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2009年7月

2009/07/30

頑張れ日本の林業

 先日、木を扱う人達の集まりが有り私も参加して来ました。日本の各地から熱心な木に関わる人達が集まり12日で夜更けまで議論が続きました。林業家の方や工務店経営者、設計事務所、森林組合員、大学教授、メデア関係者等を含め様々な方面の方が活発な議論を交わし有意義な集まりとなりました。

 現在、日本の林業は非常に厳しい環境にさらされています。例えば山梨県では先日、新聞のコラムに投稿された記事によると県産材の県内普及率は僅か4%にしかすぎません。では、その他はどうなっているかというと日本全体では流通量の約8割を海外の木材が占め、国産材の流通は2割程度に留まっています。それに対し日本の貯木量は一年間に消費される木材を100%補えるだけの貯木量が育っています。なのに何故か国内には流通しないのです。

 例えばある県で伐採された木がどのように流通するかというと伐採した業者さんは全国の市場を調査して価格の高そうな市場にその木を移動します。そうするとその木はその市場産の木になってしまいます。つまり市場近くの木が名が通っていれば当然、その市場が活況となり高い値がつくというわけです。そして全国でいくつかこのような市場があり市場で売買された木が中国をはじめとした経済発展を遂げている国々に輸出されていきます。つまり日本国内で伐採、造材された木は地元で消費されるどころか国内でも流通せず海外に輸出されていき、その一方で海外から製品化された木材を輸入している世界でも有数の木材輸入国が日本なのです。

 こうした捩れた現状が今の日本の林業の姿なのです。だから皆、苦しんでいるのです。どうすれば海外産の木材に対抗することが出来るのか、どうしたら消費者に地元の木を買って貰えるのか、あちこちで色々な活動が試行錯誤されているのですが中々、画期的な打開策が見出せないでいます。

 私も各地でこの様な集まりに参加する機会がありこの経済危機の中で皆さん、悲鳴に近い叫びを上げています。しかし、この現状を招いた原因を探って誰が悪いこれが悪いと言ってみても画期的な打開策が見つかるわけではありません。なんでもそうですが一度失ってしまった信用を取り戻すのは大変な事なのです。

 戦後の住宅難の時代に大変な活況を迎えた日本の林業はその活況に踊らされて外国に対して立ち遅れてしまったのです。林業の世界は直ぐには反応は出ません100200年先の投資をしていかないと変わらないのです。

 先ずは消費者の方に近くの山に立っている木に感心を持って貰い、海で泳ぐ魚がヒラキや刺身で泳いでいるわけではないのと同じように今、手元にある木製品はこれらの近くの木を伐採することにより製品化出来るという認識を持って貰わなくてはなりません。

 その為には林業家の方たちと共に山側から川下(消費者)までを結ぶネットワークを築き先ずは消費者に日本の木にもっと感心を持って貰うような活動が不可欠になっています。日本の林業を再興するには山側にお金が戻るようなシステムを築かないと山は荒廃する一方です。

 林業家が生活出来ない、山の木を切った後に植林するお金も残らないような林業ではこの先豊かな森林国であるはずの日本は荒廃してしまいます。山が荒廃すれば里山も荒廃し川は死に漁業にも影響を及ぼします。

 昨今のゲリラ豪雨でも各地で荒廃した山が崩れ被害をもたらしています。我々の未来を担う子供達に何とか豊かな森林を残せるようにするのが現代に生きる我々の使命だと思います。

 頑張れ日本の林業、私も応援します。

2009/07/19

日食と木陰

 もう20年以上前の事だけど昔住んでいた川崎でやはり日食があって、その時に木陰の木漏れ日が同じように欠けていくのを身を持って体験しました。それ以降、事ある毎ににこの事を話すんだけど誰も信じてくれなかった。

 そしたら最近はテレビ等のメデイアでこの事がごく当然のように報道されるようになって「あれっ?もう皆疑わなくなったんだ」と知って気が抜けてしまいました。昔は自分でもこの目で見た事なので何とか本当だと信じて欲しくて、色々言ったんだけど説明する方もそんなに理路整然と説明できないので「本当なんだってば!」と喧嘩ごしに言ってしまい。その内に段々、ばかばかしくなってしまい。「もういいや、別に信じて貰わなくても・・・」と思ってそのうち忘れてしまっていました。

 それが今度の日食ブームで色々なイベントが紹介されるにつれて木漏れ日のことも報じられるようになったみたいですね。それはそれでとても良いことだと思います。中々、子供も大人もこういう事でもないと木漏れ日なんて見ないと思うので少しでも自然現象に興味を持つことは良いことだと思います。

 そういえば日食は新月の時に起こるなんて事も頭の中で分かっているようで実は太陽と地球と月の関係が理解出来ていないと以外と知らないものです。してみると現代人というものは文明が発達しすぎて自然界の決まり事を忘れてしまっている事が多いですよね。確かに都会に住んでいると余り空を見上げる事もなくなるし東京の空に浮かぶ満月もそれなりに綺麗だけど何となく色が薄くて小さいのですよね。やはり八ケ岳の空にポッカリ浮かぶ満月の方が圧倒的に美しいと私は思います。

