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2007年1月

2007/01/28

薪割もこんなに奥が深い

20070128_171328546 昨日、私が担当する森つくりの企画の一つ「薪割もこんなに奥が深い」が開催されました。昨年、実施予定だったのが悪天候で延期となりようやく開催する事が出来ました。当日、「余り集まらないんじゃないの」と思っていたのですが意外にも16人もの方達が集合し小雪がパラツク中で開催と相成りました。普段、余り人に教わる事のない薪割ですが千差万別でそれぞれ実は人によって違うんじゃないのと話がでたのが発端でそれじゃ、我こそは「薪割名人」と自称する人達に集まってもらって思いのたけを語って貰おうじゃないのというのがそもそもの企画の発想だったのです。

 私自身も八ヶ岳に来て薪割を始めて19年ですが人に教わった事なんてないし、そもそも教わろうなんて思ったこと無かったのですが今回、色んな人に集まってもらって話しを聞くといやいや中々皆さん、それぞれウンチクがおありで面白いのなんの・・・当然初めての方もおられて「やってみませんか?」と斧を差し出すと「いえいえ、私は結構です」なんて最初は遠慮していた女性が最後の方では「やり始めると以外と面白いですね」と汗をかきつつ斧を離そうとしなかったりとこれが本当に面白い。

 で、ふと思ったのが「薪割」というものは時代が変わっても延々と続けられてきた数少ない行為であるのだなという事である。昔、人類が初めて火というものを手に入れて以来、続けてこられた行為なのである。つまり全ての人のDNAに刷り込まれてきた記憶ではないかと・・だから人は薪を割る道具を手にした時にそのDNAが蘇るのではないかと思うのです。

 何でそんな事考えたかというと、いざ薪割を始めると普段、物静かで穏やかに話をされる人が、まるで人が変わったように薪割に異常な熱意を示したり、先程の女性のように「イエイエ私なんか」と仰ってたご婦人が旦那さんそっちのけで力強く斧をふるって目の色が変わってしまったり、つまりこれは潜在していたDNAが呼び覚まされるんではないかと思ってしまった訳です。たかが薪割という単純な作業ですが時を越えて延々と受け継がれてきた人類に残された(オーバーか・・)数少ない貴重な活動ではないかと・・

 まあ、そんな事は別として全く私もたかが「薪割」にこんなに色んな技とウンチクがあるとは思いませんでした。よく言われるのは薪木の根元側から割るか枝先側から割るかと言う事ですが一般的には根元側という意見が多いのですが、これは私も一概には言えないと思っていましたがどうやらこれは参加者、全員同じ意見のようでした。むしろ割れなかったらひっくり返して割ると以外と割れると言う意見が数多く出ました。それと、比較的、乾燥していない新しい面の方が割りやすいという意見も多かった。

 割り方も縦にして割る方法、横にして割る方法、節に当たった時の割り方、枝分かれした木の割り方、針葉樹と広葉樹の違い等・・いやいやこれほどウンチクがあるとは思いもしませんでした。世の中、分らない時は聞いてみるもんですね。たかが薪割も本当に奥が深い神聖な生業でありました。

2007/01/19

「老い」との付き合い方

「老い」と言っても私の事ではない。まだまだ若いつもりだが昨今、ちょっと物忘れがひどくなってきてちょっと心配している。親しい人の名前がつっかえて出てこない・・・困ったもんだ。実は田舎で1人暮らしをしている母が体調を崩して入院してしまった。それはそれで覚悟はしていたので驚きはしなかったが、いざ事態に直面して母が老いていくのを見るのは少々辛い。これは幾つになっても変わらないものなのかも知れない。

 子供の頃は母が老いていくなんて考えもしなかった。何時までも元気な母のままでいるものだと思い込んでいたし普通、考えないよね・・その点、父親という存在はどんななんだろう?子供達はどう思っているんだろう?実は私自身は父親の存在が消えた時、父には申し訳ないが余り感傷的にはならなかった。これは男同士だからであろうか?母に対する感情とは明らかに違う気がする。やはり人間も動物だから生んでくれた母性に対する感情の方が強いのだろうか?それとも単に父母の子供に対する接し方の違いから生まれる感情の違いだろうか?ちょっと同じ父親として寂しい気もする。果たして自分の子供達は自分をどう見ているのだろうか?もうほとんど成人しているので今更どうのこうのと言っても遅いし、はっきりいって子供達にとって、とても立派な父親だったとは言えないと自分自身思っている。

