« 2016年6月 | メイン | 2016年8月 »

2016年7月

2016/07/30

森の中の侵入者

 森の中に住んでいると家の中に色々な侵入者が入ってきます。侵入者といっても世の中を騒がす凶悪犯ではなく、ごく普通に森の中に住んでいる生き物たちです。

 先ず、この時期に増えてくるのが「カマドウマ」これは一年の中で2回ほど侵入のピークを迎えます。時期によって大きさや種類も違うようで詳しくは分からないのですが秋口には大量の奴らが侵入してきます。

 今年、我が家に多いのがクモです。何だか黒くて大きくてやたら足の速い奴が走り廻っています。

 それから雨が降る時期には蟻さんが大量に入ってくることがあります。一体、どっから入ってくるのか分かりませんが連中は殺虫剤をサッとかけると本当に一瞬でチリジリになってどっかへ消えてしまいます。

 そしてこれから増えてくるのがハチです。さすがに連中が部屋の中に入って来られるのは困りますが、連中は家の屋根付近で小さな隙間を見つけて何とか入り込もうとするので困ったもんです。

 八ヶ岳の不思議現象としてヤスデの大量出現があります。もともとヤスデは岩の裏側何かに潜んでいるのですが、八ヶ岳は噴火した時の岩が大量に土の中に入っていて連中の生息環境としては最適なようです。そして連中は7年に一度大量発生するのです。最近は余りそういう事も少なくなりましたが昔はあまりの大量出現で道路が連中でビッシリと埋まったり鉄道のレールの上を渡ろうとして列車が滑って走れなくなったりという事があったようです。

 そして小さな小動物も侵入してくる事があります。それは小さな野ネズミだったりするのですが我が家には連中の天敵である猫が見張っているので入って来た瞬間に我が家の猫達の格好の餌食になってしまい。翌朝、それを見つけた我が家の主婦の絶叫が室内に響き渡る事になります(笑)

 室内ではないのですが我が家の敷地内には森の住人である鹿達やキツネ、空からはカラス達が普通に敷地内に進入してきます。以前、我が家のコーンポスト(生ごみを発酵させる容器)が何故か毎朝、蓋が開けられて中の生ごみが外に散乱していました。

 「アレッ蓋を閉め忘れたかな?」と思いキッチリと蓋を閉めても翌朝、キッチリと又、同じ現象が起きていました。「一体誰が開けているんだろ?」と思い、こっそり離れたところから観察してみると・・・驚いた事に犯人はカラスでした。カラスがコーンポストの蓋の取っ手の上に乗って器用に体をひねったり嘴を突っ込んだりしてちゃっかり蓋を開けていました。

 更に驚くことに犯人はカラスだけではなくて昔、我が家で飼っていた黒ラブラドール君も器用に前足を蓋に掛けて両手でひねって上手に開けているではないですか!それからは蓋にネットをかけてブロックの重しを3個乗せたところさすがに誰も開けられなくなりました。

 その代りに家内が大事にしていた花が翌朝全滅していました。森の中にすんでいると色々な生き物が家の中に入ってきますが余り神経質にならずに付き合っていこうと思います。

2016/07/16

言葉の力

 最近、「言葉の力」というものを感じる様になってきました。言葉=言魂と良く言われますが、今までは余りそういうことを信じる方ではなくむしろ否定的な気持ちを持っていました。

 言葉なんて情報を伝えたりする単なる通信手段にしか過ぎないとさえ思っていました。しかし、最近ちょっと考えが変わってきました。

 例えば、何らかの被害を受けて困っている人に対して「大丈夫だよ」と伝えるか「頑張って」というか「そんな事で落ちこんでどうする!」と激励するか、随分言われた相手にとっては気持ちが違ってくるのではないでしょうか?

