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2015年6月

2015/06/30

手紙とメール、ネットと感性

 最近、手紙というものを書かなくなりました。と言うか正確に言うと「手書き」の手紙というのを書かなくなりました。

 仕事柄、ビジネスの手紙はしょっちゅう出すのですが「手書き」で書くことはまず無くなりました。いつもパソコンで書いた手紙をプリントアウトして封筒に入れて郵送するか、あるいは郵送に替えてメールを送信するといった方法で用事を済ますことが多くなりました。

 その結果、何が悪いといっても最悪なのは漢字が書けなくなりました。昔、子供の頃は漢字を覚えるのに「漢字はとにかく沢山、紙に書いて覚えるもんだ」と言われて何度も何度も紙に書いて覚えさせられたものでした。

 ところが便利なパソコンというものが出来て勝手に打ち込んだ文字を漢字に変換してくれるもんだからいざ、手書きで手紙を書こうとするとすっかり漢字を忘れてしまっていて愕然としてしまいます(笑)

 あんなに日常的に使っていた漢字が手先から抜け出てしまって「アレッ?」てな感じで簡単な漢字が出てこなくて困ってしまいます。あんなに苦労して覚えた漢字なのにちょっと使わないととアッと言う間に忘れてしまうのですね。驚いてしまいます。

 人間の能力というものは本当に素晴らしくて無限大の可能性を持っている反面、その能力を別のものに置き換えて使わなくしてしまうとどんどんその能力を失っていく様です。

 昔、このまま人類がコンピューターに頼った生活を続けていくと手足が衰えて頭デッカチな宇宙人みたいな姿に変わってしまうと言われてそんな姿が随分描かれましたが本当にそんな姿になってしまうかもしれないですね。

 最近のインターネットを利用した検索サイトやネット通販なんかも本当に便利になりましたね。しかし、それらのもたらす膨大な量の情報はあまりに多くの情報を世の中に溢れさせてしまい肝心の情報を精査して自分の感性によってその情報を取捨選択して自分にとって何が大切で何が要らないのかといった判断を奪ってしまった様な気がします。

 私も現代に生きている以上、ある程度のネット環境には順応する必要があるし便利なものは利用しようと思います。しかし、その反面、この情報にはアクセスしないでおこうと思うことも増えてきました。あまりにも色々な情報が日々、寄せられてきてメールの量も数日ほっておくと大変な数になり、とても全部に目を通す余裕がなくなります。

 又、その大半は自分にとって不要な売り込みや「お金貸します」(笑)みたいな情報が溢れていて、とても見る気になりません。

 自分がモノ造りの仕事に関わっており事もあり、あまりにも表面的な情報ばかりが流れてちょっとした些細なモノでも「これを造るのにどれだけの手間がかかっているんだろう?」と思ってしまいます。

 どうもその表面的な事象にばかり目がいってその裏にある人々の手間や苦労が分かり辛くなっているような気がします。又、世の中の価値観も手間暇かかるモノ造りの手間や価値をなかなか認めない様に変わってきてしまった気もします。

 元々、日本人は手先が器用で細かな作業を根気よくこなすのが得意な人種でした。この本当の意味でのモノ造りにおける価値感を忘れずに正当に評価していける世の中を続けていかなくてはと梅雨空を見上げながら物思いにふけったりしております。(笑)

2015/06/14

変わっていいもの、変わってはいけないもの

 最近、日本列島は大規模地震が発生したり火山の噴火があったりとどうやら地殻変動の活動期を迎えているらしい。

 一方、国会も安保法制で大もめにもめたり大阪都市構想が住民投票で否決されたりと、政治の世界も変動の時を迎えているらしい。

 何時の時も人は慣れ親しんだ暮らしや生活に変化が起こる時はストレスが掛りリスクも大きいです。

 私も昨年の秋から身の周りに大きな変動がありました。先月も義理の父を見送る事になりそれはそれで大きな変化でした。

 出来れば平穏な、いつもの生活がず~と続けばよいのですがそれはそれで変化がなくてつまらない人生になるのかも知れません。

 しかし、世の中には変わってよいものと変わってはいけないものがあると思います。仕事上の変化や暮らしの変化はある程度は仕方ないものと思います。しかし、平和を愛する気持ちや人を傷つけないといった当たり前の事は決して変わってはいけないものだと思います。 自然も同じ。人が暮らしていく上で自然を恐れ敬う気持ちも決して変わってはいけない事です。

