昔馴染みの散髪屋
もう20年も通っている散髪屋さんがあります。山梨に移住して来た時に病院と共に困ったのが何処の散髪屋が良いかと言う事でした。私の頭は子供の時からのクセッ毛であっちこっち飛び跳ねて始末に困る頭でした。それでいつも馴染みの散髪屋さんに行っていたのですが山梨では全く知らないので評判を聞いてあちこち行ったのですが中々自分に合うところが有りませんでした。
仕方なくその頃は子供も小さかったので暫くは子供の頭を切るのと一緒に女房に切って貰っていました。そんなある日、女房が会社で「隣駅の駅前にあるTさんが良いらしいよ」と聞き込んで来て早速行ってみました。
初めて行って店のドアを開けると店の親父さんと思しき人と若い店員さんらしい人がこっちを見て驚いた表情で固まっていました。後で分った事ですがこの店は完全予約制で飛び込みでは出来ないやり方をしていました。それでも女房の会社から聞いてきた事等を離すと気持ちよく「いいですよ、じゃあ少し待ってて下さい」と気軽に受け入れてくれました。
待合のソファーに座ってその店の仕事ぶりを見ていると、どうやらその店は両親と息子の3人で切り盛りしている散髪屋さんだと言う事が分ってきました。元気のよい肝っ玉母さんと寡黙な職人肌の親父さん、そして若い人担当の息子さん。そんな3人の連携が取れていてすごくチームプレーが素晴らしい家族経営の店でした。
親父さんは昔からの馴染み客を相手に特にべらべら喋るでもなく物静かに仕事をこなし、そんな親父さんを肝っ玉母さんが口八丁手八丁でフォローして息子さんはそんな両親に反発しながらも新しいカットやパーマ、毛染め等の技術を身に付けて高校生や若い地元の青年達に慕われているといった感じでした。
私はその店がすっかり気に入ってしまい、それから月に1回程のペースで通うようになりました。女房に言わすと「あのさ~その頭のどこを切る訳?(笑)」といつも文句を言われるのですが、確かに本当は丸刈りにしたいのですが一応、会社を経営しているのと黙っていると人相が悪い(笑)ので大事なお客様が来なくなってしまうといけないので我慢して、それでもいつも短く切って貰っています。
私の担当はどうやら息子さんに決まったようでカットは息子さんがするのですが3人でお客さんをクルクルと交代しながら担当するので忙しいと顔を剃るのは親父さんだったりお母さんだったりしました。寡黙な親父さんはあんまり話しかけてもいけないので私も黙っていましたが腕はピカイチでした。お母さんは元気一杯でいつもニコニコ色んな近所の噂話を面白可笑しく話して聞かせてくれました。
そんな家族経営の散髪屋さんにある日とんでもない事が起こりました。交通事故に巻き込まれて親父さんとお母さんが大怪我をしたのです。一命は取り留めたのですがその事故が元で結局、親父さんはその後間もなく亡くなり。お母さんも不自由な体になってしまいお店に出られなくなりました。
息子さんは落胆し、どうやってこの店を切り盛りしていこうかと思い詰め、一時期元気を無くしていましたが、何とかその状態を乗り越えて今でも元気で1人で店を立派に切り盛りしています。お母さんは杖をついて店のタオルを畳んだりするまで回復し時々店のソファーに座っています。
息子さんは地元の消防団の役員も兼ねていて時々火事で出動がかかると散髪の途中でも出動して行きます。一度「そんな時、お客さん怒らないの?」て聞いたら「この辺じゃそれが当たり前だからお客さんも理解してくれます」と言ってました。そんな大変な役員も漸く今年で任期を終えます。
店には今でも散髪台の椅子が3つ並んでいます。でも、そんな3台の椅子で使われているのは一番、入り口に近い1台だけです。それでも私は時々、開いている残りの2台の椅子を見ると親父さんに顔を剃って貰った感触を思い出したりします。
隣駅前の小さな散髪屋さん、今では無理せず1人で出来るだけのお客様をこなしている小さな店ですが私にとっては大事な馴染みの店です。
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