2006/11/19

教育について思う事

 最近、何かと教育に関わる報道が取りざたされていますが何だか難しい世の中になったものです。私は小学校時代はいわゆるガキ大将でしたのでよくイタズラして叱られました。学校に行っているというよりも学校の廊下に行っていると言った方が正しい位、毎日廊下に立たされていました。何せ、宿題はしたことないし、学校には何も持っていかないし当然、毎日忘れ物だらけ、徒党を組んでイタズラのし放題でしたので当然、毎日立たされる訳ですね。怒られて当たり前でしたが何故か先生はいつもそんな私でも怒りながらも庇ってくれました。私も悪い事をしてるのは百も承知でイタズラして先生に怒られるのが楽しくてイタズラしているところがありました。

 でも今は先生は生徒に余り怒れないような環境になっているみたいですね。私の頃は当然悪い事をすればぶっ飛ばされるし、竹刀で叩かれたり、出席簿の角で頭叩かれるとイタカッタ!でも親も当然、我が子が悪いのが分っているので「先生、もっと叱ってやって下さい」というような雰囲気がありましたよね。子供も当然、悪い事をすれば罰を受けるという事が分っていましたので私も毎日、立たされたり正座させられても「しょうがないわな・・」と納得していました。

 現代は先生が子供に手を上げようものなら〇〇委員会とやらに親が通報し暴力教師として目を付けられるみたいですね。私らの時は大抵、体育の先生が鬼教師でどんな悪ガキでも体育の先生にだけは頭があがらないモンでしたけどね。世の中変わったんですね。私も悪ガキでしたが体育だけは得意で小学校も結構なマンモス校で全校生で1000人くらいは居ましたね。毎年1回、全校の縄跳び大会があって引っかかった人は順番に座っていって最後に誰が残るかという大会でした。いつも私は最後まで残りとうとう時間切れで何人かが一等賞なんて事もありました。

 ある日、その小学校が放火で全焼してしまった事がありました。学校が無くなってしまって私はもう行かなくて済むのかなと思い嬉しいような遊べなくなって悲しいような複雑な気持ちになりました。そこで何故か私が思いついたのはお金を稼いで学校を建て直す足しにして貰おうと思ったのです。普段からガキ大将で色んな悪い事してましたのでさっそく仲間を召集し「オイッ皆で釘拾って来い!」と号令をかけて自分も広場を這い回って古釘を拾って廻りました。それを普段から懇意にしていたボロ集めのオヤジのところに持っていくと買って貰えるのです。普段はそれをオコヅカイにして買い食いをしていたのです。皆で集めた古釘は当時で1000円位になったと思いますがそれを封筒に入れていつも、イタズラをしては連れて行かれる職員室の入り口に夕方そっと置いて走って逃げて来ました。

 良く考えれば別に逃げてくる事はないのですが何せホラ、普段怒られてばかりなので職員室に近づく事さえ憚られるのですよ。習慣って恐ろしいですね。ところが何故か次の日、早速職員室に呼び出されて「この封筒を置いたのはお前だろう!」と先生に言われ「何で分ったんだろう?」と内心思いながらもそこはほれ悪ガキですから「コリャ又、怒られる」と思い「はいっ、ゴメンナサイ・・・」と謝ったら先生、何故か何も言わない・・・殴られると思いうつむいてそっと先生の顔を見たら先生が泣いていた。「先生・・・」と言ったら、先生は何も言わずに頭を撫でてくれました。もう40年以上前の事ですが今でもハッキリその先生の涙が一杯溜まった目を忘れる事はありません。

 それから私はもうイタズラは止める事にしました。教育ってナンでしょうね・・・

2006/11/13

美しい季節

Yatugatake_1 一昨日、森に今シーズン初の雪が舞いました。勿論、積もるまではいきませんがすっかり冷え込んで朝の気温は1度まで下がり久しぶりに震え上がりました。我が家のウッドストーブにも火が入り、ストーブの暖かさにホッとする季節になりました。この写真は1週間程前、白州の知り合いの農場に行った時に余りにも美しい八ヶ岳の姿に見惚れて思わずシャッターを切った時のものです。麓まで紅葉の紅色が降りてきてまるで美しい着物をまとったような姿を見せてくれています。

