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2012年5月

2012/05/18

サラバ友よ・・

 昨年末に亡くなった友人にお別れをしてきました。八ヶ岳に来る前に一緒に同じ会社で勤めていた同僚で退社後は九州の佐賀県に移住して暮らしていました。

 突然の悲報を昨年末にやはり同じ会社に勤めていた同僚から聞かされ直ぐにでも葬儀に参列しに行きたかったのですがどうしても都合が付かず漸く先週、時間がとれたのでお別れをしに行ってきました。

 知らせてくれた広島に現在、住んでいるその同僚と3人で昔は良く週末に飲みに行っていました。何でも話せる友人の一人でした。

 お互いに良く飲み歩いているうちに何となく3人とも同時期に前の会社を退社する決心をし別の人生を歩むという道を3人、それぞれが選択したのも偶然ではなかったと思っています。

 あれから20数年経ちお互いに年賀状のやり取りや時々、佐賀名産のミカンを送って貰ったりのやり取りが続いていましたがあれから一度も会う事はありませんでした。

 まさかこんな事になるとは思ってもいなかったのですが、今更ながら彼が暮らしていた佐賀の海辺の町の風景を見て、ご家族にもお会いして彼がどんな暮らしを送っていたのかが知りたくて、そして何より自分の心の中でのケジメをつけたくて行ってきました。

 彼の住んでいた佐賀の海辺の町は美しい町でした。お墓も海の見える丘の上に建てられていました。奥様も息子さんや娘さんもしっかり元気に暮らしておられました。

 帰りに近くの駅まで送って下さった家族の皆さんがなかなか帰ろうとしないので「ありがとうございました。これで私は気が済んだのでどうぞお帰り下さい」と何度も何度もお願いして漸く帰って貰いました。

 帰りに新幹線でもう一人の同僚だった友人が住んでいる広島に寄り「昔の様に一人欠けちゃったけど飲もうよ」という事になり、広島の繁華街に行き、飲み屋のカウンターに座ると彼が「取り敢えずビール、それからコップ3つ」と頼んだので「ウン?」と思ったのですがビールが届くと「○○さんの分」といって二人の間にコップを置いてビールを注ぎました。

 姿は見えなかったけど久しぶりに3人で飲んで楽しい時間を過ごしました。彼と別れ際に「お互い、生きてるうちに又、会おうね」と言って別れました。寂しいけれど何か気持ちの整理が出来てホッとしました。

 友よ、サラバ・・・

2012/05/05

GWのひとり言

 今年も私の嫌いな(笑)GWがやってきました。昨年のGWは東日本大震災の影響で自粛ムードが広がった反動で八ヶ岳には多くの観光客が集まりました。今年はどうかな?と思っていたら今のところ知り合いの地元の店の人に聞いたらさほどでも無い様な話でした。

 それでも森の中には車を止めて双眼鏡を取りだして楽しそうに鳥の姿を追い求めるバードウオッチャーの姿が多く見受けられました。私なんか朝、新聞をとりに行くのに森の中の道を歩いていると見知らぬ方が道の真ん中に三脚を立てて一所懸命、鳥の姿をカメラに収めておられるので何となく近くを通るのが気の毒に思いながら小声で「おはようございます」と声をかけると向こうの方も小声で挨拶を返してくれました。

 そこでフト気付きました。今更なんですが森の中で毎日過ごしている私にとっては当たり前の風景、それは小鳥の声だったり樹木が風で揺れる音だったり、新緑の美しさだったりが実は普段、都会で暮らしている人達には貴重な自然とのふれ合いの時間なんだな~と・・・私自身も20年前に都会に住めなくなって八ヶ岳に移住してきたのですが段々、こちらの生活に慣れてしまって自分達の生活を取り巻いている普段の光景が当たり前の事になってしまいましたが20年前はこの自然豊かな八ヶ岳の地に憧れてほとんど逃げるように来てしまったんだな~と言う事を思い出してしまいました。

 だからこそ、この貴重な自然を大切にしていかなくてはならないのだと、本当に今更ながらGWでこちらに楽しみに来られる人達を見ていると思いました。それは住んでいる我々の務めでもあると思います。

 話は変わりますが先日、ある方と話しをしている時に面白い話を聞きました。それは、ニューヨークに住んでいるその方の知人のアメリカ人が何年振りかに日本を訪れた時に日本人の印象が随分変わってしまったというのです。それは以前、日本に来た時に見た日本人の顔と比べて随分、悪くなったと言う事です。それはたまたまその方が訪れた場所の方がそうだったのか、それとも個人の感覚の違いなのか分かりませんが昨年の東日本大震災や長引く経済不況の影響も、もしかしたら有るのかも知れません。

 何れにしても昨年の3/11以降明らかに何かが変わろうとしている事を私も感じています。それがもしかしたら普段、日本に住んでいる者には分からない日本人の顔の変化として海外から来られた方には感じられたのかも知れませんね。

