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2006年2月

2006/02/23

ゲーテ曰く

国土緑化推進機構が主催するグリーンボランテイア研修という通信講座を受講してみた。テキストが送られてきてそれに関するレポートを提出する仕組みになっているのだが、その教材の中に「森への憧憬」という本がありその中に興味深い文章を見つけた。

ドイツの著名な思想家ゲーテは林業家との交流が深く、その事がドイツの古典林業家に多くの影響を与えたそうである。そしてゲーテの残した言葉に「自然は常に正しく、過失や誤りをやるのは人間である」(関 泰祐訳編「人生についてーゲーテの言葉ー」より)というのが載っていた。いかにも!と思いましたね。そもそもこのグリーンボランテイア研修の目的の一つは二酸化炭素削減を目指したものなんですがズバリ、ゲーテの残した言葉どおりかも知れませんね。

見られた方も多いと思いますが、先日NHKで「地球未来環境」の特集番組を放映していましたが日本の研究者がコンピューターを駆使して100年後の地球をシュミレートした映像を紹介していました。数値ははっきりとは覚えていませんが、このままの経済成長を人間が続けると100年後の地球の平均気温は4度程度上昇することになるそうです。それも今後、CO2の削減が順調に進んだと仮定しての話だそうです。そうなると日本の四季は現在とは全く変わってしまい米の産地は西日本から東日本に移ってしまい北海道が主な産地になるそうです。海水面の上昇も大きく海抜の低い地域の水没は免れないようです。

これだけのデータが公表されておりしかもこの予想を裏付けるように世界では大きな災害が起こっています。しかし、尚世界はその経済成長を止めようとはしていません。世界地球温暖化防止会議でもアメリカは早々に京都議定書からの離脱を宣言し、これから経済成長を迎えようとしている中国を始めとした国々は大国のエゴだといってCO2削減には消極的な姿勢をとっています。結局、会議では結論が出ずに会議そのものを継続する事を確認するだけに留まりました。

このまま人類が何もせずに経済成長を続けるならば間違いなく地球は人類を排除する方向に動いて行くようになると思います。人間さえいなければCO2は削減出来るのですから・・・そう考えると恐ろしいですね~決して他人事ではありません。現実には既にその兆候が現れ始めているのですから。では、我々は何をすべきでしょうか?負の遺産を未来の子供達に残さない為に我々に出来る事があるはずです。身近な事から始めましょうそして環境に興味を持って行動する事を始めましょう。

何だか今回はすごくまじめな事を言ってしまったような気がするけど振り返ってみてじゃあ自分は何が出来るのか考えなくちゃね。

2006/02/18

頑張れ、日本!

冬のオリンピックが始まりましたね。連日、いろんなドラマが繰り広げられてスポーツ観戦好きの私にはたまりません。しかし、この時差は何とかならないかな~、さすがに連日深夜まで起きてると次の日の仕事に支障があるしな・・・ちょっと辛い。

残念ながら今のところ日本はメダルには手が届いていませんがいいじゃないですか。オリンピックは参加する事に意義があるのです。元来は世界平和を願った祭典なのです。地球上の人類が集まって政治、経済、宗教を越えてスポーツという共通語で平和を誓い合うのがオリンピックなのですから・・・あまりマスコミも金だ銀だと煽りすぎですよね。

よく競技が終わってから10位に「終わりました」って言うけどあれはどういう意味なんでしょうかね。メダルが取れなかったら「終わった」っていう表現をする事に決まっているんでしょうかね。「終わりました」っていう表現は「駄目でした」っていうニュアンスが伝わってきて気になるのは私だけでしょうかね。10位とか20位に終わったって言うけど国の代表選手になるだけでも大変なのに世界20位って素晴らしいことだと思うけどね。自分は絶対なれないし・・良く競技中に転倒して失格したり予選落ちしたりするじゃないですか、あれって本人はすごく辛いんですよ。それまで積み重ねてきた努力がそこで終わってしまうんですから。私も学生時代に陸上をやってて確か四国大会の400mリレーのバトンタッチに失敗して予選敗退してしまって、今でもそのときの事言われることあるけど本人、平気な顔してるけど結構言われると辛いんですよね。特に団体競技で自分が失敗してチームに迷惑かけるとトラウマみたいになるんですよね。

