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2007年10月

2007/10/31

雨の里山体験

Satoyama

 日本近海で突然発生した台風が猛烈な勢いで近づいて雨模様となった先週末、誰も来ないんじゃないかと思われた「里山整備」の講習会、それでも十数人のメンバーが集まりました。

 昨年来、2年に渡って開催している「八ヶ岳森つくりの達人」講座、リーダーを引き受けた事をつくづく後悔しながら何とかあと1回というところまでこぎ着けました。今回は北杜市高根町の田園地帯にある里山をフィールドに選び里山整備を行う予定でした。

 しかし、当日は雨・雨・雨・・・・・前日の午前中までのピンポイント天気予報では何とか曇りで天気はもつ予定だった。だから、そうそうに実施を決めて連絡をしたまでは良かったが、時間が経つにつれて徐々に天気予報は悪い方に変化し、前日の夜中、フト寝床で目が覚めると頭の上の天窓には大粒の雨音がしていた。え~い、しゃあない!里山整備だもの雨が降る事だってあるさ!と自分及び関係者に言い聞かせ、しかしこの講座、何故だか雨の確立が高い。メンバー一同、「一体誰が雨男(女)だよ~マッタク」とぼやくことぼやくこと

 そういえば春先にやった「ツリークライミング」も雨だっけ、あの時は奇跡的に天気が回復してやれたからよかったけどね。

 この里山の持ち主の方がとても良い方で「何とか雨でも落ち着いて話の出来る所はないでしょうか?」とお願いしたら早々に公民館を借りてくれて、後で見たらこの公民館の運営委員さんでした。しかも雨の中、傘をさして里山の中をゆっくり案内してくださり、その後、公民館で行われた意見交換会でも自家製の落花生やサツマイモ、お漬物等を奥様が用意して下さり本当におんぶにだっこでお世話になった。田舎はこういう人がいるから嬉しい。まだまだ人情が生きているところなんだな~

 しかも景観や持続性のある環境に対する思い入れも深く、凄く協力して頂いた。有り難いことです。あと、もう1回間伐をすれば私の講座は終わる。やれやれあと1回頑張るか・・・

2007/10/22

晩秋の山便り

朝晩、すっかり冷え込むようになりました。朝は吐く息も白くなってきていよいよ本格的な秋本番といったところです。この時期の山の様子は色んな事が冬に向けて変化していきます。

私の家の前には大きなコナラの木が立っており高いところの枝から一日中我が家の屋根にドングリが落ちてきます。夜中に落ちてくるとカ~ンと甲高い大きな音がしてビックリします。

枯葉もどんどん道に落ちてきて困るのは秋雨が降った夜、車で山の中の道を走っていると枯葉かなと思って見ているとこれがでっかい蛙なんですね~。近くの沼に戻るのかそれとも沼から出てきて森に帰るのか分りませんが、これがそっくりで困ります。枯葉が落ちてると思ってそのまま踏んづけようと思うと道に座っている蛙なんて事が頻繁になり段々、疑心暗鬼になってきてコワゴワ運転する羽目になります。

そしてこれが一番問題なのですが薪割です。そもそも寒くなってから心配する事自体が遅すぎなのですが今年は特に色々と忙しくて全く薪の準備をしていなかったので家族から猛ヒンシュクです。慌てて用意はしていますが果たしてどうなるやら・・

寒くなってきて楽しみなのは星空と山が綺麗に見え出す事、昨晩も女房と夜中に流星群を見にいきましたが残念ながらまだお月様の位置が高くて明るいもので殆ど見えませんでした。

そもそも余り寒いのは好きではないのですがこれも自然の掟なのでしょうがないですね。今から春が待ち遠しい・・・・

2007/10/14

サラバ!青春の祐天寺

 仕事で30年ぶりに東急東横線の祐天寺の駅で降りた。30年程前、親友が祐天寺に親友の兄と共に住んでおり、よく遊びに行っていました。その親友の兄は渋谷の飲食店の板前さんをしており頭を角刈りにして男前で格好良く、美人でモデルの彼女を連れていて俺達二人にとって憧れの兄貴でした。

 その頃、俺達二人は当然ながら貧乏で酒なんか飲める訳無く、その兄貴がボトルを入れていた駅前のスナックに入り浸り兄貴の酒をタダで飲ませて貰っていた。そのスナックはママさんとマスターがカウンターに入り女の子が一人、時々手伝いにきて切り回しているテーブル席が3卓程、カウンター席が5,6席のこじんまりとした店だった。

 ある日、店に集まる常連達で何故かハワイアンバンドを作ることになった。たまたま俺もギターを少し弾けたのでバンド仲間に入ることになり、その他にスチールギターとパーカッションとボーカルに同じく店に来ていた若い歌手の卵が起用されて都合4人の素人バンドが結成された。条件は店で時々演奏する代わりに飲み食いはタダという貧乏学生には答えられない条件だった。

 スチールギターを弾く当時50代の店の客がバンドのリーダーで彼は鎌倉の海岸近くに自宅があって休日によくその自宅にメンバーが集まりバーベキューをしながら練習をしていた。

 ほぼ毎日のようにそのスナックに集まり閉店まで時間を潰し客が帰った後、店の後片付けを手伝い、看板を店の中に仕舞って自宅に帰るのが当時の俺達二人の夜の過ごし方でした。

 大学を卒業し、いつしか二人はバラバラになり俺は東京の会社に就職し親友は故郷の北海道で就職し中々会えなくなり店にもほとんど行く事が無くなりました。

 そんなある日突然、スナックのママから手紙が届いたのです。祐天寺の店を閉店して銀座に同じ名前の店を開店するから訪ねて欲しいという案内状だった。あまりの懐かしさにサラリーマンになり立てだった俺は北海道の親友を誘って久しぶりにその銀座の店を訪ねていった。

 開店したての店は祐天寺の頃の店とはうって変わり若いホステスが4,5人入ってすっかり垢抜けた、いかにも銀座の店といった雰囲気になっていて俺達が行ける様な店では無くなっていた。何となく居づらい雰囲気のまま時間が過ぎそろそろ帰ろうと思ってママとマスターに挨拶して店を出たところへ祐天寺の頃から店に出ていて俺達が姉さんと呼んで世話になっていた顔馴染みの年上のホステスが追いかけて来て俺を捕まえて「もう来ちゃだめだよ。ここは前の店とは違うからね」と耳元で囁いた。俺はうなずいて「うん、多分もう来る事はないと思う」と答えて店を後にした。

 あれから30年、久しぶりに訪ねた祐天寺の駅前はすっかり変わっており当然、昔の店の佇まいなどすっかり無くなり再開発の波に飲み込まれていた。「有る訳ないよな・・・・」   サラバ!祐天寺で過ごした青春の1頁・・・

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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