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2012年9月

2012/09/25

耳をすまして・・

 か~ん。今年も屋根の上に秋の訪れの音が聞こえてきました。森の中に住んでいると都会と違って人工的な音は一切しません。自然が奏でる自然の音しか聞こえてきません。だから、私は都会に出ると頭が痛くなってしまいます。

 秋が近づくこの頃、森の中はシ~ンとして何一つ物音が聞こえません。ところがある時期がくると途端に賑やかになってきます。一つはドングリの落ちる音、屋根の上に大きなドングリが落ちてきて「カ~ン」と大きな音を立てます。特にドングリの当たり年になると次から次からカンカンと煩いくらい落ちてきて運が悪いと森の中の小道を歩いていると頭の上にゴツン何て事もあります。

 雨上がりの朝、明け方近くまで大雨が降っていたのに朝になるとカラッと晴れ上り気持ちの良い朝。陽が射しているのに上からポタポタ雨が落ちてきます。昨晩降った雨が木々の葉っぱの上に残り、それが風に吹かれてバラバラと落ちて来るのです。これも晴れてるからと思ってうっかり大木の下を歩いているとビショヌレ何て事もあります。

 そして秋も深まると今度は空からカサカサと奇妙な音がし始めます。そう、枯葉が落ちて来る音です。都会ではそんな音は聞こえないと思いますが他の音が全くしない森の中では枯葉が風に舞って他の葉に当たりながらカサカサと音を立てながらゆっくりと落ちて来ます。

 夜、得体の知れない音がする時もあります。先日も夜も更けた頃、家のお風呂場の外でカサカサ大きな音がします。まるで人間が外を歩いている様な音です。「誰か外にいるんじゃない?見てきてよ」と女房が言うので懐中電灯を手に外に出て森の中を照らしても誰も居ません。「誰もいないよ」といって家の中に入り暫くすると又、ガサガサ外を誰か歩いているような音が・・・きっと鹿かキツネだと思いますが外をウロウロしている音が聞こえて来ました。マア都会なら大変な騒ぎになるかも知れませんが森の中には色んなものが棲んでいるので(笑)気にもせず寝てしまいました。

 仕事で都会に泊まる事も多いのですが一番気になるのが救急車とパトカーが鳴らすサイレンの音ですね。昔は全然、平気だったのに森の中に住む様になって滅多に聞く事がない音なのでいつも「ドキッ」としてしまいます。

 最近は玄関で変な奴が私の帰りを待っています。デッカイ「ガマガエル」です。何故か玄関の階段の所に座って待っています。暗いと中々気が付かないので踏みつぶさないか心配なのですが何故か毎日、そこで出迎えてくれます。こいつが夜になるとゲロッゲロッと煩く鳴きます。近くに小川が流れているので多分、そこから通ってくるのだと思いますが、我が家の周りには蛇も棲んでいるので食べられなければ良いのですが(笑)

 それからこれは全然違う話ですが先日、知りあいの方で東京で「江戸噺」を主宰されている方が「八ヶ岳でやるので聞きに来ませんか」と誘って頂き女房と二人で聞きに行きました。

 近くの知り合いの方の居間を借りて高座に仕立てて目の前でほぼ独占状態で聞かせて頂きその声に聞き惚れました。その時、私が思ったのはテレビやパソコンやDVDが発達してスピーカーを通しての音声を聞く機会はもの凄く多くなったけど一昔前まではこうやって皆で演芸場に行って江戸の人情噺を直に人の声で語るのを聞くのが数少ない娯楽だったのだろうなという事でした。

 それが逆に新鮮で、人の声で直に物語を語るのを直接、生で聴くという事が現代ではとても貴重な機会になってしまったんだなと感じました。

 造られた音を楽しむのも良いけれどたまに自然が奏でる自然の音や人が語る物語を静かに観賞するのも秋の楽しみ方としてはとても癒されますよ。

2012/09/16

一日早くなってない?

 最近、めっぽう一日が早く感じられて仕方ありません。ものの本によると人間は年齢を重ねるに従って一日が短く感じるようになるそうですが私も最近めっぽう一日が短くて困っています。

 何が困るかというと一日にできることが少なくなってきたような気がします。まあ、動きも鈍くなったし(笑)仕方ないのですが昔はとにかく走らないと気がすまないというか気がつくと走っているという事が多くてゆっくり歩くなんて出来ませんでした。

 それがこのところはめっちゃ動きが鈍いというか走っていない!(笑)マッ仕方ないので最近は開き直って心で「一歩づつ、一歩づつ」と言い聞かせてとにかく今、やらなくてはイケナイ事を「一歩づつ」を家訓としております。

