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2012年3月

2012/03/31

子育て完了!

 今から32年前に女房と結婚して3人の子供を授かりました。最初の長男が生まれた時に自分が親になるという事がどういう事なのか全く実感がないまま親になってしまい、あれから32年、今年末っ子の3番目の次男が大学を卒業してこの就職難の時代になんとか就活に成功して社会人として巣立っていきました。これにて子育て完了と相成りました。

 子育てといっても私は全く親としては失格だったと思っており女房からもいつも「私がどれだけ苦労したか(笑)」と今でも責められています。それほどあまり子煩悩な親とは決していえない父親でした。

 川崎に住んで居る時には子供達が小さかったのとサラリーマンで週休2日制だったので父親失格とはいいながらもそれなりに子供達を連れてキャンプに行ったり散歩にいったりデイズニーランドにいったりと世間並みの父親の勤めはある程度はしていたかなと思います。

 長男は電車が大好きで近くの田園都市線の駅までいつも子供用のおもちゃの乗り物にのって私に手をひかれて長い事、駅の上の橋で長い時間飽きもせずに電車を見て何事か叫んでいました(笑)

 長女は生まれた時から背が高くて小・中・高校とバレーボールの選手を続ける頑張り屋さんでした。小学校高学年までは毎日の様に一緒にお風呂に入っていたのですが何故かある日を境にぷっつり一緒にお風呂に入らなくなり(笑)それからは距離を置く様になった気がします。父親の宿命ですかね。それでもいつかは一緒にバージンロードを歩く事になるのかなと心の奥底に秘めていた思いが昨年、とうとう現実になってしまいました。

 そして少し年の離れた末っ子の次男、子供は2人で終わりと思っていたのが八ヶ岳に移住すると決めた途端にひょっこりと授かってしまい、それだけに末っ子でもあり兄弟の中では一番親に手を掛けられた子供でした。3月生まれだったので同じ学年の子供達の中ではいつも一番小さくて頭の毛も天然パーマでクリクリだったので色んな人に可愛がられました。

 昔、近所の美術館のスタッフの女性がいつもこの子を可愛がってくれていてうちの子も「ネエネエ」と彼女の事を呼んでなついていました。その女性が退職する事になり我が家に挨拶にこられ「最後に一度だけこの子とデートさせて欲しい」と頼まれました。その女性は一日我が家の末っ子を抱いてデートを楽しみ心の整理をつけたようでした。その方とは今でも親交があります。

 3人の子供はすっかり大人になり今ではこちらが色々な相談を子供達に持ちかけて世話になっています。何せ今の時代は進歩が速くて私達には付いていけないので子供達に教わらないと時代に取り残されてしまいますからね。

 3人の子供達が私の事をどう思っているか知りませんが3人の子供を授かった時に私は授かった子供3人―親2人で1人余り・・・だから動物としては子孫を残す役目は取り敢えず果たしたのかなと思いました。変な話ですが本当にそう思ったのです。というのは結婚してから直ぐに女房が身体を壊して医者からは「子供は出来ないかも知れないのでそう思っておいて下さい」と宣言されていたので覚悟だけはしていたのです。

 女房とも「別に子供だけが夫婦の目標じゃないんだから子供が出来なければお金が溜まるから一杯遊べるね」と話していたのも束の間、3人も子供を授かってしまいお陰でうちは一生貧乏になってしまいました(爆笑)。

 まあ、しかしその代わりデッカイ子供が3人も出来たので良しとしなくてはなりませんね。3人の子供達が全員、大人になって出て行ったのでこれからは夫婦2人で楽しく暮らして行こうと思います。

 熟年離婚というのも流行だそうですので何とか女房に捨てられないようにご機嫌を伺いながら過ごして行きます。3人の子供達にはそのうち最後はお世話に又なるかも知れませんがなるべく迷惑を掛けないように暮らしていくつもりです。巣立っていった子供達、これからはお父さんにお小遣い頂戴ね(笑)。

2012/03/25

八ヶ岳の愉快な仲間達

 八ヶ岳には本当に興味深い愉快な仲間達がいます。年齢に関係なくそういう人達の集まりに時々呼んで貰って楽しい時間を過ごさせて貰っています。昨晩もそういう人達の集まりがありました。

 昨晩の集まりはちょっと変わった人達(失礼)の集まりで(そういう自分は怪しくないと思っているのですが他人に言わせると「あんたも充分怪しい」と言われます)何が怪しいかと言いますと、昨晩は初めてお会いする人が何人か居られたのですが最初の挨拶が「初めまして、あなたはどちらからですか?」「はい私はシリウス星のほうから・・」「そうですか、私はアンドロメダの方でして・・」なんて会話が普通に交わされておりましてこれが別にふざけている訳ではなくて極めてまじめに行われている(笑)のが面白いところなのです。

