Noと言うからには・・・
最近、TVのニュースを見ているとやたら政治家や企業・行政・教育関連の不祥事が報道される事が多いですよね。でもそういうのを見ていて思うのは人を批判するのは簡単だけど大事なのはその先じゃないかなといつも思う。
私は自分が大した人間じゃないので社内でもいつもスタッフには「そんなに立派な人間なんていやしない。皆なそんなに変わらない」が口癖になっています。
鳴り物入りで誕生した民主党政権も野党として与党を批判する立場から与党として現実を見なくてはいけない立場になると途端に勢いが無くなって来ましたよね。米軍基地問題だって反対と言っているうちは良いけど、じゃ具体的に「どうするの?」となると途端に話がおかしくなってきた。
でも国民は今の政権を選択したのだから何故、彼等は与党になったのかをしっかり考えて欲しいと思います。「あのときは批判すれば良かったから言ったけど、現実は簡単では無かったです」では何の為に選挙をして国民の選択を仰いだのか分かりませんよね。
野党も人の揚げ足ばかり取らないで政治論争をして欲しいですよね。人の揚げ足を取り上げて批判するのも良いけど国民はそんなに馬鹿じゃないですよ。
私はいつも不思議に思うんだけど予算審議になると何でスキャンダル探しが始まるのでしょうね?予算の執行を審議する場なのに全く関係ない事で揉めて審議拒否・・・そりゃないよ。
政治家は自分の所属する政党の為に働いているのか国民の為に働いているのかと聴きたくなりますよね。小さな政府、お金が掛からない政治を目指すと言うから今の与党を支持した人もいると思うのによく聞いてみると「沢山給料頂いている様に見えるけど実際は事務経費を差し引くと殆ど残らないですよ」なんて開き直っている人もいるし、私なんか「うん?だからお金の掛からない政治活動を目指すんじゃないの?」と良く分からなくなってしまいます。
「失言」ていう言葉もよく聞くけど私は「失言」という言葉の意味が良く分らないのです。その場では言ってはいけない内容の発言をうっかり言ってしまった現象を「失言」というのかと思いきや最近は、自分の思っていない事を間違えて伝えた事を「失言」と言うらしい。
だから政治家の方は「自分の意思が誤って伝わり多くの方に多大な迷惑をおかけした事をお詫びします」ていつも言うけど、でもどう考えても自分が本当は思っている事を隠して普段はさしさわりのない事を偽って言っていたのについ本音を言ってしまったんだろなと思えるんだけどな。
大人なんだから思っててもここでいっちゃマズイでしょ・・・と言うことじゃないのかな?私なんかしょっちゅうあるけどな。だから私なんか「出来るだけ余計な事は言わないでおこう」なんて固く決意する事が多いのですけどね。
そう、皆んな大した事無いんですよ。人は誰しも間違う事だってあるんです。でも問題はその先だと思うんです。間違った人を片っ端から批判して辞任させて頭をすげ替えてそれで良くなるのかな?そりゃ勿論、程度問題だけど私は批判からは何も生まれないと思います。大事なのは批判するならその代案を示すべきだと思います。
NoというからにはNoと言う責任が必ずあると思うのです。事業仕分けだって圧倒的に仕分け人の方が優位な立場で議論するわけだからNoと批判するのは簡単です。でも、結局Noと言った言がNoにならないで続くのなら何の為のNoだか分かりませんよね。
昨年の事業仕分けである人が「何故一番でなければならないんですか?2番ではダメなんですか?」と言っていたけど私は分野によっては1番と2番では全く違うのではないかと思います。スポーツの世界でも世界一と世界第二位では全く違います。科学の分野なんかでも全く違うのでは無いかと思います。問題はそうではなくて今はお金が無いのだから2番でも我慢するか、お金を掛けないで一番になる方法を考えるかではないのでしょうかね?
事業仕分け自体は国民に普段見えない事を可視化するという大事な改革だと思いますが批判で終わらすのではなく法的な根拠をもたすなり再審議も認める道を残すのも必要なんでは無いかと思います。あっ!気がつけば又、自分もNoと言ってるか・・・大したこと無いくせにね・・・
コメント