

 私が子供の頃はまだ各家庭にTVがなくて、街頭TVや裕福なTVを持っている家に子供達が集まって数少ない番組のプロレスや歌番組を見ていましたがこの時代にまさか街頭の電気屋さんのTVの前に多くの人が集まって固唾を飲んで見つめる姿を見るとは思いませんでした。それだけ今回のWBCでの日本の活躍は素晴らしかったと思います。日本人にとって誇りになりました。そんな日本代表のメンバー達もこれからそれぞれのチームに戻って今年のシーズン開幕に備える事になります。

 私達、建築に携わる者も色々な制度の変革や環境の変化に対応していかなくてはなりませんが私達のように森に立っている貴重な木々の命を頂いてログハウスや木造住宅を手作りで造らせて頂ている人間にとって変えるべきものと変えてはいけないものがあり、それは時代の変化をみながら自分達で考えていかなくてはなりません。

 日本が誇る町工場の技術が私達にもお手本になります。これからも新しい変化に備えて変えていくべきものは変え、変えてはいけないものは見極めて行こうかと思います。八ヶ岳にも桜の開花が待ち遠しいです。

2023/02/04

諏訪湖の御神渡り(おみわたり)

 今年も諏訪湖の御神渡り観測、最終日となる2月4日の立春の日を迎えました。今年は少し寒くなる日も続き湖全体が結氷する日も4日間程ありましたが残念ながら氷の厚さはそれほど厚くならずに現在のところ御神渡りは出現していません。

 多分、このまま「明けの海(御神渡りが出来なかった事を言います)」の宣言が出る事と思います。近年では2018年に出現してから「御神渡り」は出来ていないのでもう5年間出現していない事になります。

 これも地球温暖化の影響かと思われますが500年以上続いている諏訪湖の「御神渡り」神事は世界でも珍しい湖の環境記録としても注目されています。

 新型コロナウイルスの感染拡大もはや3年が経過し今年になって漸く一つの区切りをどうやら迎えそうななってきましたが近年、私達の暮らしを取り巻く環境が少しずつ変化してきているのを感じます。

 2023年が始まってはや1か月が過ぎようとしており今年が果たしてどんな年になるのか分かりませんが出来たら穏やかな一年になるのを心から願っています。

 電車に乗っていても学生達の入れ替わりが感じられます。高校生達は3年生がそろそろ卒業なので試験の関係で通学する必要がなくなり電車に乗らなくなり少し電車もすいています。

 そして新年度がはじまると新1年生達が新たに電車通学をするようになり、それぞれ乗る車両やメンバーが変わり、それにつれて同じ車両に乗り合わせる子供達の様子も変わってきます。

 それは小さな小さな日常の変化ですが日々、その繰り返しが一年の積み重ねとなり再び新たな年となっていきます。

 もうすぐ寒い冬も終わり一日毎に日差しが暖かくなり太陽の出る位置も変わってきて新しい春が訪れます。毎年、甘酸っぱい香りのする春の訪れがこの時期、待ち遠しいですがもう少しです!今年も美しい諏訪湖や八ヶ岳南麓の桜の名所を見に行くのが楽しみです。

2022/12/28

2022年を振り返って

今年もあとわずかとなりました。毎年、このブログで一年を振り返っていますが年齢と共に昨晩のおかずに何を食べたかも怪しくなって来ましたので(笑)余り深くは振り返らない(振り返れない)事にしました。

 今年一年を象徴する漢字は「戦」に決まりました。一年の象徴が「戦」という漢字で代表されるというのも、とても残念な事です。今年は確かにロシアによるウクライナ侵攻という世界の秩序を大きく狂わせてしまう戦いが起きて世界中がその影響を受けてしまいました。

 どんな理由があるとしても戦争は絶対避けなければならない事です。日本もその影響を受けて世界の均衡が崩れ冷戦への緊張が高まって来てしまいました。

 戦力によるバランスはどこかで憶測による恐怖の連鎖を生んでしまい、その均衡が崩れる時がとても恐ろしい結果を招く事が予想されて、私はそんな世の中は決して見たくありません。

 同じ「戦」でもスポーツの世界では大リーグの大谷選手がベーブルースを越える偉業を成し遂げ野球少年に大きな夢と希望を与えてくれました。又、ワールドカップサッカーでも日本代表が予選リーグを1位通過という誰もが予想しえなかった大活躍をしてくれて日本中がその活躍に歓喜しました。