 これから冬に向かって山は一年で一番あでやかな美しさを垣間見せてくれる季節です。この季節、いつもカメラを持ち歩いていないと自然が見せる一瞬の涙が出そうになる美しさを撮りそこなう事になります。もっともカメラの技術がないので後で見るといつも「こんなはずじゃなかった。もっと綺麗だったのに・・・」と思うのですが・・それでも撮らないよりはマシと思って撮り貯めています。

 山の美しさは春と秋、春は新緑の美しさ・・・それは新しい生命の息吹の美しさ。それは若者の希望に満ちた眩しいキラメキ。秋は、紅葉の美しさ・・それは大人の美しい女性の様なハッとする程の美しい彩をまとった美しさ・・春、秋、それぞれ別の美しさを見せてくれます。

Kouyou

 そしてこの美しさに見とれていられる時間はそうは長くありません。次第に厳しい冬の寒さが忍び寄ってきて森は静かに一年の活動を終え、じっと次の春の訪れを待つ静寂の季節になって行きます。森の中に住んでいるとこの一年の移り変わりを自宅の窓からジッと眺められる幸福を感じる事が出来ます。八ヶ岳の森に住んで本当にヨカッタ・・・

2006/11/06

舞台裏人間模様

昨日、地域のイベントのお手伝いで舞台の裏方をしてきました。時々、こういうお手伝いも廻ってくるのですが地域のイベントといってもれっきとした県立の施設なので舞台設備もしっかりしており客席も200人くらいは入れるのかな?数えたわけではないので良く分りませんが、なんせ立派なホールです。

 秋の初めからスタートした民話の語りがそのメインなのですが出演者も含めて長い期間リハーサルを繰り返しその最後の舞台でした。私は裏方なのでアシスタントとして舞台の袖で進行をするだけなのでそんなに負担はないのですが出演する人達のうちプロの方達は余裕ですがそうでない方達も含めて舞台裏では様々は人間模様が繰り広げられます。

 私はもともとこういう人間ウオッチングが大好きなのでそういう人達を見ているのがたまりません。自分がそういう立場に置かれたらとてもそんな余裕は有りませんが・・・

 本番が近づくにつれて寡黙になり出番の時間を伝えるのさえためらわれる程、集中して台詞をブツブツと繰り返す人、舞台上での動きを間違えない様に舞台裏の僅かなスペースを利用して動きを確認する人達、照明のタイミングを確認する為に舞台監督と無線でやり取りする音声担当(ミキサー室にいるので本番中は全く会いませんが・・・)、そして演技に必要な小道具の出し入れや演者の入るタイミングを舞台袖で知らせる我々アシスタント等様々な多くの人間がたとえ僅かのイベントでも関わる事になります。

 本番が始まれば例えどんな事があってもとめる事は出来ません。とにかく演じ切るしかアリマセンから客席から見ていると分らなくても舞台裏は大パニックなんて事もあります。以前のイベントでは私が担当してスモークという煙を出す役目を仰せつかっていたのですがそのタイミングが旨く行かず舞台裏で真っ青になってました。何せ一旦スモークが出始めると止める事ができない機械なもので「もうどうにでもシテ・・」状態です。

 他にもあれほどリハーサルを繰り返しても皆さん緊張しているので自分の出るタイミングを忘れて早く出そうになった演者さんを慌ててうしろから引っ張りもどしたり逆にタイミングが過ぎてるのに出て行かない演者さんを押し出したり・・・。しかし、舞台の反対方向に起きたハプニングにはどうしようもありません。何とか伝えようと腕を振り回すのですがこれが中々気付いて貰えないんだな~

 華やかに見える舞台の裏では多分、どんなイベントでも様々な人間が青くなりながら走り回っている事だと思います。客席からみる舞台も楽しいですけど舞台裏はもっと楽しいですよ・・・