 そんな当たり前の事が今の日本では当たり前でなくなっていく危険性を孕んでいるような気がしてなりません。

 日本には3権分立という人が暮らしていく上で大切な決まりがあります。しかし、今の政治の世界は行政権のみが強権をもち立法権や司法権がないがしろにされている様な気がしてなりません。

 安保法制では行政に携わる政治家が平気で「国民を守るのは行政の責任で憲法学者ではない」と言い放ち、憲法で保障された投票権で1票の格差が憲法違反と言われながら一向に行政側はそれを改善する気配もない。世界に誇る平和憲法といわれた憲法9条を時の国会で都合の良い様に解釈を変更して憲法9条の精神を踏みにじる様な変化が議決されようとしています。

 一体、行政権は誰の為にあるのでしょう?私の住む北杜市でも最近メガソーラーの乱開発が問題となり住民側と行政側の間で争議が起きていますがどうも行政側の動きは鈍くて一向にこの大切な自然を守ろうという行政側の姿勢が伺えません。

 先日、日本で一番移住したい県として山梨県が1位に選ばれましたがその理由のひとつはこの美しい自然に囲まれた北杜市のような自然溢れる土地が東京からわずか2時間足らずの距離にあるという魅力だと思うのですがどうも行政に携わる人達にはその自然を守ろうという覚悟が見られません。

 変わっていいもの、変わってはいけないもの。少し皆で考えてみませんか?

2015/06/07

八ヶ岳高原サイクリング

今年で10年目を迎える「八ヶ岳高原サイクリング」この名称になる前は「アザレアツーリング」の名称で小諸の方まで走っていました。

 私はいつもスタッフとして最後尾についてリタイヤする参加者をピックアップしてエイドステーションまで運ぶ役をやってきました。勿論、私があまり活躍しない方がイベントとしては成功という事になるのですがリタイヤする方達にもそれぞれの事情がありドラマがあります。

 今年も100㎞コースに参加していたチームのリーダー役の方がかなりスピードが出ていたカーブで落車して左半身と顔に怪我を負ってしまいました。カーブを曲がった所だったので最後尾を付いてきた私の運転するサービスカーからは見えなくてカーブを曲がったところでちょうど落車して倒れている所でした。

 仲間の方が心配そうに傍について様子を見ていました。こういう場面では私達は申し出が無い限りピックアップはしません。過去にも登りのキツイところで息も絶え絶えで苦しそうに走っている最後尾の方に「大丈夫ですか?」声を掛けたところチームリーダーの方から「頑張っているところだからピックアップしますとは言わないで下さい」と注意を受けた事もありこれが教訓になっています。

 だから出発前に「何かあったら声を掛けて下さい。いつでも助けに行きますから」と言ってはありますが此方から「リタイヤしますか?」とは絶対聞きません。

 今回は落車して怪我をしており出血もあり本人も「諦めます」と言われたので壊れた自転車を積み込み、とりあえず近くのエイドステーションへ運びました。そこで応急処置をして顔を切っていたので「沁みますよ」といってから消毒すると「イテ~!もういいです。どうせ痛いんなら1回の方がよいから病院行って消毒して貰います」と本人も納得したので近くの病院に直行。

 車内で「すみませ~ん。迷惑かけちゃって・・・」と気遣われるので「いえいえ、その為にいるのですから・・・」とお話して無事病院へ。

 受付を済まし「そこのベンチでお待ち下さい」と言われたベンチを見るとやはりサイクリングのユニフォームを着て怪我した方が痛そうに座っていて「自転車ですか?」と聞くと「ハイッ、膝やっちゃって・・・」と言われ歩くのも辛そうでした。どうやら別のサイクリングイベントでやはり落車されたようでそちらの方の方が重傷そうでした。

 私はイベントのサポートに戻らなくてはならないので応援のスタッフを呼んで付き添いを代わって貰いサポートカーに戻りました。その後、その方は無事に治療を終えてゴール地点に車で来られて絆創膏だらけになった顔でチームの仲間と合流して「イタイヨ~」と嘆いて元気に帰って行かれました。

 大した事にならなくてホント良かったです。完走じゃなくても怪我をしても時間が経てば又、楽しい思い出です。皆さん、来年もお会いしましょう!

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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