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2010年4月

2010/04/24

忙しいのは良くないのだ!

 何だか最近、やたらと忙しい。人には「忙しくて良かったじゃない。暇なら困るでしょ」と良く言われる。そりゃ、そうだけれども私は根っからのノンビリ人間なので適当に忙しいのは良いのだけれど毎日、決められたルーテーンワークに加えて次から次へと処理していかなくてはならない仕事が重なってくるとどうも精神的に良くない。

 私はそんな用件を小さなメモに書き留めて一つずつこなした仕事を消していくのが習慣になっている。

 昔、東京でサラリーマンをしているときに厳しい上司がいて、いつも怒られていたけど尊敬もしていた。その上司は、毎朝机についたら何やら小さなメモに万年筆でメモを取っていた。どうやら気がついた事を書き留めていたらしい。

 その上司は新しいプロジェクトが始まる時は必ず私達を集めて「大きな紙持って来い」と命令する。何をするのかというと「これからこういうプロジェクトを企画するから何でも思いついた事をこのデカイ紙に書き出せ」と仰る。我々は兎に角何でも思いついた事を紙に出来るだけ書き出さないと又、怒られるので必死で思いつく限りの事を書き込んだ。そして書き込まれた項目を関連がありそうなものを選んでその上司は丸で囲んで今、流行の仕分けを行った。

 そして、「どうだ、こうやってブレーンストーミングを行って頭を整理するにはこういうやり方が一番良いだろう」と仰った。残念ながらいかにも分かったような振りをして返事をしていた余り出来の良くない部下である私には良くその意味は理解出来ていなかったのだが少なくても忘れないようにメモをとるという行為は今でも続けている。

 そしてそのメモに新しい仕事が増えるより早く一つずつ減らして行くことに全力を注ぐことになる。それが何故かなかなか減っていかない事がある。その原因は主に私にあるのだけど、やらなくてはいけない仕事の項目を書いたメモを目の端に捉えていながら何となく見ない振りをして後回しにしてしまうからなんだけど、そういう事が重なるとある時「これはイカン。もうこれを片付けないといい加減ヤバイゾ・・・」という事に相成る。

 それにしても、どうして一つ一つの仕事はどんなに簡単な仕事でもそれなりに時間がかかるのでしょかね。そんなの当たり前のことだし「今更新入社員があるまいし・・・」と怒られそうだけど最近、本当にそう思うようになった。

 時には何故か朝から懸案にしていた仕事が要領よく片付いていく事もあり、そんな時は何だか「よ~し今日は調子が良いぞ」と心が軽くなる。それは何も仕事に限らずなんですけどね。

 どうも性格なのか自分の思いと違う事に気がついて目がいくと見ない振りをしていながら目についちゃうんですよね。そうすると直したくなってしまう。それがイカンといつも分かっているのに気になっちゃう。そして何時までも見ない振りをしていると段々精神的に辛くなってくるという、怠け者のくせに困った性格で自分でもどうしようもないのです。

 だから、それじゃ本当にすることが無くて暇になったらきっとそれはそれできっと我慢出来ずにきっと又、よせばよいのに何か新しい面白そうな事を探しだして首を突っ込んでしまうのだろうなと思っている。結局、自分で自分の首を絞めている。

 でもきっと最後までそんな事を繰り返すのだろうなという事も自分では分かっているつもり。だから、余り仕事が忙しくて面白そうな事に気を廻す時間がないと精神的に良くい状態となる。それじゃ、仕事が面白くないかというと決して嫌いではない。新しい家のプランなんかを考える時は自分にとって生きる証なのでそれはそれでとても楽しい時間ともいえる。

 それじゃどうしろと・・・あ~だから適度が一番なのよ、適度が・・・何事もホドホドが大事なのですよ。次から次へと追われるように時間と戦うという状況が良くないのですよ。

 何せ今の自分にとって家のソファーでお腹に猫乗っけてボ~としているのは至福の時間なのです(まるで日向ぼっこしている老人のようですが・・・)猫の方も良くしたものでこちらがそういう心理状態だと分かると「今日はノンビリお腹の上で寝られそうだ」と思うのか当然のように乗ってくる。

 いやはやこれも春の訪れを待つ森の生活のいつものお約束の様なもんですね。都会じゃこうはいかないってか・・・

2010/04/17

最後に住みたいのは山、海、それとも都会?