 だから、失敗しても余り言わないであげて欲しいよね。マスコミにコメントなんかを求められて必死に答えてる姿みるとインタビューしている人に「この人、何を言わせたいのかな?」と思うことあるんですよね。一番、辛いのは本人だからね。「頑張ったね」でよいじゃないですか、そしたら素直になれると思うけどね。余りいうと余計プレッシャーになってよい結果を残せなくなるよね。

しかし、今回の冬のオリンピックの日本選手達はみんな凄い!復活を賭けたベテランの頑張りや無名の若手の台頭などを見てると現役選手としての意地と意地のぶつかりあいのようで素晴らしいと思います。4年に一度のオリンピックに3度も4度も出場するなんて12年から16年近く体をいじめて最高の筋肉の状態を保つという事は凄い努力が必要だと思います。それは毎日、日夜、努力しないと保てないですよね。私も現役で陸上選手をしている時1日練習を休むと取り返すのに2週間かかると言われました。それ位大変なんですよね。

スポーツは嘘をつかない!ドラマがある!だから私は大好きです!ぐあんばれ!にっぽん!

2006/02/13

ギフトショー

00003 普段、よく一緒に遊んでいる絵本村のマジョさんのお手伝いで東京ビックサイトに行って来ました。毎年、冬と秋の年2回、ビックサイトで開催されている東京ギフトショーへの出展の為に絵本村のスタッフと一緒に作品の搬入をしてきました。毎回、日本中から多くの企業が出展するので大変な賑わいとなるイベントです。明日から17日の金曜日まで開催されます。絵本村が出展しているブースは東4になります。マジョさんとホーキさんが期間中、ブースで頑張っていますので東京近郊の皆さん並びに東京に遊びに行かれる方は時間がありましたら是非、お立ち寄りください。その際には差し入れをお忘れなく!

2006/02/07

マスメデイア

最近、テレビを見ているどうもメデイアの行き過ぎた報道姿勢を感じる。アメリカ社会ではメデイアをいかに操作するかが政治の重要なファクターになっているらしいが日本も何だかそんな気がしてくる。最近では「建築構造設計偽造問題」「ライブドアによる粉飾決算」「BSE問題」「東横インの違法改造事件」等、何だかメデイアにはもってこいの視聴率の稼げる問題が目白押しである。そんな中で気になるのは報道陣の当事者に対する質問の仕方である。いつも報道関係者側は「善」で報道される側は「悪」といった勧善懲悪の構図が鼻についてしょうがない。悪い事をした者はメデアの前では兎に角ひたすら涙を流し謝罪しなければ許されないといった姿勢を感じてしまう。果たして報道する側にそんな権利があるのだろうか?

社会的に許されない事をした事は確かに悪い。しかしそれを国民の見ているマスメデアを通じて断罪させる権利があるのだろうか?私はメデイアは事実を淡々と伝えるのが義務だと思う。かつてのオーム真理教による松本サリン事件における冤罪すれすれの報道姿勢の反省は無いのだろうか?確かにメデイアは大きな力を持っている。しかしそれを報道の権利として振りかざし、まるで警察の尋問と思えるような詰問を逃げ場の無い人間に浴びせかけ、それが報道の正義だと言うのならちょっと違うのではないだろうか。

見方を変えればメデイアの前でだけ本心を隠して社会通念的に正しい姿勢を貫き通せば社会的な制裁を免れるような事になりはしないだろうか。その一端をメデイアが担いでしまっている事になっていないだろうか。事件報道の前にあれだけ自信たっぷりだった被疑者が報道されたことによる影響に気が付いてまるで人が変わったように涙の記者会見をする姿を見ているとメデイアの求めていたのはこの謝罪する姿だったのだろうかと思う。もしそうならばメデイアの果たす役割とは何だろうと疑問に思わざる得ない。メデイアの果たす役割とは謝罪する姿を見せることではなく何が真実だったかという事ではないだろうか?昨今の報道番組をみているとどうも悪者探しと司法に代わってまるで遠山の金さんのお裁きをみているような気がするのは私だけだろうか・・・

マスメデアを敵にしては社会的に生きていけない。そんな風潮がないだろうか?そんな気配にすごく危険を感じる。メデイアを否定するきはさらさらない。時には弱者が社会的強者に立ち向かう強力なバックアップになれる。そういう意味では重要な力である。しかし、その力を間違って使ってはならない。それくらいメデイアの影響力は計り知れない程大きいと私は思う。間違った方向にいかないようにメデイアを見ている我々も自身の感性を磨いて何が真実なのかを判断しなければならないと思う。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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