「愚子見記(グシケンキ)」って知ってますか?
今日は少し真面目に建築についてお話しようかと思います。日本の近代建築の始まりは明治維新後の学問としての分野として確立した帝国大学の建築学科から始まります。
当時は海外建築が優れた建築として紹介され主にイギリスを始めとするヨーロッパの建築がその手本とされました。当然、日本にも世界に誇れる木造建築技術がありましたが当時の木造技術の伝統は「口伝」を原則として門外不出の伝統技術とされ、中々一般に広まる事はありませんでした。それどころか例えばお城を建築するとその秘密を守る為に職人を殺したなんて話も良く聞きます。
その口伝で伝えられる技術は昔で言う「宮大工」の間で固く守られてきました。しかし実はその口伝を文章として残したものがありました。それが「愚子見記(グシケンキ)」です。
この本は日本最古の建築技術書と言われ作者は平政隆(タイラマサタカ)という江戸時代前期の大工とされています。彼は江戸城西丸御殿や本丸御殿の造営に関わった大工で自分で口伝で教えられてきた様々な大工技術を9冊の技術書として残しました。
「愚子見記(グシケンキ)」の名前のいわれは「自分が今まで見聞きしたものを忘れない様に自分の為に書いたもの」とされています。口伝の伝統である門外不出を破るものではなくあくまで自分の為のメモとして残すのだから良いだろうという事でしょうね。
「愚子見記」全9冊は法隆寺に代々、門外不出の書として保管され近年では日本最後の宮大工と言われるる西岡常一棟梁が受け継いでいました。
西岡棟梁はその後、法隆寺金堂の再建を託されましたがその構造補強に学者達が鉄筋補強を強硬に押し付けた事に反発しこの「愚子見記」を法隆寺に返納し法隆寺の棟梁を辞めてしまいました。
こうして様々な変遷をへた日本最古の建築技術書「愚子見記」は今も大切に法隆寺で保管されていますが、その他にも写本として何冊かの写しが各地の図書館等に保管されています。
そしてこの中には日本人がその自然をいかにうまく取り入れて世界最古の木造建築物といわれる法隆寺等の貴重な木造建築を残してきたかが詳細に記されています。
余談ですがその愚子見記の中に私達が実践している新月伐採に関する記述も残っています。その記述のひとつが「竹ハ八月ノ闇ニ伐リテ吉シ」と記されています。竹はもともと水分の多い植物なので伐採時期を間違うとすぐ腐ってしまいました。当時は農業の収穫物を竹籠に入れて保管していたので、その竹が腐ってしまうと困ったのでしょうね。ちなみに八月というと真夏の様に思いますがこの八月は旧暦なので今でいうと9月の秋ごろになります。そして「闇ニ伐リテ吉シ」とは「新月の時期に伐れ」と言う意味だと解釈しています。
「愚子見記」の中には日本人が大切にしてきた木造技術が記されており現代建築が未だに対応出来ていない大地震でもビクともしなかった法隆寺や五重塔の技術の源がこの「愚子見記」に残されているといっても良いかと思います。
現代の最先端技術で造られた「スカイツリー」にもこの五重塔の技術が用いられており、どうして昔の大工がこの様な大地震にも耐えられる木造技術を持っていたのかが研究されています。
日本人は昔から木と深く関わりその性質をうまく生活に取り入れる術を持ち得ていたのです。今はどうでしょう?コロナ禍に自粛生活を送らなければならない時間、こんな事をフト考えておりました。
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