 皆さんは人生の仕上げとして住む所を選べるとしたらどこに住みたいですか?最近、母親の様子を見に故郷、高知に帰る事が多くなってふと子供の頃から慣れ親しんだ城下町、高知に哀愁を感じたりしています。

 今は八ヶ岳の麓に住んでいますが良く人に「どうして八ヶ岳に決めたのですか?」と聞かれます。実は自分でも良く分からないのです。人には「故郷に帰ると甘えてしまうので・・・」なんて訳の分からない返事をしたりしています。

 でも、それは全くの思いつきではなく心の隅には確かにそういう想いもあるのです。今、故郷、高知には自分の家はありません。母も施設に入っているので高知に帰るときにはホテルに泊る事になります。

 先日、高校の先輩が経営する高知の建設会社から高知に建てたマンションの案内状が届きました。どうやら我々の年代になってくると都会での生活を終え次の人生の拠点として故郷へのUターンという選択もどうですかと言う事らしい。

 子供達にも「父さん達は年とったらどこに住むの」と聞かれます「何でだよ?」と聞くと「だって年とって車、運転出来なくなったら暮らせないじゃない」と言われます。

 そこまで考えた事はないし、車が無くても何とかなるとは思っています。最近はデマンドバスなんてシステムも出来てきましたしね。

 それはそれとして、もし、今、自分が自由に住みたいところを選ぶ事が出来るとしたらどういう環境を選ぶのかと問われたらどうするだろう?

 我が女房殿は間違いなく普段から海辺のリゾートマンションと仰っているのでそこを選択する事と思います。私は今の森の中の生活に全く不満はないし、かといって地方都市である高知での暮らしも悪くはないと思っています。

 でも、ここ八ヶ岳に住んで20年、ここ数年の地球温暖化による異常気象なんかを身をもって体験してしまうとやはり自然のない都会生活より森の中の生活の方がずっと自分には向いていると思います。

 もともとフラフラと旅をするのは嫌いな方じゃないので可能ならば世界中とはいわないけどあちこちを転々と暮らし歩いて行ければそれが一番、嬉しいかな~

 そうすれば海にも住めるし、山にも住めるし都会にもちょっとだけ住めるし・・・でもそれはきっと旅人としての感覚でしかないのだと思います。

 「住む」というのはその地域での暮らしに溶け込むと言う事だからきっとそういうのは「住む」とは言わないのでしょうね。

 都会での生活は何かと便利だけどその代わり失っているものも大きいような気がします。自然の中での暮らしは不便だけど都会では味わえないものもあります。

 結局のところ何かを得れば何かを失うという事で森の中で都会の便利さを求めるのは矛盾があるし逆に都会のなかで自然のダイナミックさを味わう事は出来ないのだし、どちらが自分に合っているかという事なんだろうな。

 20年こちらに暮らしていてやっとそういう事が分かって来た様な気がします。よく都会からこちらに移住するにあたって「都会の便利さをそのままに自然の中で暮らしたい」と言う人がいますがそれには自ずと限界があるし無理もある。

 住んでる人が少ないから自然が多いのだし自然が多いから暮らすにあたっては自然との共存を大事にしなくてはならないし不便なことも多い。

 森の木を倒して家を建てるのですからそれを自然破壊だというのならここに来るべきではないのだと思います。倒した木の分だけ新しい自分達で管理出来る木を植える事の方が私は現実的だと思います。

 海に住むにしても人が海の近くに住む以上、全く環境に影響を与えないと言う事はありえません。出来るだけ環境にインパクトを与えないように気を使いながら暮らしていくべきだと思います。

 それじゃ都会に住めばいいじゃないかと言えば元々人が自然と関わりながら暮らしていたからこそ森も海も人間と共存できたのであり都会だけに人間が集中して住む事になればそれはそれで人間と自然とのバランスを崩してしまう事になるのです。

 里山の荒廃なんかも正にその典型ですね。昔から里山では人々が薪木等を取ってきたり動物を捕えて食べたりして山とバランスよく関わっていたからこそ人々も自然の尊さを伝える事が出来たのが都会に集中して住んでしまうとそういう事は全く知らない人間ばかりになってしまいます。

