森の木々達は今・・
2日程、静岡の清水と天竜の山の中に入って来ました。今回は仕事の関係で必要な木を見にいったのですが、今、木材業界も深刻な不況の影響を受け関係者は対応に苦慮しているのがあちこちで聞こえてきて皆、悲鳴を上げています。
昔からの老舗の製材屋さんが店を閉じざるえなかったり在庫の処分の為に展示場を閉鎖、縮小したりして何とかやりくりするのに必死です。清水の山の中はすっかり様相が一変しており山の中には巨大なモニュメントのような第2東名高速道路の橋脚が立ち並びループ橋となるエリアには処狭しとその巨大な柱が林立して上空を通る高速道路とその下になるお茶畑や森や山間の村との景観のギャップに異様な雰囲気が漂っていました。
これも現実なのですが何となく、こんな事して本当に良いのかな?何時かとんでもないしっぺ返しを受けるんじゃないかと恐ろしくなってしまいました。ほんの10年程前に夜間、この地域を通りぬけた時には真っ暗な山間にまだ造りかけの橋脚が数箇所そびえたっているだけで、それだけでも異様な景色でしたがそれがここ数年で凄い事になっていました。
そんな中、天竜の山はひっそりとまだその姿を留めており、さすがに歴史ある銘木の山はまだまだすたれないという威厳を感じました。
うろ覚えですが木の研究の中に年輪考古学?という名前だったと思いますが、そういうジャンルの研究をされている研究者がいます。世界中の森の木はその年輪にその時代の経済状況や気候変動を刻んでいます。それは広いエリアを統計的に分析すると皆同じような傾向を示すそうです。
昔は私等も木の年輪を見ると東西南北が分ると教えられ年輪が広いほうが成長が早いから南側だと覚えましたが実はそんな事はなく、いわゆる昔の常識のウソというやつで実際は周辺の木々の密集状態や風の方向等の様々な条件によって年輪は変わるようです。
ついでにもう一ついうとよく年輪を数えるとその木の樹齢が分るといいますがこれも必ずも絶対ということではなく例えば木の年輪といっても根元と枝先では年輪の数が違います。だからどこの位置の年輪を数えるかでその数は変わってきます。これも知っているようで意外と知らないですよね。
さて、話はそれましたがその年輪考古学、広域の樹木の年輪傾向を統計的に調べてみると例えば世界経済の変動にその年輪の変動を重なるとピッタリ重なるから不思議です。当然、大規模な気候変動にも左右されて例えば大きな火山活動が起こったりすると太陽光を充分に浴びられなくて光合成が進まず年輪が詰まってきます。これが大規模で同じ傾向を示すという訳です。
気候変動で年輪が左右されるのは分りますが経済状況によっても変動し木々がその体内にその記憶を記録しているというのは凄い事ですね。私が想像するのに、きっと今の日本でも戦後の住宅難から材料となる木の大規模伐採が行われ日本中の山の木が切られ経済が活性化した時には大規模伐採により樹間が充分開くので成長が促進され年輪の間隔が開き、その後、大量の杉や桧を植えたものの新建材にその座を奪われて流通の道を絶たれた為に今度は日本中の山の木が切られずに間伐も進まず、その為に充分な太陽光が森の中に射さないので年輪は育たず間隔が狭くなっているのではないかと思っています。
これは全く勝手な解釈なので合っているかはどうかはわかりませんけどね。でもそれはともかく、木々は人間の経済状況まで見届けて体内にその記録を留めているというのは凄い事です。
それも1000年以上もの記憶が留められている訳ですから最近のデータベースのように数年でテープからカセット、CD、MD、メモリーステックのように短いスパンで駄目になったりするのとは全くその寿命が違います。
木は本当に偉大なのですね。さて、昨今の人間達の大騒ぎする様子を森の木々達はどう見つめて未来にどう記憶して伝えていくのでしょうか?余り恥ずかしい事は出来ないですよ。1000年先まで報告されてしまいますからね。21世紀初頭の人類は・・・なんて事にならぬようにしないとね。
長年生き抜いてきた木にとって、
今は人間による一瞬の騒ぎにしか過ぎないのではないでしょうか?石油の枯渇が見えてきた現在、様々な理由を口実に化石燃料の争奪戦(テロとの戦いなど)が繰り広げられていますが、これらの資源は再生しません!枯渇と同時に食料、工業製品など殆どのものを作ることが出来なくなります。そうなればまた木にとって静かな時代がやってきます。
そこにたどり着くまで企業、国の破滅は避けて通れないのだろうと思ってます。
まあ、事実を1000年先に報告してもらいましょう
投稿: 泉原原人 | 2009/04/27 07:50
わたしたちの以前の住居の近くにある高尾山もいま圏央道のためのトンネル工事が行われています。梅林をリュック背負っててくてく歩いていると突然現れたその巨大工事現場に唖然としたものです。
同じく、こんなことして本当にいいの?後で取り返しのつかないことになるんじゃないの?と思ったことをまざまざと思い出しました。
投稿: 風路 | 2009/04/27 12:22
泉原原人さん、こんにちは。
その通りですね。石油資源は長年かかって出来た資源で再生できず消費されるのみです。いずれ枯渇するでしょう。その歴史もしっかり記憶していくのでしょうね。木々達は・・・
風路さん、こんにちは。
やはり同じ事を皆、感じているのですね。便利さと引き換えにとんでもない大事なものを失っていくような気がします。
投稿: kikori | 2009/04/27 13:23