 今年、我が家のコブシの木はほとんど花を付けませんでした。コブシの花が満開になる時は暑い夏が来ると聞くので今年は以外と冷夏になるのかな何て事をコブシの木を見上げながら感じています。

 変わって良いもの、変わってはいけないものがあると私は思います。変わって良いもの、それは時代の変化に伴う価値観や文化。変わってはいけないもの、それは自然を畏れ尊ぶ心。一見、相反する考えのようですが実は同じ様に考えていかなくてはならない事のように思います。

 先日、新聞の記事で瀬戸内寂聴さんが原発再稼働に反対して経済産業省の前でハンガーストライキに参加された事を知りました。瀬戸内氏が生きてきた人生の中で今が日本人にとって最悪の時期だと感じておられるという記事でした。今、私達が未来の子供達に出来る事を責任を持って一歩踏み出さなくてはならない時にきっと差し掛かっているのだろうなと私も思います。何てことをGWの森の中で考えてしまいました。

2012/05/01

「モノ造り」という文化

 私達のように木造建築を生業としているものにとって法隆寺の最後の宮大工、西岡常一氏は神様のような存在です。もう日本には昔のように寺に専属でついている宮大工は西岡さんが最後だったかも知れません。

 今でも勿論、宮大工さんは居られるのですが所謂その寺に専属で仕える宮大工さんは日本にはもう居ないと思います。というか、もう宮大工では生計が立てられない世の中になってしまったのです。

 もともと西岡さんもそうですが宮大工は決してお金を貰って他人の家を建てると言う事はしない大工さんなのです。西岡さん自身も自分の家は大工さんに造ってもらったそうです。それくらい自分の仕事に拘りを持っておられたし、宮大工という職種は特殊な技能集団でもあり自分達が属する寺の事は全て理解している宗教人でもあったのだと思います。

 今、自分達が生業としている建築技術は戦後、海外から持ち込まれたものです。それが今の日本の建築基準法のベースにもなっています。しかし、西岡棟梁達が残そうとした伝統木工法は世界にも類を見ない日本独自の木構造の木組みの技術でその中でも法隆寺は築1300年という世界最古の木造建築と言われています。

 今、日本ではこのような伝統木工法は時代の趨勢とはいえ中々受け入れられず少数派とされています。私達が建てているハンドカットログハウスもそういう意味では少数派に入ります。よく建築士の講習会等にいくとこの伝統木工法とログハウスについてはいつも「例外」として片付けられて悔しい思いをします。その位、今の世の中はスピードと変化を求められています。その裏に存在するのは消費と浪費の文化です。

 国が進める長期優良住宅の制度といっても所詮100年住宅で西岡さんはコンクリートの基礎の上に木造建築を造っても100年は絶対持たないと仰っています。つまり変わらない技術や伝統を尊ぶ文化が今の日本には根づきにくい環境になっているといえます。西岡さん自身もご自分の子供には後を継がせませんでした。代わって小川さんという方が西岡さんの弟子としてその技術を受け継いでおられるのですが小川さんも本当の意味での宮大工は西岡棟梁が最後だったと言われています。

 同じ木を扱うものとして西岡さんの言葉ひとつひとつに感銘を覚え、感銘を覚えれば覚えるほど反対に恥じ入る事ばかりです。今の建築基準法の教えは西岡棟梁の言葉とは正反対の事ばかりです。高気密・高断熱・24時間換気・耐震金物の利用等、全て西岡棟梁の教えとは全く眞逆です。これで本当に日本の木造建築は良いのでしょうか?

 西岡棟梁は「木組は木の癖組」と良く言われます。「木は一つとして同じ木はない。その木の癖を見て組まなければならない」と、しかし、今の日本の建築基準法は木が曲がる事を許しません。金物で補強し木が曲がろうとする力を抑え込み曲がってはいけない工法を求めます。しかし、もともと鉄と木の一番の違いは木には鉄にはない元に戻ろうとする力があるので本当の木の特徴を殺してしまっているのです。

 又、西岡棟梁は木材は山の樹を買うのではなく山全体を買えと言います。その地方に立つ木はその地方の気候に合っているのだからその木を立っていた向きのまま建物に使うのが一番自然で長持ちするとも言われています。

 しかし今、日本の建築は外材に押され海外から綺麗にパッキングされた木材が安価で輸入され市場を席巻しています。このままでは日本の文化といえる木造技術はすたれてしまいます。

 私達は少しでも日本の木の事を知ってもらい次世代の子供達に伝えていかなくてはなりません。荒廃した日本の山を美しい山に戻すには昔の様に山に親しみ日本の山の木で日本の家を造らねばなりません。

 「モノ造り」の手間と技術を理解する文化を大切にしていかないと日本の「モノ造り」の未来は無い様な気がします。ずっと繁栄し続けると信じた日本の経済環境が破綻した今こそ衣・食・住の生活の基盤に「モノ造り」の手間と時間を惜しまない文化が根付く事を願っています。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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