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2010年6月

2010/06/26

言葉というツール

 先日、TVのニュースで昨今の若者の言葉でのコミュニケーションの様子を特集していました。初対面の人とどの位、上手く話が出来るかという実験をしていましたが中々これが上手くいかなくて沈黙が10秒間続くとその時点で実験は終了というものでした。

 そういえば先日、いつもBGMで事務所に流しているFM番組でもDJの人がラジオ番組で10秒間、沈黙するとそれは放送事故に繋がりかねないと言っていました。

 自慢じゃないけど私も他人と話をするのが苦手で若い時はそれが心の葛藤に繋がって更に話が上手く出来なくなるという悪循環に繋がっていました。

 子供の頃に自宅で近所の子供達と遊んでいたときに何が原因だったか忘れましたが皆と喧嘩になって「もう皆、帰れ!」と言ってしまったのがきっかけでその後ひどく落ち込んでしまいそれがトラウマになって余り上手く他人と話が出来なくなってしまいました。

 他の方が聞くと「そんな些細な事でトラウマになんかなるものか」と思うでしょうが今でもその情景を覚えていることが正にトラウマなのかも知れません。

 そうして何とかそれなりに大人になり社会人となり、それなりに他人と話をせざる得ない状況になりそれでもやっぱり自分なりに悩んで、以前にもここで書きましたがある日、ふと目に付いた「他人と上手く話をする方法」みたいなテーマのノウハウ本を購入しました。

 普段は余りこういうノウハウ本は好きじゃないので買わないのですがその時はよほど自分なりに何かで人とのコミュニケーションに困っていたのだと思います。

 そこで色々な人とのコミュニケーションの仕方のノウハウを知り、それから面白くなって色々な本を読みました。コント55号の「欽ちゃん」が書いた本や脚本家の倉本聰さんの著書なんかに感銘をうけてそれをそっくりそのまま真似させて貰った事を覚えています。

 今ではその経験をいかして自分なりに工夫して話をしようと努力していますがそれでもやはり努力しないと上手く話せません。

 現代のコミュニケーションツールとして絶対的な存在は携帯電話であり又、メールでもありますよね。これは僕はすごく便利であるし危険でもあると思っています。

 何が気になるかというと色々あるのですが携帯電話は掛けている相手の状況が分からないと言う事です。僕はいつも「今、話できますか?」と聴く事にしていますが固定電話であれば間違いなくその電話がある場所に相手がいるわけだからおおよその状況は分かりますが携帯電話の場合は相手が何処にいてどういう状況が全く判りませんよね。それがとても気になります。

 だから私は休みの日や仕事が終わると携帯電話を切ってしまいます。自分のプライベートな時間を大切にしたいのです。よくスタッフには怒られますが(笑)

 それからメール、これは何がいけないかって、どうしても伝えたい微妙なニュアンスが伝わらないのです。所詮メールという言語と最近は絵文字なんてのも使えるようになりましたがそれでもやはりそこに書かれている文字には感情が表れないので微妙なニュアンスが伝わらないのです。

 私は人と話をするときにその人の微妙な顔の表情の変化や言葉の強さ、態度にすごく興味があります。表情を変えないで硬い表情の時は何か話の中身に気に入らない事があるはずだし、シビアな話題なのに表情が緩んでいるときは何か解決策をもって臨んでいると思うし、そういう意味で相手と言葉でコミュニケーションをしている時は他の表現手段を参考にできるのでとても助かります。

 片やメールの場合はどうしても文字だけで伝えなくてはならないので表現が強く伝わりがちな気がします。

 言葉でのコミュニケーションはそういう言葉以外の状況を見ながら話題を探せるので助かります。基本的にコミュニケーションは相手とのキャッチボールなのでどんな話題に変化しているか無限の可能性があります。

 そういう意味では社会人をしていて一番辛かったのは自分が有利な結果しか求められていない交渉でした。この場合は仕事として結果が求められているので自分に有利なように相手を誘導する必要があります。簡単な交渉ならよいのですがそうでない場合は相当ストレスが溜まります。

 仕事の規模が大きければ大きいほどそうなりますね。今回のWカップ日本代表なんていうのも言葉での折衝とはちょっと違いますがスポーツとしての試合の結果として勝利を求められているので関係者のプレッシャーは大変なものだと思いますね。

話がアチコチ飛んでしまいましたが現代の若者たちはどうしてもこういうメールという文字でのコミュニケーションが主体になってしまったのでどうも言葉でのコミュニケーションが苦手なようです。

