村長ありき
先日、知人に薦められて「村長ありき-沢内村 深沢晟雄の生涯-」という本を読みました。岩手県沢内村という雪深い財政難に苦しむ寒村でありながら戦後初の乳幼児・高齢者の医療費の無料化、そして乳幼児の死亡率0を達成した深沢村長の生涯を描いたノンフィクションです。
ちょうど高知に帰る飛行機の中で読んでいたので、その内容の素晴らしさに涙が止まらず、隣の席の人に気付かれないようにするのに苦労しました。最近は本当に涙もろくてどうしようもありません。これはやはり以前受けた目の手術の所為かな?と・・エッ関係ない?齢の所為?マアそれはどうでも良いのですが、兎に角素晴らしい内容の本でした。
実はこの原作をモデルにした「いのちの作法」という記録映画が作られていて全国で自主上映会が開催されています。知人がここ北杜市でも是非開催したい、多くの人に観て貰いたい、しかも無料ではなく、あくまで有料で観て貰いたいと言う事で名乗りを上げ、私も大した事は出来ないのですがお手伝いする事にしました。
開催は7月5日ですのでまだ時間があるので先に原作本を読むことにした訳です。この「村長ありき」の原作本に描かれている時代背景には戦後の混乱する地方行政の中にあって本当の政治とは医療とはどうあるべきかと言う事が描かれています。端的にいうと政治の根幹とは住民の生命行政つまり住民の命を守るのが最大・唯一の理念でなければならないと言う事です。
戦後の混乱する地方行政の中で岩手県の寒村では当たり前のように乳幼児が死亡し老人が充分な治療を受けられず亡くなっていく現実に直面し、何とかしなくてはならないと誰しも思いながらではどうすれば良いかという事になると明確な解決策は誰も答えられない・・・何だかこれは戦後の混乱期の話ではなくて現代でも全く同様な事が起こっているような気がしません?
確かに当時と比べ飛躍的に医療技術が進歩し潤沢とは言えないまでも日本は飛躍的な経済発展をとげて地方行政にもそれなりの予算が付くようになったハズです。ハズなんですが・・ここ数年の年金保険の不祥事や産婦人科の減少による充分な出産対応が出来ない病院の現状をみると何だかこの沢内村がたどってきた道のりは現代にも繋がっているような気がします。
まるでマネーゲームの様な年金の「運用」という名の投資はまさに我々の命をマネーゲームに委ねているようなものです。本来減るわけが無い我々の納めてきた年金は昨年一年間だけで何兆円も減少しています。もちろん経済が順調だった頃は飛躍的に増加した年もあります。しかし、投資という行為は正にこの生命行政に関しては私はあってはならない事だと思います。それは投資しているのはお金ではなく我々の命だからです。
ここ北杜市でも病院の統廃合問題が起きているように聞いています。しかしそれは地方行政において最優先課題であるべきだと私は思います。「住民の生命を守る」これこそが政治の最重要で唯一の課題であるとこの本は教えています。
政治の世界では我々では分からない難しい問題もあるだろうとは思います。しかし、経済が破綻し地方行政の予算が削られ住民が苦しむ事があるなら何の為の政治かと思います。様々な軋轢を取り払い無駄を省き真に必要な生命に関わる問題に絞って国は政治を行うべきではないでしょうか?
沢内村の深沢村長は自分の行った生命行政に関して「本来は国が行うべき行政であるが国がやらないのなら自分達がやるしかない」と様々な圧力に合いながら自分の信じる行政方針を貫きました。深沢村長は残念ながら道半ばにして病に倒れこの世を去りましたが村長の政治方針に共感する村民達がその遺志を引き継ぐ事になりました。
出来れば日本中の人達がこの生命行政に同調し本当の政治とはどうあるべきかを考えるきっかけになれば素晴らしい未来が開けるように思います。
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