「甲府でもやるじゃん」原発反対デモ参加顛末記
毎週金曜日の夜、官邸を取り巻く市民による原発反対運動ですが昨日、山梨でも「甲府でもやるじゃん」という原発反対運動が始まり参加してきました。
私は正直、このような反対デモに参加した事がありませんでした。特に参加そのものに否定的だった訳ではなく都合がつかなかったり体調が悪かったりしただけの事ですが今回は思い切って都合をつけて参加する事にしました。
地元の駅前駐車場に車を置いて電車で甲府駅に行き外に出ると既に多くの人達が駅前に集まっていました。見廻すと知り合いの方達も何人か参加しておられて挨拶をしている内に何となくスタッフに引きずり込まれてしまい(笑)いつの間にかデモ行進の最後尾の誘導員になってしまい、幟を2本と誘導棒を持って最後尾から「原発はんた~い!」と声を上げながらついて行きました。
地元の大学生から「卒業論文で原発反対運動を取り上げているんですが、ちょっとお話を聞かせて貰えますか?」とアンケートの様なものに協力したり、新聞社の方に「あなたの事知ってます」と言われて何で知ってんの?と思ったりしながら歩いて行きました。
我々の世代は学生運動がちょうど収束を迎えた頃で大学に行くとちょっとだけその名残があったりした程度で実際に学生運動に参加して活動した事は私は無いので実際の当時の雰囲気は報道でしか知りませんが今回の原発反対運動のデモに関してはとても平和的で市民的な行動だと感じました。
途中、私に「あの~自転車を押しながらでも参加しても良いですか?」とOLさんと思われる2人連れが話かけて来ました。「どうぞどうぞお入り下さい」と私の前に入ったのですが、どうやら新聞社の方達の目に止まったらしく数社の新聞社の方にインタビューされてちょっと気の毒でした。
子供連れで参加しているお母さん達は「ちゅかれた~」という子供達にお菓子を与えたり脱水にならない様に水分を補給させたりしていて、それを見ていると本当に参加されている母親達は子供達の未来を案じていると強く感じました。
途中、東京電力の甲府支店の前でシュプレヒコールを上げて数人の方が個人的にメッセージを読み上げましたがその中の一人のお母さんのメッセージが心に響きました。「私の主人は東北電力の社員です。震災後も現地に留まり必死で仕事に取り組んでいます。私は主人と別れて暮らしています。電力会社の人には本当に今迄、有難うと言いたいです。でも原発はもう厭です。」というような事を仰っておられました。どうやら子供さんの為に離れて暮らしておられるようでした。
この毎週金曜日に各地で行われている原発反対運動については賛否両論、色々な意見があると思います。私自身も今迄色々な事情があったにせよ参加してこなかったのには何か心の中に迷いがあったのではないかと思います。
今回は私は自分の為に参加しました。何か自分の中で行動や形で意見を表明しないと後悔する気がしたからです。元々、原発には反対でした。原子力そのものにも人間が越えてはいけない領域を感じていたからです。
しかし、何も行動せずに今迄、暮らしてきたと言う事は賛成していたと言われても仕方ない事です。確かに、もしかしたら人間の知恵は自分が思っている以上に素晴らしくて原子力の平和利用も本当は可能なのかも知れないと心の隅には思っていたかも知れません。
でも昨年の3月11日以降、やはり自分の考えは間違っていたと思い知らされました。間違っていたと知ってしまった以上、やはり自分で出来る事をする責任があると痛感しました。もともとノンビリした性格なので余りこういう活動は得意ではないのですがやはり行動しなければならないと思いました。
この活動に批判的な方やメデアの論調は「扇動されている」とか「売名行為」だとか「どうせ変わらない」「電力がなくては暮らしていけないのが分っていない」といったものが多い様な気がします。私はそれを否定するつもりはありません。でももし、現状を変えたいのなら今、何も声を上げなければ間違いなく原発再稼働は止まらないし、ましてや原発の廃炉や自然エネルギーへの転換は進まないでしょう。
今迄は「政府が何とかしてくれる」「どうせ何も変わらない」「誰かが何とかしてくれる」と思っていた人は多いと思います。でも昨年の3月11日以降、日本は変わり始めました。「このままじゃいけない」「政府は我々の代弁者じゃなかった」「最先端技術が想定出来ない事故が起こる事が実際にあって誰もそれを止められない」そんな思いの人達がこのデモに参加しているのだと思います。もしくは、たとえ参加する人達の思いはそれぞれ違っても目標は一つ、原子力発電所の廃止です。私は今後も自分で出来る行動をしていくつもりです。
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