ネット無き社会
最近、柳田邦男さんの著書「壊れる日本人 ーケータイ・ネット依存症への告別ー」を読みました。最近、頻繁に発生する若年層による凄惨な事件の背景等を鋭く掘り下げた著書だと思います。
それにしても私も近年、つくづく思うのですが世の中、ネットやケータイの発達によってもの凄く便利になりましたがその反面、無くしてしまったものも大きいんじゃないかと思います。
勿論、私も含めて現在の社会環境でのこれらのツールの利便性なしには仕事もしづらいし連絡も取りにくいのは間違いないし、私もそれを否定するつもりはありません。
そうは思っていてもそれでも尚、その利便性の反面、失っていくものの大きさにも気付いていかないと、とんでもない事になるような気がします。
かくいうこのブログだってその最たるものです。しかし、このブログも使い方を間違ってしまうと一方的な意見を世の中にばらまいてしまう危険を充分含んでいて受け取る側も発信する側もそのへんを充分理解していないと危険だなとも思います。
柳田さんは「あいまいさ」を日本人の美徳として描いておられますが私もこの「あいまいさ」という表現を自分なりに解釈すると世の中の物事には必ず裏と表がありそのバランスが大切だと常々思っています。ネットも表のツールとしての便利さは重々承知していますがその反面、人間的な感性を奪うものにもなりかねないと思っています。
具体的に言うとネットの最大の利便性は情報の伝達速度と距離感を圧倒的に短縮出来る事で、最大の危険性は人間が普通にしゃべる話し方の強弱や顔の表情、匂い、ニュアンス、空気感と言った動物として人間が持っている能力を削いでしまう事だと思います。私はそれを人間がもつ五感(聴覚、視覚、嗅覚、触覚、味覚)を無くしてしまう事に繋がらなきゃ良いなと危惧しています。
私も、東京でサラリーマンをしている時に少し心身にダメージを受けて辛い思いをした時期があったので心を病むことがどんなに辛いかは少しだけ分かっているつもりです。
仮想社会と現実社会との境界線が曖昧になってくると心の中と身体の中のバランスを崩してしまい、とても辛い思いをする事になります。その時に大事なのは生身の人間としての繋がりです。そ
れは声掛けだったり抱きしめたり手をつなぐ事だったり様々ですが、いずれも生身の人間としての繋がりです。
柳田さんはノーゲームデー、ノーテレビデー、ノーインターネットデー等の実践を進めていますが確かに携帯を持たない日、あるいは敢えて電源を切ると自分がどんな反応をするか試してみるのも良いかも知れません。
ネットや携帯は便利なツールですが使い方によっては自分を壊してしまいます。全ての道具は使い方次第!当たり前の事の様ですが注意しないと健康を害しますよね。
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