 そうしないと本当に何もしないうちに一日が終わってしまいますからね。出来る事は頑張る出来無いことは「明日にする」もしくは「諦める」(笑)こんな事絶対、他人には勧められませんがね・・・ところがこれが以外と気持ち良いのです。

 「無理しない」というか「無理出来無い」を自分の中に受入れてしまうとこれが気持ち良いのです。あっ誤解の無いように言っときますが決して「怠ける」とか「サボる」という意味ではないですからね。全力をつくすのですが「急がない」という意味ですから。そこのところ誤解なきようにお願いしますね。

 朝起きて、カーテンを開けて、朝食を女房と一緒に作り、新聞をとりに森の外に散歩に行って帰って来てから歯を磨き、愛車にのって会社に出かけ、一日頑張ったらもう夕暮れ、帰って夕食、食べてお風呂入ってTV見たらもう寝る時間、ちょっと寝る前に布団の中で読書をして気がつけがもう次の朝・・・こんな平凡が毎日なんですけど、フト気づきました。

 これって一番幸せな事じゃないのかな?健康で食事が出来て好きな仕事に没頭出来てつかれて寝る。これ以上の幸せって無いのじゃないかな・・・と。

 そんな事、皆さん考えた事ありませんか?私は最近こんな事を良く考えるのですけど、これってやはり加齢のせい?

2012/09/02

老人介護の今

 先週、母の次の入居先探しの為に故郷、高知に再び帰って来ました。6月に今までお世話になっていた施設内で転倒して大腿骨と手首を骨折してしまい、入院して手術をしその後、別の病院に移転してリハビリを続けていました。

 しかし、認知症の患者の傾向として急激な環境の変化は患者に大きな混乱を引き起こさせるケースが多くて母の場合も今迄の環境と大きく変わってしまった為に退院して元の施設に戻るのは困難になってしまいました。

 今迄の母の様子を見てきて何となく予想はしていた事でしたが、いざ実際に事態に直面してみるといかに自分にそういう知識と認識が足らなかったか思い知らされました。

 サア、それからが大変。私がどうしても仕事の都合で中々日程調整が出来ないので女房が一旦先に帰って入院先の病院のソーシャルワーカーさんと打ち合わせをして次の入居先の候補リストを頂いて来て2,3の施設の様子を見てきてくれました。

 その後、やっと都合がついたので先週、私が帰ってそのリストに載っている施設と自分のツテで探した施設を片っ端から廻って入居が可能かどうか探して廻りました。母の様なケースでは次の入居先の候補となるのは所謂「グループホーム」と呼ばれる施設なのですが高齢化社会を迎えた日本では絶対的に施設数が不足しており私も19箇所の施設を廻りましたが全然、空いていなくて大体6,7人待ちの状態で、これでも少ない方らしいです。

 見学して廻った19箇所の施設もそれこそ千差万別で民家の様なところを改装したところやマンションの中だったり、木造の杉の香りが一杯の新しい感覚の施設や立派なホテルの様なところもありました。どこも基本的には集団で日常生活に近い状態で老後の生活を見守り必要な介護を行える様に工夫してありました。

 施設を見学して思ったのは圧倒的に女性が多いと言うことです。ほとんどの施設が女性が8割以上といった感じで中には女性のみというところもありました。一体、日本のお爺ちゃん達はどこに行ったのでしょうね?ていうかやはりお婆ちゃんの方が元気だという事でしょうか・・何となく寂しい気もしました。

 母の様なケースでは一般的には入居希望先の施設に入居申し込みをして部屋が空くのを待つのですが、現在の日本の病院事情ではそれまで入院して待っていることは困難なので一旦、介護老人保健施設という所へ移転してリハビリを続けながら施設の空くのを待つのだそうです。ところがその介護老人保健施設というところも空きが中々なくて漸く友人のツテで探した施設に入居出来る事になり来週再度、高知に帰って引越しをする事になりました。ヤレヤレです。

 しかし、考えてみるともうすぐ自分達も同じ様な年齢を迎えきっと同じような苦労をするのだろうなと言うことが容易に想像出来てしまいます。

 少子高齢化の時代を迎えた日本、幸せな老後を安心して迎える事が出来るような国に変わっていけるかが大きな課題になりそうです。政治家の皆さん党利党略なんぞで無駄な時間を費やしている場合ではありませんよ。来るべき大地震への備えや原発問題等、多くの課題を抱えて日本も変わらなくてはならない時に来ています。

 国民一人ひとりが意識を持って政府に頼らないで国民が政府を動かす仕組みをもった国に生まれ変わらなくてはならないですね。な~んて事を山梨から高知までの電車の中で考えておりました。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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