 私なんて自分の星なんて知る訳もないし「自分の星って何?」てな感じなので話を聞いていると人類は全て宇宙のかなたからやってきてやっと地球に到着したのだけれど原子の中に蓄えられた代々の記憶は肉体が更新される度に昔の記憶が消されるので中々自分が昔、どこに居たのか分からないのだそうです。

 では自分の星がどこだったか分かる簡単な方法はないのかと聞くと「夜空を見上げて何となく気になる星が必ずあるからそこがあなたの生まれ故郷だ」と言われるナルホド(笑)そこでいたく納得してしまう自分も何だかなと思うのですが何となく説得力があり自分の中でも「そうか、そうだったんだ」と共感する部分があるので怖いですね~。

 昨晩来られてた別のご夫婦のご主人が先日とうとうUFOを見てしまったと仰る。そのご主人はこういう会話を全く信用せず今までも「そんな根拠のない事を・・」とどちらかというと現実派の人であったそうです。だから自分は普通の人間なのだと・・・それがとうとうつい数日前にUFOに遭遇してしまったそうなのです。

 「先日、庭で作業してたら何だかバットの素振りをするような音が聞こえてきて何だろう?と思って廻りを見渡しても誰もいない。変だなと思って真上を見上げると透明な乳白色をした物体がクルクル廻っていてそれが森の中を移動して行ったんだ。慌てて家族を呼びにいったら作業を手伝って貰っていたアルバイトの子が自分を見て「マスクが・・」というので自分が掛けていたマスクを見ると鼻血で真っ赤になっていたんだよ」と話された。

 それを聞いていた私の隣に座っておられる事情通の方が「あ~やられましたね。完全に実験台にされましたね」と言われる。「そんな訳ないよ。だって自分はずっとそこにいて見ていたんだからそんな時間はないよ」と、そこで私が「それは地球時間での話ですよね。UFOの中での記憶は消されているし自分では気づかないと思いますがきっと長い間宇宙船の中にいたはずですよ」と・・・何で自分がそんな事を知ったかぶりに発言したのか自分でも分かりませんがとにかく私がその方にそう伝えてしまったのです。

 そうすると皆さん納得顔で「そうそう、もしかしたら1年位居たかもよ、地球上では一瞬だからね」と言われる。そうするとご主人はちょっと心配顔で「そういえばUFO見る前から変な事あったんだよね。庭に居る時に誰かに「コラッ」と怒られて何だ何だ?と思って廻りを見廻しても誰も居ないんだよね」あの日は何だか変な日だったよね。と言われる。どうもUFOに拉致される運命にあったようです(笑)

 実は八ヶ岳にはこういう人達がUFOに関して情報交換する真面目なイベントがありUFOコンベンションと言います。今年で3回目位になるのですがHPはこちらです→http://yatsucon.exblog.jp/ このイベントには毎回多数の参加者が応募してきていつも満員の状態です。それだけ賛同者が多いということだと思います。

 昨晩の集まりにはこのイベントの呼びかけ人の人達も参加していました。いつも思うのですがこういう人達はきっと八ヶ岳に呼ばれて集まって来ているのですね。何せ八ヶ岳には縄文時代の遺跡が山ほど発掘されているのでキット我々は現代の縄文人にあたるのかも知れません。いや~八ヶ岳には面白い人が沢山住んでいます。

2012/03/17

市議会傍聴記(本会議編)

 昨日、私の住んでいる北杜市の平成24年第1回定例議会本会議が開催されたので傍聴してきました。前回、傍聴したのは委員会でこれは小さな部屋で開催されたのを後ろの席で聞いたのですが、今回は本会議なので市長も出席して本会議場で開催されたものです。

 傍聴席もちゃんとした席が50席程用意され記者席も設けられています。ここで議会の様子を見るのですが傍聴席の前に議員が座る二人掛けの席があり我々傍聴者は議員達の様子を後ろから見る事になります。

 その反対側に市役所の担当者達が市長も含めて座っており傍聴席からは向かい合う様になります。そしてその真ん中に議長・副議長席があります。議事進行は議長が行うのですが大体1時間毎に小休憩が設けられその時に外に出ると議員達とトイレの奪い合い(笑)という事になります。