 日本球界では佐々木選手が完全試合という素晴らしい記録を達成しプロ野球を一段と盛り上げてくれました。こんな「戦」なら何度でも見返して楽しみたいと思います。

 個人的には一年の後半で少し体調を崩してしまい覚悟を決めて総合病院に行って全身を調べて貰い、担当医から「このままの生活を続けていくと知りませんよ!」と脅かされ「はい、すみません」と反省し先生に「胃カメラ飲んで貰いますからね」と宣言され大人しく言われるがままに看護師さんに背中をさすって貰いながら胃カメラを定期的に飲む羽目になりました。

 その後近年、目の調子が悪かったので眼科も受診し「眼圧がかなり高いのでこのままだと緑内障を発症しますよ」と又、先生に脅かされ目薬を毎日、処方されこれも定期的に受診する事になりました。

 病との戦いもこれからの長期戦となりそうです。ともかくも来年は良い年にしたいので皆さんどうぞ良いお年をお迎え下さい。今年も一年間、ブログを読んで頂き有難うございました。

2022/11/26

会話する森の樹木達

先日読んだ「樹木たちの知られざる生活」ペーター・ヴオールレーベン著 長谷川 圭訳の本はドイツ発で世界で100万部を突破した森林管理官であるペーター氏が普段、知られる事の無い樹木達の生態を記したノンフィクションの傑作です。

 本自体も素晴らしいものですが更に偶然、先日、TVのドキュメンタリー番組で同じ森の樹木達の神秘的な活動を森林の研究者達が科学的に解明していく番組を見る機会があり、この本の内容と似たような科学的な分析結果が報告されていてビックリしました。

 今までも様々な研究から樹木達が何らかの方法でお互いにコミュニケーションを取っているのではないかという事は知られていましたがそれが徐々に明らかになってきました。

 元々、樹木達は根をとおして何らかの伝達をしているのは知られていました。ある樹木に刺激を与えるとその根に微弱な電流が現れ、それが隣接する木々の根と繋がって次第にその微弱な電流が広がっていくのです。

 そして森の中で何らかの原因で木が倒れると隣接する木が根を通して倒れた木に栄養を送り新たな生命の誕生を手助けするのです。

 TVで報道されていたものは更にそのコミュニケーション方法が複雑である事が報告されていました。

 森の中で1本の木が虫に襲われ大切な葉が食害の危機に晒されるとその木はそれ以上の食害を防ごうと虫の嫌う毒性を葉に送り自分を守ろうとし更に、葉から分泌物質を空中に飛散させて廻りの仲間の樹木に「虫に襲われている!至急、防衛策を取る様に」との信号を送るそうです。そうすると廻りの樹木達は一斉にその毒性物質を体内に生成して虫達の攻撃に備える事が出来るそうです。

 又、1本の健康な木の両側に2本の木を並べて植えて1本の木はその健康な木との間の土に遮断壁をいれて完全に健康な木との関係を遮断し反対側の木は何もせず健康な木の横に植えます。そしてその健康な木の両脇に植えた2本の木に遮光性の袋を完全に被せてしまいます。

 普通なら光合成が行えないのでこの両脇の木は直ぐに枯れてしまう筈です。ところが暫くしてその両脇の木から遮光性の袋を外して見ると健康な木との間に遮断壁をいれて関係を断たれた木は枯れてしまい、もう一方の木は袋をとっても普通に葉を付けて健康なままでした。

 遮光性の袋を被せられていて光合成が出来ない筈のこの木は隣の健康な木から根を通して栄養分を供給して貰い命を繋いでいたのです。

 動く事も出来ない、話す事も出来ない、ただ立っている事しか出来ないと思われていた森の樹木達は人間が知らないだけで本当は人間にも負けない伝達方法でコミュニケーションをとり助け合い、人間達より遥かに長い年月を地球上で暮らしていたのです。

 今の地球温暖化を引き起こし、たちまちのうちに地球を危機に陥れている人間達の行動を森の樹木達はどう思っているのでしょうか?何だか身につまされます。

2022/10/31

御柱祭

 先日、地元の神社の「御柱祭」に参加してきました。と言っても諏訪大社さんの上社や下社程の大きな神社ではありませんがそれでも「御柱」は人の手で引くにはかなりの大きさと重量で聞きしに勝る大変なお祭りでした。

 元々、私が長野に引っ越したのは4年前なので「御柱祭」の事は勿論、山梨に住んでいる時から知ってはいましたし実際に勇壮な「木落とし」や「川渡し」「里引き」を見に行った事もありましたがしかし、自分がそのお祭りに参加する事になるとは全く思っていなかったので自分でも驚きました。