 最近、知り合いからこの付近でよくUFOを見掛けるという話を聞きます。「何?見た事ないの?俺なんかしょっちゅう見てるよ。八ケ岳方面からはよくUFO船団が飛び立つよ」何て話が普通に交わされています。余りこういう話をするとオカルトになるので余り言わない方が良いとは思いますが私自身はそのUFO船団は残念ながら今のところお目に掛かっていませんが冬の夜、よく乾燥して冷え込んだ快晴の夜中、満月の日なんかに八ケ岳を見渡せる高原に立つと満月に照らされた雪を被った八ケ岳が闇夜に白く浮かび上がりそれはそれは美しい姿を見せてくれます。

 その裏側からUFO船団が現れてもきっと不思議には思わないと思います。そのくらい不思議で美しい夜空なんです。そしてそういう満月の時、森の中には木陰が出来ます。昼間の太陽の強烈な光に照らされた木陰では無く月の明かりに照らされた優しい木陰が夜にも出来るのです。これは都会では絶対味わえない光景です。都会にはどこでも街路灯があって月の明かりしか無いなんて所は無いからです。

 私の住む森には街路灯も離れた処にしかなく夜は本当に真っ暗になります。だから満月の夜の森はとても明るいのです。それは闇夜の森を知っている人にしか分からない明るさです。満月の夜の木陰はとっても怪しい雰囲気を漂わせています。森の暗闇の奥から何かが出てきそうな恐ろしさも併せ持っています。しかし、一歩森から出るとその明るさには本当にホッとします。懐中電灯すら必要ないくらいです。

 昼間の木陰と夜の木陰どちらも陰と陽の裏表を表しています。それぞれに魅力がありどちらが良いとは言えませんがやはり昼間の木陰の方が安心しますね。

 そうか!日食の木陰で影が欠けるのだから月食でも同じ事だ!満月の皆既月食があれば夜の木陰でも同じ事が起きる筈!そうか、きっとそうだ。次の機会には是非試してみるとしよう!

2009/07/11

誰か住んでる?

 ゴトン、バタン、バリッ・・・このところ我が家では不思議な音がする。我が家はログハウスなので丸太が湿気を吸ったり吐いたりあるいは乾燥収縮する時に音がするのはいつもの事なので特に驚く事ではない。しかし、我が家も建築して20年そろそろそういう事も落ち着いてきて最近は余りそういう音が頻発する事はなくなっていた。それがどうも最近はやたら音がする。

 その音も単なる木の収縮による割れの音とはちょっと違うような気がする。何というか誰かがドアを閉めた時の音だとか床を踏んだときの音だとかそんな類の音なのである。女房もさすがに気にして「ねえ、ウチって誰か他の人住んでる?」と言い出した。「んな訳ないだろ」「じゃ、あの音は何?」「あれは、その~なんだ・・・座敷ワラシだろ」「ふ~ん、座敷童ね。なんで最近多いんだろね」「何かあるんじゃないの?分かんないけど・・・」我が家は昔、この座敷ワラシには世話になった事がある。

 冬の薪が足りなくて外に原木を放り出しといたらいつの間にか割って薪にしておいてくれた。いい奴である。しかし、奴は余り存在を誇示する奴ではない。静かにいつの間にか存在を知る事が多い。こんなに家の中でバタンバタン音を出すことはない。

 先日、お客様の自宅で話しをしていたら「最近、やたら家の中で音がして気味が悪いよ」と言われる。その家も築15年程経っているのでそんなに木が割れるとは思えない。しかし、その時は余り驚かすのも何かと思い「この梅雨の時期は湿気が多くて気温の変化が大きいので木が割れるんですよ」と言っておいた。確かに通常ならこの時期は木が湿気を含んで膨張したり急に晴れて気温が上がり急激に乾燥するので膨張と収縮を繰りし木が割れる事が多いのは事実である。

 しかし、どうも今年はそれだけとは思えない。何かが違う・・・・何が?と言われても困るけど何かが違う。どうもやはり誰かが住んでいるような気がする。

 そういえば先日夜、事務所から家に帰ってきて駐車場に車を入れようとしたらキツネの奴が道の真ん中に佇んでいて邪魔をする「どけよ、邪魔だろ」と言ったら「チッ!しょうがねえな」といってしぶしぶ隣の家の床下に入っていった。普段、余り見掛けない若い奴だったけどあいつだろうか?それとも我が家の床下に住み着いている女房が「チャーリー」なんて変な名前を付けたばっかりに我が家の守り神なんていい気になっているデッカイ蛇の青大将だろうか?