2006/10/29

物質文化と精神文化

 やたらと固そうなタイトルになってしまいましたが最近、時々ニュースをみたり日常でフト気になる事があります。例えば仕事柄、建築関係の記事にどうしても目がいくのですが「秋の住宅フェア!特別キャンペーンモデル販売」などという広告が最近はやりですよね。つまり住宅は建てる物ではなく買う物なんですね。う~ん、何となく自分の感覚とはギャップがあるな~と思ってしまいます。これだけ住宅の工業化が進めば当然の事なんでしょうけどね。

 先日も、自宅に届いた壁材の板は綺麗にラッピングされて一束ずつ梱包されてそれは素晴らしい納品姿でした。それはそれで素晴らしいと思うのですが、別にそこまでしなくてもいいんじゃないのとちょっと変な感触が心の中に引っかかりました。多分、普段から山の中に入ってキコリさん達が木を倒すのを見ている感覚と木が違うとはいえその木がラッピングされて納品されるという感覚のギャップが旨く埋められないのでしょうかね。

 昨今、話題の高校の必須科目の履修逃れの話題も世界史だか日本史だかでしたっけ?昔、私も日本史と世界史が苦手でとにかく訳も分らず丸暗記したものでした。だから今でもその時代の繋がりがさっぱり分らずいい歳してあの頃もっと勉強しときゃ良かったと後悔しています。私も理系だったので文系の授業はさっぱりでしたが今となってはとても後悔しています。受験はテクニックも確かに重要だけど余り受験テクニック偏重の授業をしていると私みたいに後で後悔する羽目になるような気がするけどな・・・何が言いたいかというと人が人となるにはそれなりに時間と経験と手間がかかるのは当たり前じゃないのかなと思うわけです。余り早くから自分の人生を決めてしまわない方が良いんじゃないかな~。

 全然違う話ですが先日、雷が近くに落ちた影響で家のTVが死んでしまい。しょうがないので小さな液晶テレビを買おうと思い女房と近くの電気屋さんに見に行きました。今、テレビ業界は地上デジタルテレビが話題となり新しい家電需要の拡大を期待してどこもTVコーナーは充実しています。案の定、棚には同程度のTVが右側が地上デジタル対応型、左が非対応型として展示してあり「サア、あなたはどちらを選びますか?」状態であった。当然、迷うよね。電気屋さんに行って悩んでも遅いって思うんだけど、そこはそれ旨く並べてある訳ですよ。で、結局予算のない我々夫婦としては「出直してきま~す」にあいなる訳ですね。で、それが言いたい訳では全くなくそこで前から気になっていた「亀山モデル」というのがどうも心に残ったのですね。別にメーカーの宣伝をする訳ではないのですが同じそのメーカーの製品でありながらあえて亀山工場製品というのを前面に打ち出すのに共感を感じるのです。

 「ものづくり」をしていく中で確かにコストを抑え安く仕上げる事も大事だし、綺麗に包装して届けることも大事だと思うけど原点は人間が手で作っている事だと私は思います。どんなに効率を上げても人間が作る以上「かかるものはかかる」のである。費用も時間もですね。同じメーカーの製品でありながら亀山工場で作るものとそうでない物とが差別化されている販売方法は「違うんですよ!」というメーカーの姿勢を表したものですよね。そこに何だかオウ!いいじゃないのと思ってしまう訳です。今まで余り気にしていなかった何処で作られたか?という作り手の価値観を付加したという所がグッドですね。

 最近、特に効率優先で余裕が無さ過ぎるような気がします。豊かな物質文化は豊かな精神文化の上に立ってこそ出来上がるものではないでしょうか?普段、必要のないハイスペックなものが巷に溢れて過ぎていませんかね。どっかのコマーシャルにあったけど電話は話が出来れば良いんじゃないですかね。車は安全に快適に走ればそれで良いじゃないですかね。シンプルイズベスト・・何だか一昔まえにこんなキャッチフレーズが流行ったけど今一度「勿体無い」と「シンプルイズベスト」が流行らないかな~なんて思う秋の一日でした。

