「モノ造り」という文化
私達のように木造建築を生業としているものにとって法隆寺の最後の宮大工、西岡常一氏は神様のような存在です。もう日本には昔のように寺に専属でついている宮大工は西岡さんが最後だったかも知れません。
今でも勿論、宮大工さんは居られるのですが所謂その寺に専属で仕える宮大工さんは日本にはもう居ないと思います。というか、もう宮大工では生計が立てられない世の中になってしまったのです。
もともと西岡さんもそうですが宮大工は決してお金を貰って他人の家を建てると言う事はしない大工さんなのです。西岡さん自身も自分の家は大工さんに造ってもらったそうです。それくらい自分の仕事に拘りを持っておられたし、宮大工という職種は特殊な技能集団でもあり自分達が属する寺の事は全て理解している宗教人でもあったのだと思います。
今、自分達が生業としている建築技術は戦後、海外から持ち込まれたものです。それが今の日本の建築基準法のベースにもなっています。しかし、西岡棟梁達が残そうとした伝統木工法は世界にも類を見ない日本独自の木構造の木組みの技術でその中でも法隆寺は築1300年という世界最古の木造建築と言われています。
今、日本ではこのような伝統木工法は時代の趨勢とはいえ中々受け入れられず少数派とされています。私達が建てているハンドカットログハウスもそういう意味では少数派に入ります。よく建築士の講習会等にいくとこの伝統木工法とログハウスについてはいつも「例外」として片付けられて悔しい思いをします。その位、今の世の中はスピードと変化を求められています。その裏に存在するのは消費と浪費の文化です。
国が進める長期優良住宅の制度といっても所詮100年住宅で西岡さんはコンクリートの基礎の上に木造建築を造っても100年は絶対持たないと仰っています。つまり変わらない技術や伝統を尊ぶ文化が今の日本には根づきにくい環境になっているといえます。西岡さん自身もご自分の子供には後を継がせませんでした。代わって小川さんという方が西岡さんの弟子としてその技術を受け継いでおられるのですが小川さんも本当の意味での宮大工は西岡棟梁が最後だったと言われています。
同じ木を扱うものとして西岡さんの言葉ひとつひとつに感銘を覚え、感銘を覚えれば覚えるほど反対に恥じ入る事ばかりです。今の建築基準法の教えは西岡棟梁の言葉とは正反対の事ばかりです。高気密・高断熱・24時間換気・耐震金物の利用等、全て西岡棟梁の教えとは全く眞逆です。これで本当に日本の木造建築は良いのでしょうか?
西岡棟梁は「木組は木の癖組」と良く言われます。「木は一つとして同じ木はない。その木の癖を見て組まなければならない」と、しかし、今の日本の建築基準法は木が曲がる事を許しません。金物で補強し木が曲がろうとする力を抑え込み曲がってはいけない工法を求めます。しかし、もともと鉄と木の一番の違いは木には鉄にはない元に戻ろうとする力があるので本当の木の特徴を殺してしまっているのです。
又、西岡棟梁は木材は山の樹を買うのではなく山全体を買えと言います。その地方に立つ木はその地方の気候に合っているのだからその木を立っていた向きのまま建物に使うのが一番自然で長持ちするとも言われています。
しかし今、日本の建築は外材に押され海外から綺麗にパッキングされた木材が安価で輸入され市場を席巻しています。このままでは日本の文化といえる木造技術はすたれてしまいます。
私達は少しでも日本の木の事を知ってもらい次世代の子供達に伝えていかなくてはなりません。荒廃した日本の山を美しい山に戻すには昔の様に山に親しみ日本の山の木で日本の家を造らねばなりません。
「モノ造り」の手間と技術を理解する文化を大切にしていかないと日本の「モノ造り」の未来は無い様な気がします。ずっと繁栄し続けると信じた日本の経済環境が破綻した今こそ衣・食・住の生活の基盤に「モノ造り」の手間と時間を惜しまない文化が根付く事を願っています。
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