 自分も含めて人は必ず「老い」ていく。それは避けられない事だし、出来れば「老い」を楽しみたいとさえ思っている。老いて行く事は決して不幸な事ではないと思う。母も老いていくに従って段々子供に戻っていくように感じている。「老いては子に従え」とは良くいったもので現段階では母はまだ従いきれずに若かった自分の姿に固執しているように思える。キット自分もそうなるであろうと思う。そう簡単に子に従えるか!と誰しも思うんだろうな・・自分もきっとそうだろうな。でも娘に優しくされると従っちゃおうかな・・なんて思う時も来るかも知れない。

 話は変わるが今の日本の老人福祉のあり方は最低だと思う。はっきり言って福祉切捨てとしか思えない。貯蓄がないとうっかり年を取る事もままならない。金持ちの老人なら良いがそうでない大多数の老人、まさにこれから高齢化社会を迎えようとしているそんな老人から更に医療費を巻き上げて、うっかり入院しようものならさっさと出て行きなさいと言わんばかりのお粗末な制度しかない。更に悪化しそうな情勢である。戦後の荒廃した日本を繁栄に導き働きずめに働いた人達に対して余りにも無情な国である。我々だってうっかり老いる事も出来ない。税金を上げるなら是非、福祉に役立てて欲しい。一部の裕福な人達だけが報われたり、どこぞの国会議員さんみたいに訳のわからない事務経費に数千万も使える人の為に税金が使われると思うとやるせないですよね。

 是非、豊かな「老い」を過ごし人生の終わりを満足して迎えることが出来るようになって欲しいと年頭にあたり思った訳です。

2007/01/08

新年おめでとうございます

 新年あけましておめでとうございます。すっかり温暖化が定着した感のある冬模様ですが、一昨日まで帰省していた高知では昼間の気温が10度を軽く越えてセーターを着ていると暑くて仕方ないといった気候でした。

 そして一昨日の晩、中央高速をえっちらおっちら高知から720kmの道のりを帰って来ようとしていたら恵那のあたりから猛吹雪!前が全く見えない!「こりゃもうすぐ通行止め間違いないな・・」と隣に座っていた息子に軽く脅しをいれて兎に角、通行止めになる前に何とか通り過ぎなくてはと必死にハンドルを握り、見えない前方の視界を見える事に何とかして(なる訳ないか・・)必死でセンターラインのみを注視して走り続け、到着予定時間を30分程オーバーして、高知から9時間30分で無事、山梨に到着しました。

 事情により今年のお正月ほどお正月の雰囲気のしない年はなかったかなという年末年始を高知で過ごしましたがそれでも時は止まる事無く過ぎ去り今年も気が付けば、はや1週間が過ぎていました。

 今年は皆様にとってどんな年になるのでしょう。私にとってはなんとなく心の切り替えが出来ないまま始まってしまった2007年ですがきっとこのまま時は過ぎていくのだろうなと思っています。その中でもその時、その時、自分のやるべき事をひとつずつクリアしていくしか自分には出来ませんし、今までそうして来たつもりです。

 しかしそんな中でも「笑い」だけは忘れないで行きたいと思います。人生をしかめっ面して過ごすほどつまらない事はありません。どんな時でも楽しみを求めて笑って過ごしていきたい・・最近特にそう思うようになりました。女房からはよく「何があってもアリガトウと言うと良いらしいよ」と言われます。最初は「バカ言ってら!」と思って「貧乏でアリガトウ、宝くじが外れてアリガトウ」とやけくそで言ってましたが良く考えたら「ものは考えよう・・貧乏だから人の痛みが分る。宝くじが外れたから又、明日から一生懸命働こうって気になる」と考えれば確かに「アリガトウ」かも知れません。別にスマップの曲の宣伝をしている訳ではありませんが・・

 という事で今年の私は「ア・リ・ガ・ト・ウ」をテーマに行こうかななんて思ってみたりしています。果たしてどこまで続く事やら・・・今年もどうぞ宜しくお願いします。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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