2006/10/22

森の講演会

Mori1 Mori2_1          昨日、八ヶ岳「森つくりの達人」講座2006<秋>という講演を無事終えた。今年の初めに企画したものでいつも誰かに「こういう企画をやらないか?」という話があるとやめとけば良いのについ「面白そう・・」が先にたって引き受けてしまう。そして暫くは「マアいいやまだ先だから考えないでおこう」と思いつつ頭から消え去り、そして段々期限が近づいてくると段々、気が重くなる。「アア、やっぱり手を上げるんじゃなかった」と後悔してももう遅い。この講演も結局3ヶ月前から具体的に動き出してチラシの企画だの報道関係へのFAXだの宿の手配だの講演会場の手配だのスタッフとの打ち合わせだので飛び回る羽目になってしまった。講演会の内容は「未来への贈り物~新月の木~」というタイトルでNPO新月の木国際協会の増田理事長に基調講演をお願いし、私も言いだしっぺなので「新月の木の証人~現認者~」という題で講演をした。その後、山に入って実際に伐採を体験してもらい更にその後、知り合いの自然農場で焼き芋をご馳走になるという忙しいイベントでなんだかんだで30人くらいの殊勝な方が集まりワイワイと楽しんだ。

 講演が終わって基調講演をして頂いた理事長を駅までお送りしてホッと一息・・「アア、もう二度としないぞ」といつも誓うのだがそこはそれB型の悲しさというか誰かから「こんな事やろうと思うんだけど手伝ってくんないかな~」なんてお誘いがあると、辞めとけばよいのに「オモシロソ・・・」と心が騒ぐのである。んで、結局又、後悔の繰り返しと相成るわけでありますね。そんな訳で会社の社員からは白い目で見られながら今夜も地元の仲間とのイベントの打ち合わせに夜は更けていくのですね。特に秋はいろんなイベントが多くてやれ「〇〇の会」だの「〇〇コンサート」だの「〇〇講演会」だのと忙しいのである。んで、考えた。どうしていつも後悔するのに辞められないか?それは、イベントを通じて知り合った人達との繋がりやスタッフとして同じ目的で普段の仕事を離れて一つの目的を目指してお互いの時間を共有する事による心のつながりが気持ち良いのですね。達成した時の満足感がたまらないのだろうなと言う事ですかね。

 そんな訳で今年も年末に向かって様々なイベントが控えているのです。順次、その報告もして行きたいと思います。来年こそは少し控えようっと・・・

2006/10/14

我がジャイアンツにもの申す

我が原ジャイアンツ、復活を誓った今シーズン、今年もダメだった・・・近年、生まれてからず~とジャイアンツファンを貫き通してきた自分としては辛い日々が続いている。昨シーズンは悪いけど本当にジャイアンツファンを辞めようかとも思った。セリーグ優勝がかかった中日戦、東京ドームでの胴上げだけは見たくなかった。気概を見せて欲しかった・・・

 今シーズンも1回だけ東京ドームに試合を見に行った。当然、負けゲーム・・途中で出てしまった。余りにも面白くなかった。別に常に勝てとは言わない。そりゃ勝つ事もあるし負ける事もある。それは分っているつもり・・でも内容が悪すぎる。今シーズン、原監督に代わってはっきり言って相当期待していた。シーズン当初は首位に立ち。ヨシッ!今年はいけるぞ!と思ったのもつかの間、交流戦以降は下降線をたどりっぱなし・・・主力選手はみんな怪我で戦線離脱・・・若手は伸びず・・・2年、3年は我慢する。しかしそろそろ何とかして欲しい。

 今シーズンとうとういまだかつて無かった巨人戦のTV中継の中止、並びにに放送延長の中止・・・悲しい、余りにも悲しすぎる。昔、田舎ではTV中継のあるカードは巨人戦しかなかった。だから田舎はみんな巨人ファンになる。しかし、今は巨人戦だから中継がない・・なんて事だ!今朝、日テレのスポーツ番組で巨人選手にインタビューするコーナーがあった。主力選手はみんなガムを噛みながらインタビューに答え敗戦の弁を淡々と悪びれる事なく語っていた。唯一人だけイ選手だけが悔しそうに丁寧に受け答えして来シーズンも巨人で頑張る旨、語ってくれた。そりゃナイジャナイカ・・私を含めファンは主力選手達がさぞ悔しがってくれて真剣に復活を語ってくれるものと期待している。それがカメラの前でガムをクチャクチャさせながら「負けちゃいました」みたいな話をされるとそりゃアンタ、ファンは離れていきまっせ。

