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2006/08/27

猫騒動のその後

先日お話した心筋梗塞をおこして倒れた我が愚猫はその後、無事退院というか病院で全く餌を食べないので、このままでは餓死すると心配した先生が退院を決断し無事、我が家に戻ってきました。

っで、どうなったかというと少し痩せて帰って来た我が愚猫は病院で痩せた分を取り返すかのように食っては寝、寝ては食いの繰り返しですっかり落ち着きを取り戻したのですが毎日の薬投与が大の苦手・・・家族皆で我が愚猫に引掻かれて血だらけになりながらの薬との戦いが続いています。女房ともども血だらけになるたびに「この恩知らず!」といい続けておりますが本人はちっとも反省しておりません。

 そうした闘病生活を送っていたある日、再び心臓発作を起こして救急でかの病院へ逆戻り・・・今度こそダメかと諦めかけていたのですが再び、復活!ある日病院から「退院しても良いですよ」と連絡があり仕事で行けない私のかわりに家族が引き取りに行き。その日の夜、仕事が終わって家に帰ると何やらプラスチックの箱に入った白い物体とその脇には良く病院の集中治療室でみかける黒い酸素ボンベが置いてあるではアリマセンカ!

「ナナナ・・ナニコレ?」と聞くと、何と退院した我が愚猫の為の酸素室との事!中を覗くとプラスチックの箱の中の物体は我が愚猫が丸くなって寝ている姿・・・一日2回ほどこのプラスチックの箱で作った酸素室の中で酸素を吸わせて回復させるようにとの事、ついにココマデキタカと力なく居間に座り込み気持ちよさそうに酸素室の中で寝ている我が愚猫を見ていると、果たして俺が倒れてもここまで家族は心配してくれるのだろうか?とフト変な思いに襲われ・・・自分でもバカナッ!とその思いを振りほどき、居間に置かれた黒い酸素ボンベの栓を猫の為に開閉する毎日が続いております。

 あいも変わらず薬投与で毎回引っかかれ「恩知らず!」とののしられながらも発作を起こすたびに息子が徹夜で看病して酸素室に緊急隔離・・・翌日フラフラになりながら息子は会社に出社・・・やれやれ猫騒動はまだまだ続く・・・恐るべし猫の生命力!

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コメント

これって、「延命治療」ではないですか?義叔母(人間)は、13日の迎え火をした翌朝倒れ、病院に搬送されて、昼過ぎには亡くなってしまいました。脳梗塞でした。享年94歳、大往生でした。
どこかの村では、「ピンピンコロリ」運動(長生きしてピンピン元気で最後は1週間入院してコロリと逝く)を推進しているそうです。
私も義叔母さんのような亡くなり方がいいナ!と思います。
キコリさん宅の猫ちゃんみたいに周りの人に手を煩わせたくないと思っています。
猫ちゃんは、どう思っているのだろう!?

doramiさんこんにちは。私もねきっと余りもたないかな?と思っていたんですよね。ところがですね。猫の生命力ってすごいですよね。今は全然、普段と全く同じ・・相変わらず寝ては起き、おきては食べて・・全く病気前と変わりなし。酸素室も今はお役ゴメン。多分、うちの猫はなにも思っていないと思います。私も自分の事ならピンピンコロリがいいな。

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