 で、結局我々はどこに住めば良いのでしょうか?どこに住んでも自然と上手く付き合っていければ幸せになれると言う事でしょうか?都会には都会の魅力があるし海には海の良さが、山には山の良さがあるし・・・結局、いつもの通りどっちつかずの結論か・・・

2010/04/11

猫娘と猫息子

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我が家に猫家族が同居する事になって2カ月が過ぎました。その内の猫息子は今日は病院に入院して留守です。そろそろ大きくなって里親会との約束で去勢手術をする事になったのです。

 猫娘の方は既に手術が終わってから譲渡を受けたので今回はお留守番です。この猫娘、我が家にきてから約1カ月程はキッチンの裏に引きこもったり箪笥の陰に引きこもったり一時はどうなる事かと思いましたが、どうやら人間の餌作戦にすっかりはまってしまい今では平気ですり寄ってくる様になりました。それでも抱っこは苦手でちょっと抱っこすると突っ張って逃げてしまいます。

 片や猫息子の方は根っからの人好きの甘えん坊で下手すると一日中(勿論、寝る時も)私のお腹の上に乗っかっています。オマケに子猫独特の母親のオッパイを吸う行動が忘れられずにやたらめったらチュウチュウ人の皮膚に吸いついてきます。

 この全く性格の違う娘と息子猫ですがそれなりにお互いに影響しあい、今では一日の内の大半を家の中を大運動会のように走り回っております。

 多分、性格の大人しい猫娘のジルにとっては迷惑この上ない弟だとは思いますが兎に角姉ちゃん猫に飛びついて喧嘩を吹っ掛けてきますので仕方なく一緒に走り回って逃げ回ったり、たまには余りのしつこさに辟易としたのか思いっきり猫パンチで反撃したりしています。

 それでも元気一杯の弟はめげることなく突進を繰り返しています。このやんちゃな猫息子のバロンは兎に角人が大好きで何にでも興味を示し、先日はとうとう勢い余って浴槽に落ちて危うく溺れるところを救出されて濡れ鼠ならぬ濡れ猫になってしまいバスタオルでゴシゴシこすられる事になりました。

 2匹の猫が来てから我が家の生活は一変してしまいました。例え猫といえども命ある生き物が家の中で元気に一緒に暮らすと言う事はお互いに気遣いながら暮らす事になりそれなりに影響を受けあうものです。

 先日、ペット火葬請負業者が預かったペットの死骸を山中に投げ捨てるという事件が報道されましたが、あれがもし人間なら大変な事件になるところです。

 我が家も3匹の猫と1匹の犬を業者に依頼して火葬して自分で造った納骨堂に納骨したのでなんだか他人事には思えない事件でした。

 我が家の場合は1匹の猫を除いては火葬業者に火葬を依頼して目の前で火葬して貰い、火葬が終わるまで待って骨も貰ってきたので問題はないのですがそういえばその時に「火葬が終わった骨はどうしますか?」と業者に聞かれ変な事聞くな、貰って帰るに決まってるじゃないかと思ったのですが「どうしてですか?」と聞くと「処分して下さいと頼まれる事が多いので」と業者が言っていました。

 今、思えばそういう事もありえるんだなと思いました。それにしても我が家の新しい猫家族は良くも悪くもお互いに影響されながらとくに子猫の時代は急激に大きくなるので里親会から譲ってもらった2か月前から比べると一回り近く大きくなりました。これからもこの全く性格の違う2匹の猫はこの家で一緒に暮らしていく事になります。


 

2010/04/04

天下の奇祭「諏訪大社の御柱祭」

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初めてその祭りを見かけたのは今から
12年前の事だった。たまたま買い物に出掛けたホームセンターの駐車場でふと大きな歓声とラッパの音を聞いて「何の音だ?」とその音の方向を探して道路の反対側に顔を向けた時、大きな木に大勢の人が群がって高い坂の上から落ちるところだった「あっこれが御柱祭か!」と、その時まで気が付かなかった。