 人間って思ってもいないことを伝えてしまったり言わなくても良いことを言ってしまったりして相手を傷つけてしまう事があります。だから人間って面白いと思うのです。倉本さんの脚本にはよく「・・・」という表現方法が取られます。文字にすると「・・・」ですが言葉にするとそこに顔の表情だとか深い思いだとかが詰まってきます。だから言葉って面白い・・・

2010/06/18

八ヶ岳高原サイクリング2010

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  今年も八ケ岳高原サイクリングが開催されスタッフとしてお手伝いして来ました。私がこのサイクリングイベントをお手伝いするようになって
7年程経ちます。最初にお手伝いした時は清里から小諸まで100kmのサイクリングイベントで結構、長丁場なイベントでしたが今は地元、八ケ岳を中心として70kmと45kmの2つのコースに分かれて開催されています。

 私はいつもサポートカーの運転手としてお手伝いさせて貰っていますが毎年、多くの方に楽しんで貰って年々、参加者が増えて今年は定員オーバーの140名程の参加者でした。

 イベントの主旨がタイムを争うものではなく八ケ岳の自然を楽しみながらゆっくりサイクリングの楽しさを味わって貰おうというものなので参加者の皆さんもスタッフも和気あいあいとした雰囲気のイベントです。

 参加者も小学生から70歳近い方まで幅広い年齢層の方が参加されています。私はもう一人のスタッフである岡ちゃん(事務所隣の指圧の先生)といつも最後尾からレースをサポートし何かトラブルがあった場合に駆けつけて対応する役目です。

 その他に参加者の荷物を運んだりレース最後尾なのでコースに張り出してあったコース案内の矢印を最後尾が通過する度に撤去していったり怪我をしたりしてギブアップした参加者を自転車と共に収容してゴールまで運んだりといった仕事が待っています。

 そしてイベントが終わると参加者を駅に送っていったりといった仕事もあります。私だけでもこれだけの役割があるのでイベント全体を支えるボランテアスタッフの仕事は大変です。

 メンバーの主力はいつも毎月1回、八ケ岳通信というウエブマガジンを発行しているヤツネットのメンバーが果たしているのですがメンバー全員がそれぞれの仕事を抱えながらのボランテイアスタッフとしての参加なので、大変です。

 又、ヤツネット以外のメンバーとしても遠く関西方面から毎回参加している女性スタッフや地元「歩こう会」の方達、それから各自転車グループのリーダーとして参加してくださる自転車愛好家の皆さん、そして自転車のメカニックとしてサポートしてくださる方、そして参加賞やドリンクといった面で協力して下さる企業等、イベントの規模が大きくなればなるほどサポートスタッフの仕事が多くなります。

 そしてこのサポート体制が出来ているかどうかでイベントが成功するかどうかの一つの鍵になります。

 私はいつも参加させて貰って思うのですがボランテイアスタッフが何で自分達の貴重な時間をさいてこのようなイベントをサポートするかというと参加して下さった皆が笑顔で「楽しかったよ」「又、来年会いましょう」何て事を言ってくれるからではないでしょうか?眉間に皺を寄せてクレームばっかりのイベントには誰も参加しようなんて思わないし「金払って参加してるんだぞ!」みたいなイベントは又、別の参加意義があるので雰囲気が全く違うんだと思います。企業が開くイベントなんかは当然、利益を生み出すような仕掛けが必要なので又、別物ですよね。

 今年はこのサイクリングイベントに参加されていた方達の中から2組のカップルが誕生した事が報告され打ち上げの席上で参加者の祝福を受けていました。

 私はいつもレース最後尾を追いかけているので大体、脱落寸前なんて参加者をサポートする事が多いのですが今年は一人の落伍者もなく、すんなり皆さんゴールされ「今年は前回参加していたちっちゃな子供さんいないのかな?」なんて思っていたらその子供さんはしっかり大きくなって参加されていてこっちが全然気付かなかったなんて事もありました。

 後ろから見ていると必死で前ばかり見て登り坂では苦しそうにペダルをこいでいて、とうとう自転車をおりて押しながら上るなんて光景もいつもの事で、私なんか「苦しそうだけど大丈夫かな?あれで楽しいのかな(笑)」何て事を思ったりするのですが後で聞くと「苦しいところもあるから達成した楽しさが倍増するんですよ」なんて話を聞き「ふ~ん、そういうものなんだ・・・」と変なところに感心したりしています。

