手紙とメール、ネットと感性
最近、手紙というものを書かなくなりました。と言うか正確に言うと「手書き」の手紙というのを書かなくなりました。
仕事柄、ビジネスの手紙はしょっちゅう出すのですが「手書き」で書くことはまず無くなりました。いつもパソコンで書いた手紙をプリントアウトして封筒に入れて郵送するか、あるいは郵送に替えてメールを送信するといった方法で用事を済ますことが多くなりました。
その結果、何が悪いといっても最悪なのは漢字が書けなくなりました。昔、子供の頃は漢字を覚えるのに「漢字はとにかく沢山、紙に書いて覚えるもんだ」と言われて何度も何度も紙に書いて覚えさせられたものでした。
ところが便利なパソコンというものが出来て勝手に打ち込んだ文字を漢字に変換してくれるもんだからいざ、手書きで手紙を書こうとするとすっかり漢字を忘れてしまっていて愕然としてしまいます(笑)
あんなに日常的に使っていた漢字が手先から抜け出てしまって「アレッ?」てな感じで簡単な漢字が出てこなくて困ってしまいます。あんなに苦労して覚えた漢字なのにちょっと使わないととアッと言う間に忘れてしまうのですね。驚いてしまいます。
人間の能力というものは本当に素晴らしくて無限大の可能性を持っている反面、その能力を別のものに置き換えて使わなくしてしまうとどんどんその能力を失っていく様です。
昔、このまま人類がコンピューターに頼った生活を続けていくと手足が衰えて頭デッカチな宇宙人みたいな姿に変わってしまうと言われてそんな姿が随分描かれましたが本当にそんな姿になってしまうかもしれないですね。
最近のインターネットを利用した検索サイトやネット通販なんかも本当に便利になりましたね。しかし、それらのもたらす膨大な量の情報はあまりに多くの情報を世の中に溢れさせてしまい肝心の情報を精査して自分の感性によってその情報を取捨選択して自分にとって何が大切で何が要らないのかといった判断を奪ってしまった様な気がします。
私も現代に生きている以上、ある程度のネット環境には順応する必要があるし便利なものは利用しようと思います。しかし、その反面、この情報にはアクセスしないでおこうと思うことも増えてきました。あまりにも色々な情報が日々、寄せられてきてメールの量も数日ほっておくと大変な数になり、とても全部に目を通す余裕がなくなります。
又、その大半は自分にとって不要な売り込みや「お金貸します」(笑)みたいな情報が溢れていて、とても見る気になりません。
自分がモノ造りの仕事に関わっており事もあり、あまりにも表面的な情報ばかりが流れてちょっとした些細なモノでも「これを造るのにどれだけの手間がかかっているんだろう?」と思ってしまいます。
どうもその表面的な事象にばかり目がいってその裏にある人々の手間や苦労が分かり辛くなっているような気がします。又、世の中の価値観も手間暇かかるモノ造りの手間や価値をなかなか認めない様に変わってきてしまった気もします。
元々、日本人は手先が器用で細かな作業を根気よくこなすのが得意な人種でした。この本当の意味でのモノ造りにおける価値感を忘れずに正当に評価していける世の中を続けていかなくてはと梅雨空を見上げながら物思いにふけったりしております。(笑)
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