 そりゃね。これだけ優勝戦線から離れてしまえばヤル気もなくなるだろうけど今のジャイアンツの試合を見に行って真剣に戦っているなと感じるのは小久保選手とイ選手だけでっせ。二人ともジャイアンツ生え抜きとちゃいまっせ!(何故か関西弁になってしまうけど)兎に角ガムクチャクチャは止めて欲しい!昔から何故プロ野球の選手だけが試合中にガムを噛むのか良く分らない。他のプロスポーツで試合中にお菓子を食べたりガムを噛んだりするのを私は知らない。知らないだけかも知れないけど理解できない。緊張をほぐす為とか色々、ウンチクは聞いたけど私は納得出来ない。そもそも、何故練習中やインタビュー中にガムを噛まなくちゃいけないの?そこんところよ~く考えてくれないかな原さん。意識改革が必要でっせ。何か感覚がマヒしてんじゃないの。ジャイアンツの名前に溺れてまへんか?いくら名門球団だからってファンあってのプロじゃないのかな?他球団みなはれ、色んなパフォーマンスやってみたりサービスしたりして一生懸命やってるじゃないの。そりゃ賛否は色々あるけど何とかファンに喜んで貰おうと努力してるのは凄く分る。我が巨人は何してるのかな?サインボール投げ入れるだけでっか?昨シーズンはろくに監督インタビューさえしなかったし・・・何考えてるんだろね。

 我がジャイアンツよ蘇れ!一度過去の栄冠を捨てて一から出直そうじゃないか!新人達よ頑張れ!一流と呼ばれた主力選手達よ原点に返ってガムを吐き出せ!ガムを噛んでる場合じゃないだろっ!今のままじゃ高校野球の方がよっぽど面白いぞ。原さん、実力第一主義で来シーズンはメンバーをすっかり入れ替えて新生ジャイアンツを目指そうじゃありませんか!無名ジャイアンツ!面白いじゃないですか。それなら負けても元々、ファンは喜びまっせ。もう、一流選手を金で買ってくるのは辞めて生え抜きの巨人選手を育てようじゃないか!それなら負けても納得しまっせ!とにかく一番から九番まで打って守って走れる選手で固めてスピード溢れる野球をやろうじゃないか?いくら強打者でもヨタヨタしか走れない選手は見てても面白くありませんよ、むしろスーパーサブとしてここぞという所での代打の方がよっぽどプロらしいでっせ。一打にかける緊張感!それこそプロでっせ。

兎に角、来シーズンこそ原さん頼みまっせ!ガムを吐き出せ!これでっせ!

2006/10/08

自然って何?

 私の家はログハウスです。ここ数年、忙しさにかまけてログ外壁の塗装をサボっていたらある日、表面からキクイムシが出てきました。コリャ大変と思いつつそれでも中々決心がつかずサボっていたら段々増えてきて今年こそは塗装しなくてはならないと肝にめいじています。勿論、塗料は昨年から既に用意はしてあるのですがね・・・

 そこでフト、思った。何もしなければこのログはどうなってしまうのだろうかな?と・・私は仕事柄、木について色々な方と話す機会があります。「新月の木」に関する活動も続けています。そこで自然の木ってどういう意味かなと思った。木材業界ではキクイムシは嫌われ者である。木の辺材部の栄養分の高い部分に入り込み卵を産み付ける。それが成長して穴を開けながら出て来る。その結果どうなるかというと業界でシラタと呼ぶ辺材部に小さな穴が開きその部分を製材すると板に穴があいて商品にならないからだ。でもその小さな穴があいているからといって使えないわけではないし強度が落ちるわけでもない。