 なんで参加する事になったかと言うと、話は長くなるのですが縁あって長野に引っ越す事になったので近くの神社にお参りに行った時に「これからお世話になります」といって協力費みたいなお礼を納めさせて頂き、合わせてお世話になる所の区にもご挨拶して区費を納めて区民にもさせて頂きました。

 そんな事はすっかり忘れていたのですがある日、郵便受けに「御柱祭実行役員名簿」というものが入っており、その中になんと私の名前も記載されていました。当初は名誉的なものだろうと思い、私みたいな者が参加するもんじゃないと思って気にもしなかったのですが、ある日「今週末から木造り、縄づくりをするので参加する様に」とのお達しがポストに入っており、これはちゃんと話をしなくちゃならんだろうと思い担当の方に連絡させて貰ったら「参加者が足りないので是非参加お願いします」と言われ、聞くと私の暮す地区の区民はお祭りの参加者が少なくて人手が足りないという事でした。

 さあ、それを聞いてからが大変、その週末の木造り等は別の用事が既に組まれていて参加出来ないとお伝えしたのですが、その次のイベントは「山出し」といって御柱を安置している山の中に入って皆でそれを麓の安置所まで下ろして来るという行事です。

 その日まであと2週間も無いタイミングでした。とにかく参加するためには御柱祭の衣装を整えなくてはなりません。地下足袋、股引き、腹掛け、帯、鉢巻、法被これらが各地区で決められたものがあり、色もそれぞれ違います。それも後2週間しか無いタイミングで揃えなくてはならないので兎に角、先輩の役員の方に連絡して「どこで売ってるんでしょうか」とお聞きするところから始まり店の連絡先を聞き、場所を確認して「まだありますか?」と聞いたらも最後の一枚位しかないです」と言われ「それ、私が買いますから置いといて下さい!」とお願いして、それでも足りないものは先輩の役員の方から「これ使わないから差し上げます」と言って貰い遠慮なくお言葉に甘え、何とか恰好だけは祭りの支度が出来ました。

 さあ、その「山出し」の当日、集合場所に朝の6時に集合し皆で山に安置してある御柱の所に行き早速、神事が行われお祭りのムードが高まり地区のあちこりで合図の花火が上がり、爆竹まで馴らされ出発の「木遣り歌」が「子供木遣り隊」を中心に盛大に奉納され、いよいよ雰囲気が盛り上がり「なるほど、これが御柱祭の雰囲気か」と感心させられました。

 そしていよいよラッパの合図とともに山出しがスタート!私の役目は「追っ掛け」といって大きな御柱の後ろ側に付いた引綱を持って御柱がカーブを曲がったり、急な坂道を落ちる時にその方向を変える役割をになっています。

 御柱が人を載せて急な山道を下りていくのですが多くの方達が綱を引いているので息を合わせて引かないと中々大きな木は動いてくれません。ひとつの神社に対して4本の御柱がありそれぞれ一之柱、二之柱、三之柱、四之柱と呼びそれぞれ担当の役員が付いています。

 狭い山道を下りて行くので「エ~こんなとこ曲がるの!」とか「エッ!どうしてもここ通るの」とか言いたくなるカーブが連続して結構大変でした。そんなこんなで漸く「山出し」が無事終了すると再び安置場所に御柱を並べて安置して又、一週間後に今度は祭りのメインイベント「里引き」と呼ばれる御柱を町の中で皆で引いて神社まで運ぶ作業が行われます。

 これには女性や子供達も大勢参加してお祭り気分が最も盛り上がるイベントです。それでも人一人が漸く通れるような急勾配の階段を通すところがあり、さすがに「エ~どうしてもここ通らなくちゃならないの!」と新参者の私は思いましたが皆さんはそこが楽しいようで勿論、道路は全面封鎖してとにかく御柱様が通るのが一番という祭りなので誰も気にしないようでむしろ喜んで引いている様でした。

 そして「里引き」もクライマックスで最後は神社の階段を何とか今度は引き上げなくてはならず、狭い境内で危険なので流石にそこは役員だけで引き上げなくてはならない様で「さあっ!最後だから皆、気合いれて行きますよ!」と最後の木遣り歌に合わせて一気に神社の安置場所に引き上げて無事、奉納しました。

