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2006/02/07

マスメデイア

最近、テレビを見ているどうもメデイアの行き過ぎた報道姿勢を感じる。アメリカ社会ではメデイアをいかに操作するかが政治の重要なファクターになっているらしいが日本も何だかそんな気がしてくる。最近では「建築構造設計偽造問題」「ライブドアによる粉飾決算」「BSE問題」「東横インの違法改造事件」等、何だかメデイアにはもってこいの視聴率の稼げる問題が目白押しである。そんな中で気になるのは報道陣の当事者に対する質問の仕方である。いつも報道関係者側は「善」で報道される側は「悪」といった勧善懲悪の構図が鼻についてしょうがない。悪い事をした者はメデアの前では兎に角ひたすら涙を流し謝罪しなければ許されないといった姿勢を感じてしまう。果たして報道する側にそんな権利があるのだろうか?

社会的に許されない事をした事は確かに悪い。しかしそれを国民の見ているマスメデアを通じて断罪させる権利があるのだろうか?私はメデイアは事実を淡々と伝えるのが義務だと思う。かつてのオーム真理教による松本サリン事件における冤罪すれすれの報道姿勢の反省は無いのだろうか?確かにメデイアは大きな力を持っている。しかしそれを報道の権利として振りかざし、まるで警察の尋問と思えるような詰問を逃げ場の無い人間に浴びせかけ、それが報道の正義だと言うのならちょっと違うのではないだろうか。

見方を変えればメデイアの前でだけ本心を隠して社会通念的に正しい姿勢を貫き通せば社会的な制裁を免れるような事になりはしないだろうか。その一端をメデイアが担いでしまっている事になっていないだろうか。事件報道の前にあれだけ自信たっぷりだった被疑者が報道されたことによる影響に気が付いてまるで人が変わったように涙の記者会見をする姿を見ているとメデイアの求めていたのはこの謝罪する姿だったのだろうかと思う。もしそうならばメデイアの果たす役割とは何だろうと疑問に思わざる得ない。メデイアの果たす役割とは謝罪する姿を見せることではなく何が真実だったかという事ではないだろうか?昨今の報道番組をみているとどうも悪者探しと司法に代わってまるで遠山の金さんのお裁きをみているような気がするのは私だけだろうか・・・

マスメデアを敵にしては社会的に生きていけない。そんな風潮がないだろうか?そんな気配にすごく危険を感じる。メデイアを否定するきはさらさらない。時には弱者が社会的強者に立ち向かう強力なバックアップになれる。そういう意味では重要な力である。しかし、その力を間違って使ってはならない。それくらいメデイアの影響力は計り知れない程大きいと私は思う。間違った方向にいかないようにメデイアを見ている我々も自身の感性を磨いて何が真実なのかを判断しなければならないと思う。

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