 そこで思うわけです。自然って何?虫なんか一匹も付いてない木が良い木で虫が入っている木はダメな木なのかな?と・・・野菜でも自然農法で農薬を使わないものには虫が付いています。先日も知り合いの自然農法を実践されている方から「うちは農薬使わないから小さいし、見栄えは悪いけど持ってくか?」といわれてムラサキ芋を頂いた。これがものすごく美味しかった。確かに小さいし見栄えは決してよくないけど味はピカ一でした。

 森の中に立っている木々をみているとこれらの木には果たして本当に一匹の虫も付かないのだろうかと思ってしまいます。残念ながら私にはその知識がないので実際のところは分りませんが確かに立ち枯れてしまった木には多くの虫や鳥が寄ってきていかにも弱って見えます。しかしそうでない木は元気に立っています。

 昔、戦後間もない頃に極端な住宅不足から日本中の山の木が皆伐されて使われその後、植林された木は残念ながらその頃流通し始めた「新建材」と称する腐らない、曲がらない、汚れない新製品にその主流の座を奪われ行き場を失ってしまいました。しかし、その製品はとても自然の木とはかけ離れた存在でした。現在はエコロジーブームです。世の中は自然に対する感心が高まっています。「新月の木」も昔から口伝で伝えられてきた伐採方法を踏襲し山で葉をつけたまま天然乾燥し出来るだけ人工的なものを使用しないで自然の力を利用して「木」本来の姿で流通を図ろうという活動です。

 私は昔もてはやされた「無節」で「柾目」の木が価値ある木だとは思いますがそれは何故、価値があるかというと簡単には取れない木だからです。自然に育った木のなかではそういう条件でとれるチャンスが少ないからです。逆に虫が入った木はダメだとも思えません。その木を生かす方法はあると思います。もう一度、自然って本当はどういう事かとじっくり考る時ではないですかね。なんてフト思ってしまいました。

2006/09/29

森の生活事情

 私の家は森の中の突き当たりにあるので新聞配達がありません。毎朝、森の入り口まで出て集配箱の中に入っている自分の新聞を取りに行かねばなりません。マア、それが良い毎朝の散歩になるのですが、今年の初めまでは相棒の犬が一緒だったので散歩のついでに取りに行っていたのですが相棒を亡くしてしまったので今は新聞を取りに行くだけの為に出掛けています。

 今朝も森の中を歩いていたら風も無いのに木の上の梢が揺れています。「ハハ~」と思って音のするあたりをジット目を凝らして見ていたら、いたいた、太い幹の辺りに爪をひっかけてリスが忙しそうに上り下りしています。そろそろ木の実がたわわに実を付け始めたので彼等も忙しそうです。

 昨日は休みだったので家で生ゴミを処分するコーンポスト(田舎では生ゴミをこの土に半分埋めたプラスチックの容器に入れて発酵させて再利用するのです)が一杯になってしまったので別に新しい穴を掘って移し変えていました。いつもこの作業を始めると何処からとも無くカラスが寄ってきて近くの木の上でジット私の作業を見詰めています。そしてなにやら騒がしく鳴き始めます。どうやら仲間に知らせているらしいのです。しかし、毎度の事なのでカラス達には悪いのですが掘り返されないようにしっかり埋め戻して上に枝や石を載せてしまうので彼等はご馳走にあり付けないのです。しかし、夜になるとキツネ達が寄ってくるので彼等は必死で穴を掘ってほじくり返してしまうのでそうするとカラス達も御裾分けにあずかれると言う訳です。

 どうやら森の中の私達の暮らしそのものも森の動物達の日常と深く関わっているようです。しかし、最近は山梨の市街地でも熊が出るようになったので熊だけはちょっと遠慮したいなと思っております。朝、起きて1階に降りたら熊が冷蔵庫を開けてたなんて事になりかねない環境なのでまんざら起こらないとは言い切れないな~と思ったりしています。鹿くらいならまだ良いのですが番犬がいなくなってしまったのでちょっと心配です。

 最近、夜、帰宅途中の森の入り口付近でウサギを良く見かける様になりました。あまりウサギは見掛けなかったので変だな?と思っていたのですがその姿はピョコタンピョコタンとお尻をフリフリゆっくりおっとり動いていて何となく野生を感じなかったのです。そしたら先日、女房が「何だか近くの家で飼ってたウサギが逃げてしまったらしいよ」という話を聞きアッ!と思い出し、そうかきっとあいつだなと今では信じています。その後、捕まったという話は聞かないのでどうなったでしょうかね?