 言葉の選び方、使い方で相手に与える印象が随分変わってきます。相手を気遣う気持ちは同じなのに使う言葉によってその思いが別の伝わり方をしてしまいます。それ程、言葉の力は大きいのです。

 なので、最近、言葉の使い方に迷う事が多くなってきました。自分の思いを正しく相手に伝えるにはどういう言葉を使いどういう強さやイントネーションで言葉を発するのか、それによって自分の思いを正しく伝えたいと思うようになりました。

 言い難い話をする時はどうしても声が小さくなります。自分が得意な話や自慢したい話をする時は大きな声になりがちです。言葉は多く使えば正しく伝わるというものでも無く、少なすぎても言葉足らずになります。

 相手に伝えたい事は先ず端的に短い言葉で要点だけを先に伝え後から内容を細くするようにすると相手も理解しやすいと思います。

 そういう意味で最近、ラジオやTVの報道を聞いていると気になる事があります。それは良く教科書で習うように「誰が・何時・何処で・何をした」という伝え方が一番報道では基本だと思うのですが最近の傾向は「何時・何処で・何をした・誰が」こういう事をしました。という伝え方が多くなっているのです。

 例えば「先日、カンボジアで先進国首脳会議に出席した阿部首相は参議院選挙についてこう語りました」と報道します。私なら「阿部首相は参議院選挙について先日、カンボジアにて行われた先進国首脳会議の後、こう語りました」と伝えると思います。「何だ余り変わりないじゃん」と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが私にはとても違って聞こえるのです。

 先ず結論や話の核心を先に伝え相手に興味をそそらせその後で内容を細くする。この方法が私には理解しやすいのです。言葉の力・・・あなたは信じますか?

2016/07/02

選挙にまつわる話

 今年は選挙にまつわる出来事が多いような気がします。先日、実施されたイギリスの国民選挙でのEU(欧州連合)からの離脱や日本でも選挙権年齢を18歳以上に引き下げる等、大きく選挙にまつわる変化が起こっているように感じます。

 これだけ世の中の仕組みが複雑になり色んな情報が溢れる世の中になってくると中々、本当の事が逆に見えなくなってくるように思います。

 選挙は民主主義における基本的な仕組みとして最も大切な事ですが賛成と反対が拮抗してくると中々どっちが正しいとは言えなくなってきますね。

 昔、まだ文明が今みたいに発達していなくて人々が自然と共に過ごしていた時期は一緒に行動する人々の群れの中に「シャーマン」や「長」と呼ばれる様な有力者がいて人々は困った事があるとその有力者の元に相談に行き、お伺いをたて自分達が行くべき道を決めて貰っていました。

 しかし、通信手段が発達した現代では誰でも自分の意見を世界中の人々に発信する道具を持ち自分達自身が「シャーマン」や「長」となりうる道具を手に入れました。その結果が情報の氾濫を呼び逆に真実が見えにくくなってしまった様な気がします。

 選挙という手段は自分達の意見を間接的に反映する代表を選ぶという側面を持っていると思いますが選出した議員が自分達の思いを100%反映してくれるとは限りません。それは全権委任した訳ではないのである意味仕方ない事だとは思います。

 しかし、だからと言って自分達の意見を言わない(選挙に行かない)のは民主主義を否定する事になる様な気がします。

 新しく投票権を得た若い人達がこれからの日本を背負って行かなくてはならないしちょっと年取ってしまった(笑)自分達はその若い世代の人達に負の遺産を残さないようにする義務があります。

 私は都会から離れた森の中に住んでいて自然の大切さを実感しています。経済発展も大切でしょうが自然と共に暮らす事もこれからの若者にとってみても大切な事だと思っています。

 経済発展だけに気を取られているとその裏で大切な何かを失っていく事を見失いがちです。精神的な豊かさが無ければ人々が穏やかに生きていく事は難しいとつくづく最近思います。

 大切な選挙権を良く考えて有効に使う事で自分達の未来を決める事が出来ます。「イエス」でも「ノー」でも自分達の意見を述べる事が最も大事です。

 その際、少しだけ森の木々の事も頭の隅に置いて貰えると(笑)嬉しいです。

アシストのHPへ
八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

プロフィール

フォトアルバム

kikori

フォトアルバム