 後日、安置した御柱4本は「建御柱」と言って重機を使って無事に神社の4隅に建てられ又、6年後までそこで鎮座します。

 いや~初めての御柱祭でしたが聞きしに勝る天下の奇祭(良い意味でです)何百年も受け継がれてきた祭りのほんの少しですが経験させて頂いて本当に凄いお祭りだと心から思いました。又、6年後、私がまだ元気だったらまた引かせて頂こうと思います。

2022/09/24

都会生活と田舎暮らしの違い

 毎年この時期になると毎日の様に、ご近所や知り合いから野菜や果物、お米などの農作物が沢山、廻ってきます。そしていつもこんな風に、ご近所から色々な作物を頂けるというのは都会では無理だし本当に田舎では未だにこんな贅沢な感覚を味わえて幸せだと感じています。

 昔の日本の原風景では当たり前の様に繰り広げられていたといえるこの時期のご近所との交流は流石に減ってきていますよね。

 でもこの農作物をご近所に配る、そしてそれを頂いて食事の時に調理して有難く頂くという習慣はお金では買えない人と人の交流やありがたみを感じる事が出来る貴重な風習ではないかと思います。

 都会では中々、近所に農家の方もいらっしゃらないし、むしろ近所付き合いはプライバシーの問題もあってあまり干渉しない方が旨くいったりする事もありますよね。

 最近はネットの発達もあって欲しいものはネットで注文すれば直ぐに手元に届くので別に近所の方が作り過ぎた野菜を持ってくるのを期待しながら(笑)待っている必要もないですよね。

 都会には都会の良さ、田舎には田舎の良さがあり、又、それぞれ不便なところもあり、どっちが暮しやすいかなんて分からないし、それは個人の方がどちらの暮らし方が好きかという事だと思います。もっと言えばどちらも良い所どりが出来ればそれが一番良いかもしれませんね。

 昔は「週末田舎人」なんて言葉もあり、いまでも「週末は北杜にいます」なんてフレーズも結構、巷では聞くことが増えています。

 私が昔、八ヶ岳の自分の家が建つまで暮らしていた地元の団地も結構、駅前の静かなところに建っていて裏はお墓なんかがあったのですが今は「スーパーカブ」というアニメの舞台で主人公の女子高校生が暮していた団地として聖地巡礼なんて今時の流行りですっかり人気のスポットになったりして全く何が起こるか分かりません。

 先日、地元のJR小淵沢駅のホームに向かっていたら、この女子高生のアニメの大きなポスターが飾られていました。

 そういえばこのところ連休になると漸く電車のホームが混むようになり連休最終日ともなると上りのホームで特急電車の「あずさ」の到着を待つ人でホームは結構混雑するようになりました。

そろそろ長かった新型コロナウイルスとの闘いもトンネルの先が見えてきたのかも知れません。私自身はこれからも田舎暮らしを楽しんで暮らしていきたいと思います。

 なので今日も事務所に届いたモロッコインゲンを持って帰って家で食べようと思います(笑)

2022/08/27

本との付き合い

私は本を読むのが好きで昔、思いついて読書記録を付ける事にしました。

 今から20年ほど前からですが当時、自分のPCを持つようになり仕事でも段々、PCが欠かせなくなってきてある日、フト、そういえば自分が今まで読んできた本は読み終わると古本屋に持っていったりして「この本、読んだ」という記録がないよなと気付き、たまに本屋さんで本を買って読んでると「あれっ?これ前読んだような・・・」何て事もあって「そうだ読書記録を付けよう」と思い立ちました。

 そしてそれからつけ始めたんですがある日、一度PCが壊れてデータが飛んでしまった時期があったのでその前の記録が残っていないのですが、昨日、ちょうどそのカウントが1000冊目になりました。

 途中、データも飛んでしまったり中々、読書が出来ない時期もあったりして一概には言えないのですが20年で1000冊、一年で約50冊、一か月で4冊ちょっとなので大体、1週間で1冊というペースです。

 東京でサラリーマンをしているときは通勤時間が片道1時間半、往復3時間程あったので一日で1冊読めたりもしていましたが山梨に来てからは通勤が車で15分程になってしまったので本は寝る前に10分程しか読めなくて読書ペースがガタンと落ちてしまいました。

 今はお隣、長野県から電車で通う事が増えたので電車の中で片道50分程の読書時間が取れます。

 それにしても昔は電車の中で新聞や雑誌や本を読む人が多かったですが今は電車の中で本を読む人は一つの車両の中を見廻しても大抵、私一人くらいしかいません。

 最近は新型コロナ感染拡大の影響で遠くまで旅行に行く事も無くなったので余り長時間、交通機関のお世話になる事は有りませんが昔は長距離バスや電車の移動で読む本が無くなると困るので、予備の本を持って乗らないと気持ちが落ち着かない程、活字中毒でした。