 八ヶ岳は朝方摂氏10度近くまで下がるようになり朝、散歩してるとちょっと冷たく身が引き締まるような気分です。森はこれから美しい紅葉の季節を迎えます。落ち葉の処分は大変ですが遠くから見るにはこの上も無く美しい色模様です。何の変哲もない森の暮らしの日常ですが何となく豊かな気分になれるのもこの季節のなせるわざでしょうか・・・

2006/09/24

古民家

Kominnka 先日、地酒の蔵元「谷桜」さんの蔵に併設されているギャラリーで古民家の催しが開かれました。私の事務所がある北杜市大泉町には谷戸地区という古民家群があり明治から昭和初期に建てられた築100年程度の住宅群が美しい町並みを形成しています。2年程前からこれらの古民家群の調査を私も会員となっている景観の会が県から委託されて実施した経緯から今回、この調査の結果を多くの人に知って貰うと共に実際にこれらの古民家に住んでおられる方や古民家を再生した方達にパネラーとなって古民家に住むという事についてその実態や苦労話をして頂きました。

 実際にこれらの古民家を所有しておられる方は当然、地元の方ですが2代目、3代目の方達は普段は別のところに住んでおられて週末や休暇の時に帰ってこられて維持しておられる方やあるいは親から引き継いだものの痛みがひどくて一旦解体した上で再生して立派に暮らして居られる方などその形態は様々です。

 これらの方達の話を聞いていて何となく肩から力が抜けてホッとした気持ちに私はなってしまいました。それは何故かというと普段、建築の仕事をしている関係から普段はお客様との打ち合わせや役所の申請関係の話を聞く事が多いのですが現代住宅の取り巻かれている環境はやれ高気密・高断熱だのオール電化住宅だのがもてはやされており私は普段から何となく「違うんじゃないかな~」と思い続けていたのですが、何が違うかというと「住む」という事と自然との共存という事とがかけ離れてきているような気がしているからなんです。東京のど真ん中に住むのなら分ります。でも八ヶ岳のこんなに自然溢れるところに何故、高気密・オール電化なのかな~と思っていたからかも知れません。誤解を招かないように言いますが私はこれらが悪いといっているわけでは有りませんので念の為・・・

 古民家に住む方達の話は何の気負いもなく要約すると次のようなものでした。

1、とにかく冬は寒い、寒くてたまらん。昔は冬の朝おきたら口の周りに霜がついていたり雪が吹き込んでいたりするのは当たり前だった。でも今は冬があんまり寒くなくなったので我慢できるようになった。寒いところに住むんだから寒さになれるしか無いと言われた。

2、雨漏りはするし茅葺を直すと家一軒くらい簡単に立つほど費用がかかるので取り合えス穴の開いたところを塞いでいる。それでも親から引き継いだ大切な家を壊す気にはなれないんだよね。

3、150年経った古民家を決心して再生に取り組む事にした。先ず、5年かけて県内の古民家をかたっぱしから覗いて勉強した。その上でどういう風に再生すれば良いか実際に古民家に住んでいる人に話を聞いてひとつひとつ決めていった。解体工事が始まった時は不安そうな顔をしていた親が立派に再生した家を見たら凄く喜んでくれてそれが一番嬉しかった。再生で一番こだわった所はとにかく躯体はいじらない事にした。基礎も昔の束石は絶対動かさないでくれと頼んだ、これがあるから地震があっても生き残ってきたと言われた。それと断熱はしっかりやり直したね。