 昨年からSECOMさんに協力をお願いして万一に備えてAEDも用意して走っていますが幸いなことに今まで一度も使わずに済んでいます。

 多くのボランテアスタッフに支えられて今年も八ケ岳サイクルリングも終了しました。一年はアッというまに過ぎ去り又、来年も自転車好きな方達に八ケ岳でお会いできるのが楽しみです。来年は又、どんなドラマが待ち受けているのか・・・

2010/06/12

現代古本屋事情

 先日、溜りに溜まった本を処分しに行きました。いつも寝る前に本を読む習慣があるのでベッドの廻りには夫婦で読み溜めた本が山と詰まれており万一、地震でも来た日には間違いなく本の下敷きになって死んでしまうだろうと言う事が予想されたので(笑)そうなる前に涙を飲んで「○○オフ」へダンボール一杯に読み溜めた本を詰め込んで売りに行った。

 いつも休みとなると夫婦でこの○○オフに足を運ぶことが多い、一回いくと1時間近くそこにたむろして目ぼしい本がないか探す事が休みの日課になっている。前にも何度か書いたけど手元に次に読む予定の本が数冊はないと精神的に不安定になるので予備の本は欠かさない。

 最近の悩みは仕事が忙しくてついつい寝床に入ってしまうと余りの気持ちよさと睡眠の誘惑に囚われて10分位しか読書に集中出来ずにバタンキュウして沈没してしまう事です。

 速読にも何度か挑戦してみたんだけど長続きせずに諦めてしまいました。しかし、最近は若い作家さんが頑張っていて、なかなか良い雰囲気になってきています。何だか最近は子供達の読む本とダブル事もあって子供達が「父さん、こんな本読むんだ?」何て聞かれたり「お前、何、この本持ってるの?貸して」なんて親子で本の物々交換をしたりしています。

 先日の「○○オフ」行きの本を詰め込んでいるときも「この本読む?」なんて選別をしていました。

 そういえば以前、読んでいた「SFモノ」の3部作の最終巻をずっと探していたんだけど、それこそ10年前位の作品で一気に2部までは読んだんだけどその後何となく間があいてしまい作家さんも何故かなかなか最終章を書いてくれなかったのでずっとそのままになっていたんです。

 その後も探すでもなく思い出しては「そういえばあの作品の完結編はどうなったんだろう?」と思って探すんだけどず~と見つからなくてそのままになっていたんです。

 それが先日の「○○オフ」の書棚を探検しているうちに若者向けのコミック誌なんかを置いてある本棚に迷い込んでしまい。「こりゃいかん、ここには探すものはない」とふと棚の一番上を見ると「長編SF3部作ついに完結」と書いた本が並んでおり紛れもなく私が長い間探していた本だったのです。

 しかし、その本のカバーはいかにも若者が喜んで読みそうな派手な衣装を着た主人公の女将校の姿が漫画チックに描かれており、ちょっと中年オジサンが手を差し伸べにくい雰囲気の本で、思わず廻りに人が居ないことを確認して(笑)本棚の一番上のそのコミック誌風のその本を手に取り中身をペラペラとめくると確かに探していた本でストーリーそのものはいたって普通のSFモノなんですが表紙がね~。

 最近はどうも若者が本を読めるようにという作戦なのかやたらと歴史書なんかも格好良い若侍が漫画チックに描かれていて内容は変わらないんだけど表紙が違うというのが最近のはやりの様ですね。

 結局、漸く見つけた完結編なので恥ずかしいけど他の本の間にはさんで(笑)レジに持っていって購入してきました。

 最近、発売された電子書籍なんかも私は良いんじゃないかと思っています。以前はやっぱり本はページをめくらないとなんて言っていましたがあのIpadは大きさといい雰囲気は持っている気がします。もう少し価格がこなれてきたら購入してみようかな何て思っています。

 本の装丁や読み方や購入方法も時代と共に変化していくという事ですね。そういえば最近の○○オフの棚も段々、文庫なんかの棚が減ってきてコミック誌やDVDのコーナーが増えてきてハードカバー何かのコーナーも随分小さくなってきたような気がします。

 それにしてもあの○○オフの店に入っ時に「いらっしゃいませ~こんにちは~」という独特の言い回しは別に悪くはないんだけど店にいる間中あれを聞いていると何だかテープレコーダーを聞いているようでそれも機械的で心がこもってないななんて思ってしまうのですが単に「いらっしゃいませ」でよいのではないかな・・・これも時代の流れかな。