 北杜市の議員定数は22名ですが田舎の議会ですので傍聴席に知り合いがいたりして「あらっ?今日は何時頃帰る?」なんて話も聞こえてきます。

 そしてこの会議場で将来の北杜市民の暮らしを左右するかもしれない重要な議題が審議されました。それは「中部日本横断自動車道の建設促進を請願する」議案です。賛成・反対の討論が行われた後、採決がとられ賛成16反対5(議長は裁決に参加せず)で建設促進が採択されました。

 これはあくまで国の事業に対して地元の市として早期建設をお願いする文章を提出するものなのでこれで建設が決まった訳ではありませんが地元の市としては「賛成です」と国に回答した事になります。

 勿論、地元にも賛成意見、反対意見それぞれが有って当たり前なので(私自身は反対です)採決そのものは理解するのですがそこに到る経緯は決してフェアなものとは言えないやり方でした。

 詳しくはここでは述べませんが、かつて市町村合併で「北杜市」が誕生した時と同じような厭な印象が残りました。北杜市が決定した時も市側は住民投票で決定するといいながら住民投票の結果1番多かった「八ヶ岳市」を特定の地名がついた名前は除外するという後だしジャンケンのような屁理屈を持ち出して「北杜市」に決めてしまいました。

 余談ですが「北杜市」という名前は一字違いで「北斗市」が北海道の函館の西側にあります。面積は山梨の北杜市のほうが5割程広いのですが人口はほぼ同程度です。どうしても「北杜市」という名前は東北・北海道地方を思ってしまう地名でいまでもこの地名に決まった事が残念でなりません。決まってしまった事は仕方ないことですが・・

 今回も何故か地元北杜市観光協会と商工会が同じタイミングで議会に対し早期建設を願う請願書を提出しそれを受けて市議会で審議が行われるという出来レースの様な審議で初めから決まっていたかのような印象を受けました。

 しかし、この議会運営、前回も書きましたが議長が延々と続く議案に対し「第○○議案につきましては○○委員会委員長の報告が終わりました」「引き続き審議に移ります」「討論はありますか?」「議長!」「討論を認めます○○君」「○番○○です。第○○議案について反対の立場から討論を致します・・」「議長!」「○○君」「○番○○です。第○○議案について賛成の立場から討論を致します・・・」「他に討論はありますか?」「なし!」「討論なしと認めます」「引き続き採決に移ります。第○○議案に対して賛成の諸君の起立を求めます。尚、委員長報告は議案に賛成であります」「起立多数、従いまして第○○議案は採択されました」という文言が延々と続きます。

 何だかこういっては大変失礼ですが昔、小学校の時にクラス会のやり方を勉強として教えて貰った時を思い出しました。クラス委員が前にでて議事進行をするのですがその時に様々な決まり事を決めて、例えば議長は裁決に参加しない。議長がどうしても意見を言いたい時は前の席から自分の席まで戻ってから手を挙げて発言する。書記が黒板に皆の意見を書いていく。何て決まり事を決めて討論するのが何だか大人になったようで自分が偉くなったような気がして嬉しかったのですが何となくその時の事を思い出してしまいました(失礼)

 私、思いました。「市議会議長は早口言葉が話せないと絶対勤まらない(笑)」とだって延々と同じ言葉をこれでもかと繰り返し繰り返し喋り続けるわけですからよほど忍耐強くないと務まらないと思うのです。一字一句間違って発言すると直ぐに書記から言い直しの指摘が入り言い直すのです。

 昨日の議会でも多分100回以上の議会運営言葉を繰り返し叫び続けたと思います。思うけどこんな事やってるから市民から政治が離れていくのではないかな?だって傍聴していてもちっとも楽しくないし議員の本音が聞こえてこないのです。初めから決められた議案を決められた手続きのとおり進めていくだけで発言の言葉も議会言葉の繰り返しで一般市民には全く理解出来ません。

 もっと本音で普通の言葉で市民の心に響くような言葉を話してほしいです。与党だった議員がこの議案だけは裏切って野党に賛成してしまったとか議論が白熱して掴みかからんばかりの乱闘寸前になってしまうとか(笑)議長が「どうせ、ここからここまでの議案は皆、賛成でしょ?だったらはしょっていいよね」とかもっと人間らしい話合いをしてくれれば傍聴する人も増えると思うな。

 それに皆さん、議員は選挙の時と議会活動の時は違う人になってしまう事もありますよ。良く観察していないと、とんでもない人を議員に選んでしまうかもしれませんよ。

2012/03/09

市議会傍聴記

実は政治の世界が大嫌いです。勿論、一般市民として政治に関心が無い訳ではありません。それなりに普通の方と同じように今の政治について考えることはあるのですがどうも好きになれません。