 今は電子本が広まって携帯やPCで本を読む人も増えたので紙の媒体である本の人気は昔ほどでは無いらしく事実、大手の本屋さんが閉店する事も日常的になってしまいました。

 それも影響するのか本屋さんの本の展示方法もやる気のある本屋さんにいくと、あれもこれもこの棚の本、全部下さい!なんて叫びたくなるような本屋さんが少なくなって「この本屋さん、どういう思いででこの本を棚に並べているんだろう?」と首をかしげたくなるような店が多くなりました。

 そういう本屋さんに入ると何故か全く本を買う気になりません。それに反して小さな本屋さんで収蔵本も少なくてもその本屋さんが「この本を売りたいんです!」という意図がしっかりと感じられる店にいくと「おう!この本、面白そうだな」と思いつい手に取ってしまいます。

 今は、本屋さんも若者の本離れが進んでいるので自分達が売りたい本が中々、出版社から配本されないなんて事態も起こっているらしく少し寂しい気がします。

 本は自分のなかで感性を高めてくれて想像力を養ってくれたり、私も昔、読んだ本がきっかけで今の生活を決意したようなところがあります。だから、今年、亡くなってしまったその本の著者には今でも感謝しています。紙のページをめくるあの感覚が自分の想像力を養ってくれる読書は私の大切な営みのひとつです。

2022/07/16

4回目のワクチン接種

昨日、地元の市役所から4回目のワクチンの集団接種の日程決定のお知らせが来ました。いつもの様に近くの体育館での接種となります。今回も高齢者枠での集団接種となり本当に有難いやら申し訳ないやらでスタッフの方には感謝しかありません。

 まだ、現役で働いているので週末しか時間が取れなくて本当は日曜日が一番、良いのですが前回もちょっと痛みが残って肩が上がり難くなったので今回も念のために翌日も休みを取って土曜日に接種する事になりました。

 それにしても新型コロナウイルスの感染拡大が始まってもうかれこれ2年半くらいになりますか・・世界中がこのウイルスによってパンデミックを起こし未だに収束する気配がありません。

 小さな小さなウイルスが人類の生活に大きな変化をもたらすなんて誰が想像していたでしょう?先日、TVでマイクロソフトの創業者ビル・ゲイツ氏が新型コロナウイルスの感染が始まる前の2015年頃からウイルスによる世界的なパンデミックが起こる危険性をと唱えていたと報じていましたが、まさかそんな事が本当に起こると一体どれだけの人が予想したでしょう。

 今でこそビルゲイツ氏の著書「パンデミックなき未来へ 僕たちにできること」が話題になり多くの人が注目していますが、それもこの新型コロナウイルスが感染拡大を起こしたその後です。

 現在、日本は第7波の感染拡大が始まったと言われています。私達も少しずつこの感染拡大に慣れてしまって少し油断する様になりました。外に出ても未だに多くの人がマスクを着用していますが少しづつ掛けない方も見かける様になりました。

 いずれこの新型コロナウイルスも感染を止める事は出来なくても少しづつ集団免疫を得る様になって重症化リスクが少なくなっていくのだろうと想像はしていますがまだ出口は見えません。

 どんなに科学が発達しても人が病気になる事は避けられないし残念ながら亡くなる事も避けられません。それなら出来るだけ今ある毎日を大切にする事しか出来ないなと最近、ボケてきた頭でぼんやり感じています。段々、夫婦ともボケて来て毎日がボケのかましあいの様な様相を呈してきておりますがもう少しワクチンを打って貰って頑張ろうかなと思っています。

2022/06/30

異常に早い梅雨明けと真夏の始まりと新月

毎年の事だけど温暖化の影響か、季節がどんどん前倒しになっているようで今年の梅雨も、つい先日梅雨入り宣言したと思ったら、もう梅雨があけて、あっというまに今度は真夏の灼熱地獄が始まってしまいました。

山梨県も甲府市は毎年全国一の気温を記録する日もあって昨日も38度まで上がりました。私も甲府近くの現場に行く仕事があって出来るだけ朝早くに設定していたのですが、それでも暑かったです。

地球温暖化が進むと干ばつと洪水の異常気象が繰り返されると言われていますが日本列島も梅雨の無いはずの北海道が梅雨末期の様な大雨が降り、西日本から東日本にかけては猛暑が続き干ばつが懸念されて今後の農作物への影響が心配です。