2010/06/05

記念日

 もう少しで自分の50数回目の誕生日を迎えます。もう誕生日を迎えて嬉しいという感覚は全く有りませがそれでも必ず来てしまうので仕方ないのです。というか、迎えられるだけ有り難いと言った方が正解かも知れません。少し前?ならもうとっくにアッチの方へ行っててもおかしくない年なので全く有難いことです。ガバイバアチャンではないですが生きてるだけ丸モウケなのです。

 何時の頃から自分の誕生日がそれほど嬉しく無くなったかは覚えていませんが、少なくても子供の頃は美味しいケーキを食べれたし大人たちが色んなもの買ってくれたりしたので嬉しかった覚えがありますが、何時しか自分達の子供を持つようになり、自分よりも子供達の誕生日パーテイーがメインになりそしていつしか、その子供達の誕生日を段々忘れがちになり(笑)そしていつしか子供達に誕生日を祝って貰うようになりました。これも家族の中での時の流れかも知れません。

 そういえば私の大好きな作家である椎名誠さんもエッセイで正しいお爺ちゃんになるんだと宣言しておりましたが全くそんな雰囲気になってきてしまいました。

 マア、それはそれとして記念日というのは色々ありますよね。誕生日をはじめ結婚記念日、卒業記念日、付き合って何年目記念日(笑)、終戦記念日、合格記念日、それぞれの家族の記念日や個人の記念日等色んな記念日があります。

 私にとって一番、意識しているのは家族の誕生日と結婚記念日かな、この結婚記念日というのがうっかり忙しかったりするとつい忘れがちになってしまってオットット何て事が今までも良くありました。

 今年は結婚して30年目に突入する年になりました。よくもまあ、長い事一緒に暮らして来たと思います。我が女房殿とは19歳の時に出会ってから一緒に人生を過ごしてきましたので、既に出会う前の時間よりも長く一緒に暮らして来た事になります。

 マア、こんな我儘な自分に仕方なかったにしろ(笑)一緒に傍に居て時間を過ごしてくれたのだからそれはそれでとても感謝しており、それだけに結婚記念日は例え忘れがちあったとしても自分にとっては一番大切な記念日かも知れません。

 もともと物事にそれほどこだわりを持たない性格なので直ぐに○○記念日とかいうのを忘れてしまうのです。

 この前、そういえば自分の父は幾つで亡くなったのだろうと思い、ふと計算しようと思ったら既に亡くなった年を忘れてしまい大体70歳過ぎ位だったなと計算し母が80歳なので「そうか母は父より長生きなんだな」と思い、自分は父親より長く生きるには後、何年生きればよいんだ?と計算してしまいました。

 そういえば退職記念日というのもあったな。東京でサラリーマンをしていた会社が最近TVや新聞をよく賑わせているのでフト「辞めて何年になるんだろ」と計算したらほぼ20年になりました。あのままサラリーマンを続けていたらそろそろ定年後の事を考えなきゃいけなくなっていました。

 事実、以前、その会社の社内報を見る機会があって見ていたら同期の連中が書いたコラムがあり「定年までの時間を有意義に暮らそうと思っています」みたいな事が書いてあり少なからずショックを受けた事を覚えています。

 しかし、マア組織の中で生きていればそりゃそうだよねと納得したのですが「もうそんな年になるんだ」というのが正直な感想でした。

 しかし、里山の地元のオジイちゃんやオバアちゃん達はいつまでたっても元気です。地元新聞の死亡広告なんていつも気をつけて見てるんですが昨日の新聞にも100歳なんて方が居ましたし普通でも80~90歳はまだまだといった感じです。沢山沢山、記念日が迎えられますね。

 先日、我々世代と共に活躍した、とある著名なシンガーソングライターのコンサートに女房殿と行ったのですが「前回の全国ツアーに来てくれた人、手を挙げて~」と言われてかなりの人が手を上げていましたが「今回が始めての方~」なんて言われ自分なんかもそうなので手を挙げたら「自分も随分長いこと全国ツアーしてるけどそれでもまだ会えない人がいます。今度行こうなんて思っていると二度と会えなくなりますからね~(笑)」とマイクを通じて言われ会場内が大爆笑でした。

 これから何回、迎えられるか分からない色んな記念日、皆さん大切にしないとそのうち迎えられなくなりますよ(笑)

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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