 諏訪大社に伝わる天下の奇祭、「御柱祭」の存在は知っていたがそれがたまたまその時に開催されていた事や、「木落し」と呼ばれるその祭りのハイライトがこんな所で開かれていたとは全く知らなかった。

 その時の祭りでは木落としの会場で飛び出した観衆が落ちてくる木に触ろうとして命を落とした。全くとんでもない奇祭だと思った。7年に一度、干支の申と寅歳に開催されるので実際には6年に一度だが伝統的に数え年で数えるので7年目に開催されると一般的に言われている。

 八ヶ岳に来てから20年、「御柱祭」を迎えるのは3度目になる。昨年は残念ながらタイミングが合わずに見る事が出来なかった。今回は木材関係の取引先が招待してくれたので思い切って見に行く事にした。

 「御柱祭」のハイライトは3日間に渡って開催される「山出し曳行」と傾斜角度27度の坂から御柱を引き落とす「木落とし」宮川の川を渡る「川越し」である。

 「山出し曳行」は山から切り出した御柱を氏子達が里まで曳いてくる行事で途中、狭い路地があり両側の家並みに「めでどこ」と呼ばれる御柱に刺した2対の木がぶつからないようにうまくかわしながら練り歩く豪勢な曳行行事である。

 途中、穴山地区で狭く直角に曲がった「大曲り」と呼ばれる難所をクリアしていくのが一苦労である。

 諏訪大社上社の「山出し曳行」の初日は朝から土砂降りの天気、私が開催場所に着いた時はまだ誰も居なかった。役員の方にお伺いしたが「何があっても必ず行います。地震が来ようが台風が来ようが絶対止めません。但し、何時来るかは分かりません。酒飲んで暴れるとちっとも来ませんから」と言われさすがに天下の奇祭、「御柱祭」恐ろしやと思いました。

 そのうち隊列の先頭を受け持つ旗隊が到着、「いよいよですね」とくだんの役員さんに聞くと「まだまだ曳き綱だけで100mありますから、曳き綱の先頭が着いてから大体1時間位したら本体の到着と思って下さい」「1時間ですか!・・・」いや~まさに大変な奇祭です。

 そして待つ事1時間、本当に土砂降りの中、若者達を乗せた御柱がそこだけ熱気で白く煙りながら曳かれて来ました。目の前で見る御柱は人の群れで本体は全く見えませんでした。

 1日目はこの山出しまでで終わり、2日目はいよいよ祭りのハイライト「木落し」です。御柱に付けられた2対の「めでどこ」には通常8人ずつが乗るのですが「木落し」の時はこの「めでどこ」を長いものに付け替えて1つの「めでどこ」に12人が乗っています。

 高所恐怖症の私には全く気違い沙汰(失礼)としか思えない行為ですが、これがこの祭りのハイライトなのです。そのために木落しが行われる会場には特設の桟敷席が設けられ一目この豪快な木落としを見ようとする観衆が詰めかけて立錐の隙間もありません。

 そして木落し坂にせり出した御柱が木遣り歌と喇叭隊の演奏を合図に一気にこの坂を引き落とされます。この豪快な一瞬に命を掛けた若者達が大木にしがみつき、観衆が息を飲む一瞬が過ぎて無事、御柱が坂を落ちると花火が打ちあがり観衆の大きな拍手が沸き起こります。

 最大の難関を越えたと思ったのもつかの間、その後にはアルプスの冷たい雪解け水をたっぷり含んだ川を渡る「川越し」が待ち構えています。隊列の一番前の旗隊が最初に川を渡り引き綱を付け替えた御柱が川岸まで曳いて来られて曳き綱が対岸に渡されるといよいよ御柱が川岸にせりだしで一気に川の中に引き落とされます。

 狭い岸辺から曳き綱を曳いていた若者も御柱に引きずられるように川の中に引き綱もろ共曳きこまれ川の両岸を埋めた観衆からはワ~という大歓声が上がります。

 勿論、川の中には消防署のレスキュー隊が8人程ウエットスーツを着て待機しており万一の事態に備えています。しかし、水温10度程の冷たい水の中で一日中、警戒にあたる裏方の方達の御苦労も大変なものです。天下の奇祭「御柱祭」次回見る事が出来るのは私が還暦を越えた時です。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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