 そういえば以前、紹介した私の布団の中にこっそりと忍び込み夜中に私の足を思いっきり刺したスズメ蜂、あいつはどっから入ってきたのか未だに不明のママである。これらの事実を繋ぎ合わせてみると浮かび上がってくるのは・・・・分からない。やはり我々夫婦2人以外に誰か住んでるのかもしれない。

 ポルターガイスト?っていうの?ああいう類かも知れないし。そういう奴がいてもおかしくない環境なので信じたくもなってしまう。何せ森の中のログハウスなのでそういう奴が訪ねてきてもおかしくはないけど余り人に喋ると気味悪がって誰も訪ねてこなくなるので余りおおっぴらには言えないのですね。

 都会の真ん中でこんな事があればそれこそマスコミが押し寄せて怪奇現象の家なんて事になって大騒ぎになってしまいますからね。森の中に住んでいると「マア、そういう事もあるよね」と変に納得してしまうのでこの感覚といういのは本当に都会に住んでいる時の感覚とは全く違います。

 自然が起こす人間には理解できないような現象や神秘的な事にあまり拒否反応を示さなくなるのが不思議です。そうじゃないと森の奥深くなんて住めないって?そうかも知れませんね。

2009/07/06

映画「いのちの作法」が伝えること

  知り合いのペンションのオーナーがこの映画を東京で見て感動し、是非この映画を地元、北杜市で上映したいと思い、呼びかけに応じた10数人の実行委員が約半年に渡りこの活動にかかわり昨日、漸く無事、上映会が成功裏に終了しました。

 地元北杜市にある長坂コミュニテイーホールで開かれたこの映画会は当初、呼びかけ人のペンションオーナーが2回公演を希望していたのですが実行委員から「とても興行的に無理ではないか?いくらボランテア活動とはいえ赤字を出すわけにはいかない」との意見が大勢を占め取り敢えず無理ないところで1回公演でいくことが決定されたのですが応援してくれる団体から「是非、2回公演をやって下さい。赤字がでたら何とかするから」との励ましを得て、そこまで言ってくれるならやってみようじゃないかと思い切って2回公演に踏み切ったのです。

 その結果・・・何と昼夜共満席!お陰でスタッフは混雑回避に別の意味で嬉しいやら悲しいやら走り回る結果となりました。しかし、それだけに達成感のある活動となりました。しかし、大事なのは興行的に成功した事ではなくこの映画をこれだけ多くの方が興味を持って見に来てくれた事。実行委員の人の輪が昼夜満席、延べ800人以上の人に何らかの思いを伝える事が出来たと言うことです。知り合いの1人1人に実行委員の人たちが映画の事を説明しチケットを販売して歩いた結果がこの長坂コミュニテイホール始まって以来の昼夜満席という快挙を引き起こしたのです。

「いのちの作法」は岩手県の沢内村というところで昭和30年当初から行われた「生命行政」が現代にどう伝えられているかを描いたドキュメンタリー映画です。日本で初めて老人医療費の無料化を実施し乳幼児死亡率0を達成した山間の寒村である沢内村、何故この小さな村で世界的に注目される住民の命を守る「生命行政」を行うことが出来たのか?その事を広く呼びかけて問題提起していくことこそがこの「いのちの作法」の上映に関わった実行委員の役目ではないかと思います。

 福祉の問題は予算や法的整備や病院設備といった事も確かに大切だとは思いますがこの映画はそれだけではなく行政と住民が一体となった取り組みがいかに大切かと言うことを感じさせられる映画です。私はこの映画の原作となった「村長ありき」や「沢内村奮戦記」も読ませて貰いました。映画では表現しきれていない当時の住民や村役場の担当者の生の声をその本では知ることが出来、読めば読むほど考えさせられました。

 経済が苦しいから高齢者にも相分の負担をというのが現代の国の方針です。病院も各地で経済破綻して閉鎖され、医療過誤のリスクが高いといって産婦人課が全国的に消えていく・・・この状況が住民を幸せにするのでしょうか?経済状態が悪いからといって諦めなくてはならないのでしょうか?沢内村の人達も当初は貧困、多病、多雪に苦しみ多くの事を諦め乳幼児や老人達は病院に掛かることなく苦しんでいました。

 しかし、今では沢内村は予防医学といった意識が浸透し健康課が全住民の健康状態を把握し健康診断に代わり12日の人間ドックを無料で実施するといった活気的な活動が続けられ住民は笑顔が絶えず老人や子供、障害者と健常者がお互いに触れ合い地域一体となった福祉への取り組みが行われています。

 きっと実際にはここに至るには多くの課題を抱えながら一つ一つ乗り越えてきたんだろうと言う事が容易に想像されます。しかし、そこには「行政・住民一体、住民と徹底した対話」といったキーワードが必ず出てきます。行政と住民が対立するのではなく徹底的に話し合い。住民が何をして欲しいのかを聞き出す努力の積み重ねの歴史だったと聞いています。今の地方行政に最も求められるのはこの事だと思います。

 沢内村の住民も当初は全く口を開かぬ意見を言わない住民達でした。しかし、住民の家を一軒、一軒、廻り丹念に意見を聞いていった実績が今の奇跡の「生命行政」の源になっています。沢内村でも一度、老人医療費無料の弊害が出て「どうせタダだから」といった意識が芽生え一時期、有料化された時期がありました。その時、物言わぬ住民はどうしたか?老人達が自主的に署名運動を展開し医療費無料継続を嘆願したのです。その結果、再び国の方針に反して医療費無料化が実現しました。

 住民の意識が変わったのです。是非、この「生命行政」が全国に広がるように人々の輪が広がる事を願います。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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