本来、四季の変化が美しいはずの日本も段々、季節がおかしくなって来ました。そんな中、林業家の知人が送ってくれた昨日の写真にすごく癒されました。昨日、6月29日は新月でした。

彼は山の中の川に掛かった橋の上で真っ暗な山の上に広がった月の無い暗い夜空に広がる星空を見上げて冷たいビールを飲みながら普段とは全く違う詩人の様なコメントを送ってきました。

余りの自然の美しさに思わず詩人になってしまったのでしょうね。普段は日本中を木材を載せて走り廻るパワフルな姿しか知らないので思わず笑ってしまいました(失礼)

ネガテイブな情報が毎日溢れて天気もおかしくて何だか追い詰められた様な気持ちが彼の写真一枚でホッとしました。やはり日本の自然は美しい!

2022/05/28

今だから思う事

新型コロナウイルスの感染拡大からもう2年が過ぎようとしています。又、最近ではロシアによるウクライナ侵攻も世界に衝撃的な波紋を引き起こし世界中に様々なストレスが広がっています。

 我々の建築業界にも様々な影響が広がり資材の高騰や納期の遅れ等、いつになったら元の生活に戻れるのか未だ出口が見えない状況です。

 何とか明るい話題をと考えてみましたが、どうしても今のこの状況を避けてお気楽に明るい話題を考え付かない状況です。

 ネットではこの状況は第3次世界大戦への入り口であると自説を唱える人もいて何だか恐ろしい限りです。私は前回の第2次世界大戦後に生まれているので実際に戦争そのものの体験はありませんが母方の祖父は陸軍のお偉いさんだったそうで、馬に乗って軍服を着た立派な写真を見た事があります。

 祖父は毎朝、体操と乾布摩擦を欠かさない人で体型も死ぬまで立派な体型を保っていました。そして最後は朝、新聞を開いて読んでいる姿のまま亡くなっていたそうです。

 戦争はどんな理由があっても許されるものではありません。この地球上には人間だけでなく様々が生き物が共に暮らしています。人間だけが大きな力をもち自然を牛耳って環境破壊を自ら引き起こしています。

 この上、自分達がお互いを傷つけあうという愚行を続ければその存在そのものが危うくなりかねません。これは脅かしでも何でもなく現在の大国間の戦争は一瞬にしてお互いを消滅させる事が出来る力をお互いに持っています。

 誰もがそんな力を実際に駆使する事は無いと思っていますが、こればかりは大国の指導者という人間が決める事なので絶対は無いような気がします。又、過去には実際、日本だけがその恐ろしい破壊力を体験していて、長い年月を経た今でもその影響は続いています。

 そして最近TVを見ていて気になるのはこの戦争の解説者として登場する何人かの有識者の肩書です。その方達はある方は最先端科学技術の専門家であったり軍事評論家であったり防衛相の方だったり普段は私達のような人間が接する機会の少ない方達です。

 特に最先端科学技術の専門家の方が戦争の解説を行うという事になにか背中がざわつくのです。本来は人間の幸せの為に開発されるはずの最先端科学技術が結局、戦争の優劣を決める破壊兵器に生かされているという現実を目の当たりにしたような気がしてなりません。そんな事ならこれ以上、便利にならなくっても良いやと思ってしまいます。

 段々、自分も年齢も重ねて今、最新のスマホもアプリもパソコンも車も結局、その素晴らしい性能のうち実際使えているのは僅かしかありません。私が生まれたウンジュウ年前、昭和の始めの頃はTVもなく洗濯機もなく電話もともすれば近所に借りにいく様な状況でした。決して裕福ではありませんでしたが不幸でもありませんでした。皆そんなものだと思っていました。

 近所には必ず空き地と原っぱがあり子供達は大勢で走り廻って暴れて大人達に怒られていました。今は子供達はスマホを一日中眺め、ゲームに興じて一人で楽しむ事が出来ます。近所に空き地はなく公園はあっても管理が厳しく暴れる事も出来ません。

 昔が良かったとは言いません。今も世の中便利になって素晴らしいとは思います。しかし、コロナが蔓延し、戦争の脅威が近づいている今だからこそもう一度幸せって何だろう?と立ち止まって見る事が必要ではないでしょうか?TVも消し、携帯も電源を切り自然の中で山や川や空を見上げてみる時間が今だからこそ大切なような気がします。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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