 以前、東京でサラリーマンをしている時に当時の○○省に関係する仕事をしており勿論、勤めていた会社は民間会社ですが代々の役員はいわゆるそこの天下りでして仕事の内容も詳しくは言えないのですが公共事業に関係する内容があったのです。

 私はその折衝窓口的な仕事をしており所謂、キャリアー組の方やノンキャリアーの事務方の方達とも打ち合わせする機会が多かったのです。そこで仕事をしていればそりゃいろいろとある訳で(笑)余り、人様に胸張って言えないような事も業務としてやらざる得ない事もありました。

 そんなこんなで政治の裏側を見る機会がありすっかり厭になってしまったのです。しかし、それでも当時の日本を動かしていたのは間違いなくそういう人達であり一般市民が知る由もない所で政治というのは動いているのだなと痛感させられました。

 以来、どうも政治から始まって一般の行政や役場までも含めて嫌いになってしまいました。出来れば遠回りしてすませたいと思っています。しかしながらこうして社会人として会社を経営し役場とも全く関係しないという訳にもいかず申請業務や建築確認等では避けて通れない訳で大半の事はスタッフがやってくれるのですがそれでもやはりノータッチという訳にもいかないのです。

 昔は自分で役場の申請関係も一人でやっていたのでその関係で地元の町議会の議員さんに一応挨拶しておいた方が良いと知り合いに言われ挨拶に行ったら、いきなり町役場のロビーで恫喝され「???」状態で「何でこの人は怒ってるんだろ?」と思いましたが隣にお客様も一緒だったので「ここは頭を下げるしかないか」と訳も分からずとりあえず謝ったら要は「俺に挨拶もなしに仕事していたのか」という事らしくて帰ってから、挨拶に行った方が良いと言ってくれた知人に「こんなだったよ」と報告すると「気にしなくていいよ。あの人は誰がきてもワザと皆の見ている前で叱り飛ばして自分の威厳を保っている人だから」と言われ。「それを先に言ってよ(笑)」とガッカリして再びこの地にきてもすっかり役場が嫌いになってしまいそれ以来、ここでも出来るだけ行政の方や役場の方達とは距離を置く様にしてきました。

 しかし、日本中どこへ行ってもこの手の話はある訳で特にここがひどいという訳ではないし東京に居る時はもっとひどい目に遭ってきたのでとにかく「触らぬ神に祟りなし」と自分では決めていました。

 しかし、先日から中部横断自動車道の建設に反対する運動によせばいいのに参画してしまい署名活動なんかしてしまったもんだから署名を集める以上、署名して頂いた方にちゃんと説明しなくては申し訳ないと建設推進の請願書を審議している市議会の傍聴に言ってきました。

 勿論、こういう事は逃げ回っていた(笑)自分ですので議会傍聴なんて初めてなので傍聴手続きをしていると担当の方に「兎に角静かにしてジッと聞くだけですからね。良いですね」と念を押され、どうも私が反対の意思をもって議場で何かしでかしやしないかと疑われているようで(笑)マア、そんな事はなくきっと傍聴する人には皆、同じ注意をしているのだろうと思いますが。

 そして当然ながら審議は中部横断道の建設推進請願だけを審議する訳ではないので平成24年度の予算審議は延々と進みそれを聞いているだけで既に来た事を後悔(笑)し始めたのですがここは我慢我慢と辛抱して議題の最後になる請願書の審議を待ちました。

 しかし、議会運営というのはどこもそうでしょうが議会独特の専門用語と決まり言葉が延々と続き「○○君の発言を求めます」「ハイ議長!」的なやりとりが延々と繰り返され、あれってやってる方は可笑しいと思わないのでしょうかね?勿論、議会運営の決まりごとがあって議長がそういう定型文言を言わなくてはならないのだと言う事は理解していますがあれを一般の会社でやってたら怒られますよね。

 変えようと思わないのでしょうか?きっとあのテレビで見かける国会審議の真似をしているのだと思いますがあのやり方が議員たる自分達の独特の価値観でステータスシンボルみたいな事になっているのでしょうね。私には茶番(失礼)にしか思えません。

 もっと事前に資料を配り内容を把握して上で質疑応答を自由にすれば半分以下の時間で終わるとおもうのですがね。それと議会活動についてはもっと一般開放して審議内容をネット中継するなりしてくれれば平日の日中に議会が開催されても多くの人がその内容を見る事ができるのになと思います。

 しかし、議会傍聴は良い経験になりました。機会があればもっと多くの方が見た方が良いと感じました。見られると人は真面目にやらざる得なくなりますから(笑)

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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