 こんな調子でした。4人のパネラーの皆さんの話には家と暮らしが深く結びついておりこの地方の季節感や環境が深く関わっているな~と感じました。一言でいうと里山の暮らしが住まいに深く影響しているという事なんです。風の向き、産業、雨の降り方等のその地方独特の環境合わせて家が出来ているという事ですね。これらの古民家群を建てたのは当然、地元の棟梁達です。だから道路を挟んで左右対称なんて家もありそれが全体として一体感のある美しい家並みになっているのです。

 現代の家作りは個人の価値観が最優先で建てられています。八ヶ岳なのに南欧風の家があるかと思えば隣は「〇〇ホーム」の展示場から抜け出てきたような家でその隣はキットのログハウスといった調子です。それらの家並みからは里山の暮らしは感じられません。

 自然に溶け込むような家、古民家にはそういう風格があります。もちろん昔、建てられて古民家と現代技術を駆使した住宅とでは内部の空間の快適性を比べればとても古民家に勝ち目はないと思います。しかし、古民家の良さを活かしながらその技術を中に生かしていく事は可能だと思います。祖先が残した素晴らしい技術を踏襲しながら景観にも配慮した家作りが出来たらといつも思います。家を作ることは出来ても中に住む人達の暮らしを作る事は出来ません。里山にふさわしい家作りとは何でしょう?環境に溶け込む家とは?小手先の技術ではなく地元に根を下ろした棟梁の造る家作りが出来ればな~と感じいった一日でした。

2006/09/17

景観ウオーク

Keikan 雨続きの合い間を縫うように小淵沢で古民家と棚田の風景を楽しむ景観ウオーキングが開催されスタッフとして参加してきました。私はこのウオーキングには第1回から参加していますが今回で4回目くらいになるのではないかと思います。私自身も好きなコースで特にこの時期は田んぼでは黄金色の稲穂が輝き、畑では蕎麦の花が咲き乱れて美しい風景を楽しむ事が出来ます。当日の天気予報は曇り、午後から時々雨の予報でしたが何とか終了まで降らずにもってくれました。

 この景観ウオーキングは「NPO八ヶ岳南麓景観を考える会」が主催しているのですが私も会員として「森つくり」の担当をしていますが「地元の人が語る歴史の会」等、色々と工夫した活動をしています。当日の小淵沢での景観ウオーキングも小淵沢駅前に広がる古民家群(通称、蔵通りと呼ばれています)を見ながら南アルプス方面に下って行き民家群が途切れた辺りから始まる棚田を楽しみ、戦国時代の武田信玄が諏訪との戦いの要として築いた「城山(ジョウヤマ)」で昼食をとりその後、小淵沢方面に引き返すように登り始め水田の水を供給する為に難工事の末に築かれた「松向堰」やその堰の水源である大滝湧水を見に行き、最後は小淵沢の役場で解散となります。

 当日は30名余りの参加者が集まり盛況でした。いつも大体女性の方が多いのですが当日も8割方は女性でしたね。最近は女性が本当に活発に元気に色々なイベントに参加されるようですね。参加された方達と色んな話をしましたが私も感じるのですが普段、この道は車でいつも通る道なのですが何気なく普段通り過ぎる風景が歩いてみると全然、違う風景に見えるので不思議です。やはり、ゆっくり自分の足で移動するという事がどんなに自然を感じるかと言う事を改めて思いましたね。距離にして8km余りですがアップダウンがかなりあり標高差としては300m以上あるのではないかと思うのですが結構よい運動になります。

 普段は中々、雑事に追われてゆっくり歩くという事が出来ないのですがこういう時に参加する事でちょっとだけウップンを晴らしています。これから実りの秋を迎えますます散歩するのには良い季節になります。間もなく八ヶ岳では唐松が金色に輝き始めます。あっ!その前にちょっと遅れ気味の稲の刈り取りも来週あたりから始まるんじゃないかな・・・

 皆さんもたまには時間をとって里山の秋を楽しみませんか?気持ちよいですよ。

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八ヶ岳でのログハウス生活 ---木の家設計施工 森のすまい工房(有限会社アシスト

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