D51がやって来る
八ケ岳に蒸気機関車のD51がやってきます。試験的に今日、明日の2日間と6月5,6日の4日間だけ一日1往復のダイヤで運行されるそうで既に乗車券は売り出して直ぐに売り切れてしまい、中央本線の沿線はマニアの方が撮影する為に朝早くからカメラの3脚を立ててその勇姿を捉えようと待ち構えています。
私は別に鉄道マニアではないのですがTVの報道でその姿と汽笛の音を聞いて不意に心が昔に飛んでしまいました。田舎の高知の土賛本線は単線で山間の谷を走る路線でした。大歩危、小歩危なんて名前で少しは知られていますがよく谷あいに車が落っこちたり台風がくると山崩れで大変な災害になることがありました。
しかし、昔の高知駅はそれなりに幹線駅だったのでよく蒸気機関車が止まっていたような記憶があります。高知駅は今は高架になりすっかり昔の雰囲気は無くなってしまいましたがなんとなく哀愁があり私はそれなりに好きな駅でした。
東京に大学生として移り住むようになった時も夏休みの帰省はお金が無かったので夜行列車でした。今で言うブルートレインっていうやつですね。東京から岡山に行き、宇野から宇高連絡線(宇野と高松を結ぶのでこの名前が付いています)に乗り換えるのですがよく連絡線のデッキでウドンを食べました。(今では映画でちょっと名前がうれた讃岐ウドンですね)これを食べたら高松に着くので今度は着岸前に荷物をまとめて船の降船口に並ばなくてはなりません。そうしないと着岸して桟橋が掛かってゲートが空いた瞬間に荷物を持ってダッシュして高知行きの汽車の自由席が取れないからです。
今から考えると信じられないような光景ですがあの頃はそれが普通でした。特急電車はそれでも座席のクッションが効いていたから良いのですが各駅停車の汽車なんかに乗ると木の座席で背もたれも直角で今みたいにリクライニングなんかしない(笑)ので腰が直ぐ痛くなってしまいました。
高知に帰る時は今は、ほとんど飛行機を利用して帰るので羽田から2時間足らずで着いてしまいますが当時は東京駅から丸一日掛かりのちょっとした旅でした。
時々TVでヨーロッパなんかの大陸横断鉄道なんかを見ると飛行機を利用して時間を節約する旅もそれはそれで便利だけど大陸横断鉄道なんてのも一度は乗ってパノラマのヨーロッパの景色を車窓から眺めながら食堂車でフルコースのデイナーなんてものをゆっくり楽しむなんて旅も良いな~なんて憧れてしまいます。
人は便利さを追求しながらも不便さのなかに又楽しみも忘れられないものでしょうか?移動手段としての鉄道機関も蒸気機関車からデーゼルにそして新幹線からリニアモーターカーへと、どんどん高速化が進み便利になっていきます。
しかし、最近私はよく感じるのですがただ乗っているだけでも体は疲れます。その疲れは時間の長さによる違いも勿論あると思いますが、単に早いと疲れが少ないという事でも無いように感じるのです。
早ければ早いだけ乗ってる方も緊張を強いられてやっぱり疲れます。正直言って私は新幹線でもかなり嫌だな~と思うことがあるのでリニアモーターカーには余り乗りたいとは思いません。何が?って・・・どうも車窓からの景色が流れるスピードが速すぎて目が付いていかないのです。
その点、飛行機は比較する景色が遠いので余り実感として「時速500キロで飛行中です」何て言われてもそれほど早いと感じないのです。
私は鉄道はもうこれ以上早くしなくても良いのではないかと思います。むしろ、車窓からの景色がもっと楽しめるようなパノラマ電車とかフランス料理のフルコースが楽しめる食堂車とかもっと娯楽性を持たしても良いのではないかと思います。日本には美しい景色がまだまだ鉄道の沿線には広がっているのですから。
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